はかせ、2029年に小惑星が地球にぶつかるかもって本当?
ぶつかりはしないんです。でも幅375メートルの小惑星アポフィスが、なんと静止衛星より内側を通り抜けるんですよ
2026年5月7日、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)と日本のJAXAがベルリンで共同観測の合意書に署名した。アポフィスが地球をかすめる瞬間を、日欧が手を組んだ探査機ラムセスが間近で見届ける計画が動き出した。
2004年: 「地球に衝突するかも」と騒がれた発見
古代エジプトの闇の神から取られた名前
アポフィスは2004年6月、アメリカ・アリゾナ州のキットピーク国立天文台で初めて観測された。正式な番号は(99942) アポフィス。ふだんは火星と金星のあいだあたりを楕円を描きながら太陽を回っている。一周にかかる時間はおよそ324日で、地球より少しだけ短い周期で太陽を巡る仲間だ。
名前の由来は古代エジプト神話に登場する闇の神アポピス。太陽神ラーを毎晩飲み込もうとする巨大な蛇として恐れられた存在だ。地球を脅かしかねない天体に、まさにふさわしい名前が選ばれた。発見当初は仮符号「2004 MN4」と呼ばれていたが、危険な天体としての性格が明らかになるにつれてこの神話的な名前が定着していった。
衝突確率2.7%という前代未聞の数字
発見直後の軌道計算で、研究者たちは凍りついた。2029年4月13日に地球へ衝突する可能性が2.7%と弾き出されたのだ。直径375メートルの岩塊が時速10万キロを超える速さでぶつかれば、被害は一国を覆い尽くすほどの規模になる。海に落ちれば津波、陸に落ちれば衝撃波と熱で半径数百キロを破壊する力を持つ。
2.7%という数字は、それまでに発見されたどの近地球天体よりも高かった。一時は天体の脅威度を示すトリノスケールで「4」に分類され、専門家による継続的な観測対象に指定された。トリノスケールでレベル4が付いた天体は、アポフィスがそれまで唯一の例だった。当時は世界中のメディアが「2029年に地球終わるかも」と書き立てる騒動になった。
観測を重ねるうちに恐怖は消えていった
世界中の望遠鏡がアポフィスを追いかけ、軌道のデータが少しずつ精密になっていった。2013年にはNASAが「2029年と2036年の地球衝突の可能性は完全に排除された」と発表。さらに2021年のレーダー観測で、少なくとも今後100年間は衝突の心配がないことが確かめられた。
軌道予測の精度は、観測データが増えるほど上がる仕組みだ。新しい望遠鏡や電波レーダーが投入され、何百回もの位置測定が積み重なった結果、不確かさの範囲は手のひらサイズから髪の毛一本ほどに縮んだといってよい。
こうしてアポフィスは「地球を滅ぼす天体」から「地球をすぐそばで通り過ぎる珍しい客人」へと立場を変えた。だが、その近さがかえって科学的な大チャンスを生み出すことになる。望遠鏡で遠くから眺めるしかなかった天体に、人類は探査機を送って表面を直接調べられる距離で出会えるのだ。
2026年5月: ESAとJAXAがベルリンで握手した日
イタリア大使館で交わされた覚書
2026年5月7日、ベルリンにあるイタリア大使館で歴史的な署名式が行われた。ESA長官のヨゼフ・アッシュバッハー氏とJAXA理事長の山川宏氏が、惑星防衛分野で協力を深める覚書に名前を連ねたのだ。会場を提供したのはイタリア宇宙機関(ASI)で、欧州内でこの計画を引っ張る立場にある。
覚書には、ラムセス計画への共同参加を含む具体的な協力内容が盛り込まれた。正式名称は「Rapid Apophis Mission for Space Safety」。直訳すると「宇宙安全のためのアポフィス即応ミッション」となる。「ラムセス」という愛称はアポフィスを倒したエジプトのファラオの名前から取られていて、神話の闇の神に立ち向かう探査機という構図だ。
日欧で持ち寄る技術と役割分担
探査機の主契約企業はOHBイタリアで、機体の基本設計と組み立てを担う。ESA側は探査機全体のとりまとめと運用、各種科学観測を受け持つ。一方JAXAは、宇宙空間で展開する軽量ソーラーアレイと赤外線イメージャーを提供する。
赤外線イメージャーは、アポフィスの表面温度や熱の伝わり方を読み取る装置だ。岩のかたまりなのか、瓦礫が緩く集まっただけの構造なのか、見た目だけではわからない内部の様子を熱の動きから推測できる。日中と夜で表面温度がどれだけ変わるかを測れば、岩が密にくっついているか、隙間だらけのスポンジのようなものかを言い当てられる。
打ち上げに使われるのはJAXAのH3ロケット。種子島宇宙センターから2028年に飛び立ち、2029年の地球フライバイの前にアポフィスとランデブーする計画だ。日本の主力ロケットが欧州主導の惑星防衛ミッションを宇宙へ運ぶ構図は、両機関の協力関係の象徴ともいえる。
ラムセスが集めるべきデータ
ラムセスの最大のミッションは、地球の重力がアポフィスをどう変化させるかを「ビフォー・アフター」で観測することだ。形が歪む、表面の岩が動く、自転の軸がぶれる――こうした変化を測れば、小惑星の内部構造や強度がわかる。
地球の重力でアポフィスにかかる力は潮汐力と呼ばれる。月が地球の海を引っ張って潮の満ち引きを起こすのと同じ原理だ。岩の塊である小惑星にも同じ力が働き、形をわずかに変形させる。その変形量を計測することで、内部がどんな構造なのかを推し量れる。
このデータは、将来もし本当に地球と衝突しそうな天体が見つかったとき、軌道を逸らす作戦を立てる材料になる。地震計を当てて揺らすような外科手術を、誰もまだ天体に対して行ったことがない。アポフィスは絶好の予行演習の場なのだ。NASAが2022年に行ったDART計画では小惑星に探査機をぶつけて軌道を変えることに成功したが、対象天体の中身がわからないままだった。ラムセスはその「中身」を読み解く役割を担う。
2029年4月13日: 静止衛星より近くを通り抜ける夜
高度3万2000キロメートルという驚きの近さ
2029年4月13日、アポフィスは地球の表面からわずか3万2000キロメートルの距離まで近づく。これは静止軌道(高度約3万6000キロメートル)よりも内側だ。テレビ放送に使われる衛星が浮いている場所より、もっと地球寄りを巨大な岩塊がかすめていく計算になる。
375メートルというサイズは、東京タワーをぐるりと包めるほどの大きさだ。これだけの天体が地球にここまで近づく出来事は、5000年から1万年に1度しか起こらないとされる。人類が望遠鏡を持ってから一度も経験していないイベントだといってよい。
20億人が肉眼で空を見上げる
もう一つ驚くべきは、この大接近が望遠鏡なしで楽しめる天体ショーになることだ。ESAの試算によると、地球上の最大20億人が肉眼でアポフィスを見られる。ヨーロッパ、アフリカ、西アジアの広い範囲から、夜空を横切る速い「星」として確認できる見込みだ。
明るさは三等星ほどになると予想されている。これは、街明かりが少ない場所なら誰でも見つけられる程度の輝きだ。新幹線の窓から流れる景色のようなスピードで、星座のあいだを動いていく姿が観測できる。動きの速さは1時間で月の見かけ直径の数倍ほど移動するくらいで、短い時間でも位置の変化がはっきりわかるレベルだ。
残念ながら日本からは大接近の瞬間は地平線下にあたる。ただし接近の前後数日間は望遠鏡で追える明るさが続くため、国内の天文ファンも観測のチャンスがある。
接近後もNASAが追いかける
アポフィスの観測は地球フライバイで終わらない。NASAも独自の探査機OSIRIS-APEXをアポフィスへ送り込む計画を進めている。これは小惑星ベンヌからサンプルを持ち帰ったOSIRIS-RExを改名・再利用したもので、フライバイの直後にアポフィスへ到達して周回観測を始める段取りだ。
日欧のラムセスが「フライバイの前後でどう変わったか」を記録し、NASAのOSIRIS-APEXが「変化した後の姿」を詳しく観察する。3つの宇宙機関のリレーで、人類は初めて天体が惑星に揺さぶられる現場をフルコース観察できることになる。観測データは各機関で共有され、内部構造のモデル化に使われる予定だ。
アリゾナの空に小さな点として現れた2004年から、ベルリンの大使館で署名が交わされた2026年へ。そして3年後、夜空を駆ける本物の姿を世界が見上げる日がやってくる。22年がかりで人類は、闇の神の名を持つ岩塊と本当の意味で出会うことになる。
2029年って、もうすぐじゃない! わたしも夜空見上げてみたい!
アポフィスの大接近まで、あと3年弱。打ち上げから観測まで、これからの日欧の挑戦が天体観測の歴史を塗り替えようとしている。










コメント