シルミーはかせ、がんって血管から栄養をどんどん奪って大きくなるんだよね? じゃあ栄養を断てば、飢えて弱るはずじゃないの?
いいところを突くね。ところが膵臓がんはしぶといんだ。栄養が足りなくなると、なんと自分の中に神経を呼び込んで、その神経に食料を運ばせて生き延びる。がんが神経を宅配便として使う——そんな衝撃の研究があるんだよ。
がんは血管から栄養をかすめ取って増えていく。ならば栄養を絞ってやれば兵糧攻めにできる——素朴に考えれば、そうなりそうなものだ。ところが膵臓がんは、その常識をあっさり裏切ってみせる。ニューヨーク大学(NYU)ランゴン医療センターのグループが2020年に医学誌『Cell』へ報告したのは、飢えた膵臓がん細胞が自らの内側へ神経を引き込み、その神経に栄養を運ばせて生き延びる、という驚くべき生存戦略だった。がんと神経のあいだに、思いもよらない“取引”が成立していたのだ。いったいどんなカラクリなのか、順を追って解きほぐしていこう。
膵臓がんは自らを『兵糧攻め』にしてしまう
膵臓がんの正式な名前は膵管腺がん(PDAC)という。がんの中でもとりわけ手ごわいことで知られ、診断後5年後に生存している人の割合、いわゆる5年生存率は10%を下回る。早期発見が難しく、見つかったときには周囲へ広がっていることが多いためだ。だが、この手強さの裏には、膵臓がんならではの奇妙な体質が隠れている。
その体質とは、腫瘍の内部がびっしりと硬い線維組織で埋め尽くされていることだ。がん細胞そのものよりも、周りを固める“間質”と呼ばれる結合組織のほうが体積を占めている腫瘍すら珍しくない。膵臓がんを手で触れるとゴリッと硬いのは、このコンクリートのような線維組織のせいである。
ところが、この硬い壁が思わぬ副作用を生む。ぎゅうぎゅうに詰まった線維組織が内部の血管を押しつぶし、血の巡りを乏しくしてしまうのだ。血管が細れば、血液に乗って運ばれてくるはずの酸素や栄養も届きにくくなる。腫瘍は自分で作り上げた頑丈な鎧のせいで、自らを兵糧攻めの状態に追い込んでいるようなものだ。
この硬い壁は、治療の面でもやっかいだ。血流が乏しいということは、点滴で投与した抗がん剤も腫瘍の奥まで届きにくいということを意味する。膵臓がんが数あるがんの中でもとりわけ薬の効きにくい相手とされる背景には、この物理的な壁の存在も小さくない。栄養も薬も寄せつけない要塞——それが膵臓がんという腫瘍の一面だ。
とりわけ足りなくなるのが、細胞が体を組み立てるのに欠かせないある部品だった。がん細胞はものすごい速さで分裂・増殖するため、材料の消費量も桁違いに多い。栄養の供給ルートが細っているのに、需要だけは膨れ上がる——この深刻な板挟みの中心にあったのが、次に紹介する『セリン』という分子だった。
がん細胞が渇望する部品『セリン』の正体


セリンは、タンパク質を組み立てる材料であるアミノ酸の一種だ。20種類あるアミノ酸のうちのひとつで、それ自体がタンパク質の部品になるだけでなく、遺伝情報を担うDNAやRNAの材料づくり、細胞のエネルギー代謝など、増殖に直結するさまざまな工程で使い回される。分裂を繰り返すがん細胞にとって、セリンは工場のラインを止めないための必需品なのだ。
使い道の広さも見逃せない。セリンは、細胞が分裂するたびに大量に必要となる遺伝物質の部品を組み立てる材料になり、さらに“炭素の受け渡し”を担う代謝の要所にも供給されて、増殖に欠かせない一連の反応を下支えしている。細胞にとってのセリンは、単なる一部品というより、増殖工場そのものを回す潤滑油に近い。それだけに、供給が切れたときのダメージは深刻だ。
幸い、多くの細胞はセリンを外から取り込むだけでなく、自前で合成する能力も持っている。糖を分解する途中でできる中間産物を材料に、PHGDH(ホスホグリセリン酸脱水素酵素)という酵素を使ってセリンを作り出すのだ。いわば自炊のできる細胞で、外からの供給が細っても、自分の台所で必要な分をまかなえる。
ところが研究チームがヒトの膵臓がんの細胞を調べると、およそ4割はこのPHGDHをほとんど持っていなかった。自炊のできない細胞、つまりセリンを自分では作れず、外からの“外食”に完全に依存するタイプだったのだ。健康な環境ならそれでも困らないが、問題は膵臓がんの内部が血流の乏しい飢餓状態にあることだった。
自分では作れず、血液からも十分に届かない。そんなアミノ酸が枯渇すれば、増殖どころか細胞の維持すら危うくなる。理屈のうえでは、このタイプのがんは兵糧攻めであっけなく行き詰まるはずだった。にもかかわらず、現実の膵臓がんは平然と増え続ける。この矛盾の答えこそ、研究の核心だった。
飢えたがんが放つ救難信号『NGF』


飢えに追い込まれた膵臓がん細胞は、じっとしてはいなかった。細胞は外へ向けて、ある特別なタンパク質を分泌しはじめる。神経成長因子(NGF)と呼ばれる物質だ。名前のとおり、これは神経の成長をうながし、神経を引き寄せる働きを持つ、古くから知られた信号分子である。
NGFは、いわば遭難者が空へ打ち上げるのろしのようなものだ。この信号を受け取った周囲の感覚神経や交感神経は、腫瘍のほうへ向けて神経の枝を伸ばしはじめる。その結果、本来なら神経がまばらな場所へ、次々と神経が入り込んでくる。腫瘍が神経で“配線”されていく、この現象を神経支配という。
ちなみにNGFは、決して無名の脇役ではない。神経を育てる因子としての発見は1986年のノーベル生理学・医学賞につながった、生命科学の教科書に載る有名分子だ。しかもその発見のきっかけは、マウスの腫瘍を移植すると近くの神経の成長が促された、という観察だった。がんと神経のつながりは、じつは半世紀以上前からNGFという糸でひそかに結ばれていたのだ。膵臓がんが強い背中や腹の痛みを起こしやすいのも、こうしてがんと神経が濃密に絡み合う性質と地続きにある。
ここが直感に反する肝心なところだ。ふつう私たちは、がんが神経を傷つけたり侵したりする側だと思いがちだ。実際、膵臓がんは神経の隙間に沿って広がる“神経周囲浸潤”を起こしやすい、神経好きのがんとして知られている。ところがこの研究が描き出したのは、がんのほうから神経を積極的に招き入れる、いわば自作自演の呼び込みだった。
では、なぜ飢えたがんはわざわざ神経を呼ぶのか。傷つけるためでも、痛みを起こすためでもない。招き入れた神経に、ある“届け物”を運んでもらうためだった。その届け物こそ、枯渇していたはずのセリンだったのだ。
神経の枝『軸索』が栄養の配達人になる


神経細胞は、本体から長い枝を伸ばして信号をやり取りする。この枝を軸索という。研究チームがこの軸索を詳しく調べると、驚くべきことに、軸索はセリンを周囲へ分泌していた。それも、ふつうのL型のセリンに加え、鏡像の関係にあるD型のセリンまで放出していたのだ。神経は電気信号を伝えるだけの配線ではなく、栄養を差し出す“配達人”でもあった。
とりわけ目を引くのが、鏡像体であるD型セリンまで届けられていた点だ。アミノ酸には、右手と左手のように形が鏡写しになったL型とD型があり、体内で使われるのはほとんどがL型に限られる。数少ない例外であるD型セリンは、ふだん脳内で神経の情報伝達を助ける特殊な分子として知られている。その珍しい分子までもが、ここでは飢えたがんを養う食料として差し出されていた。神経が持ち前の道具を、まったく別の目的へ転用させられている構図だ。
この配達を裏づけたのが、微細な流路を刻んだチップの上で神経細胞とがん細胞を別々の部屋に分け、通路でつないだ実験だ。セリンを抜いた飢餓状態でも、隣に神経細胞がいるとがん細胞は生き延びて増えた。神経がそばにいるだけで、飢えたがんが息を吹き返す——配達人の存在がはっきりと確かめられた瞬間だった。
こうして一本の生存回路が浮かび上がる。がんが飢える→救難信号NGFを出す→神経が腫瘍へ枝を伸ばす→軸索がセリンを届ける→がんが息を吹き返して増える。飢餓をきっかけに自分で助っ人を呼び、その助っ人に食料を運ばせる。膵臓がんは、逆境そのものを生き延びる仕掛けの引き金に変えていたのだ。
しかも、この物語はマウスの中だけの絵空事ではなかった。チームは約138検体に及ぶヒトの組織を並べて解析し、セリンを自分で作る力が弱い腫瘍ほど、内部に神経が密に入り込んでいることを確かめている。自炊できないがんほど配達人を多く呼ぶ——ヒトの体の中でも、同じ取引の跡がしっかりと刻まれていた。
飢えても止まらない『翻訳のすり抜け術』


ここで、ひとつ厄介な謎が立ちはだかる。NGFもまた、アミノ酸をつなげて作るタンパク質だ。細胞がセリン不足で困り果てているのなら、あらゆるタンパク質作りが滞るはずで、肝心の救難信号NGFさえ作れなくなってしまうのではないか。飢えているのに、どうやって助けを呼ぶ手紙を書くのか、という矛盾である。
答えは、遺伝情報の“暗号”の読み方に隠れていた。タンパク質は、DNAの情報を写し取ったmRNAを、3文字ずつの暗号(コドン)として読み進めながら組み立てられる。セリンを指定するコドンは6種類あるのだが、セリンが枯渇すると、そのうちTCCとTCTという2種類のコドンのところで、読み取り装置であるリボソームが引っかかって止まりやすくなることを、チームは突き止めた。
なぜ特定のコドンだけで詰まるのか。コドンを読み取り、対応するアミノ酸を運んでくるのはtRNAという小さな運び屋だ。セリンが枯渇すると、セリンを積んだtRNAの在庫も細っていく。すると、その運び屋を必要とするコドン——とりわけTCCとTCT——のところでリボソームが順番待ちを起こし、先へ進めなくなる。材料切れが、暗号を読む速さのムラとなって表に出てくるのだ。
工場でたとえるなら、特定の型のネジだけが在庫切れになった状態だ。そのネジを多用する製品のラインは止まってしまう。ところがNGFの“設計図”は、たまたまその2種類のコドンをほとんど使っていなかった。だから在庫切れの影響を受けず、まわりのラインが止まる中でもNGFだけは作り続けられる。飢餓の中で、救難信号を優先的に組み立てられる仕組みだったのだ。
飢えを引き起こす当のセリン不足が、そのセリンを届けさせるための信号だけは通してしまう。障害物が特定の伝言だけを素通りさせる、巧妙なすり抜けである。飢餓という危機のさなかでも、助けを呼ぶ声だけは守られるように暗号が組まれている——細胞がたどり着いた、恐ろしく洗練された適応だった。
マウス実験『神経を断てば、がんも痩せる』


神経による配達が本当にがんを支えているのか。それを確かめるため、チームはマウスの膵臓にヒトのがん細胞を移植し、餌を二通りに分けて育てた。ふつうの餌を与えるグループと、セリンとその仲間のグリシンを抜いた餌を与えるグループだ。栄養の入り口を絞ったとき、腫瘍がどうふるまうかを見ようという実験である。
セリンを抜いた餌のグループでは、腫瘍の成長がおよそ半分に鈍った。飢餓が効いた証拠だ。ところが同時に、その腫瘍の内部では神経の入り込みがむしろ増えていた。栄養を絞られたがんが、足りない分を補おうと、いっそう多くの配達人を呼び寄せていたわけである。追い詰められるほど神経に頼る——回路の存在をはっきりと示す反応だった。
この“餌を絞るほど神経が増える”という反応そのものが、回路の巧妙さを物語っている。がんは補給が細ると、より必死に配達人をかき集めて凌ごうとする。だとすれば、栄養制限という兵糧攻めだけでは決定打になりにくい。逃げ道を残したまま締め上げても、裏口からの配達でしぶとく持ちこたえられてしまうからだ。ここに、もう一手が要る理由があった。
そこでチームは、配達ルートそのものを断つ一手を加えた。NGFの信号を受け取る側の“アンテナ”をふさぐTRK阻害薬(ラロトレクチニブ)を投与したのだ。セリン制限の餌に加えてこの薬を使うと、腫瘍の成長はさらにおよそ半分にまで抑え込まれた。血液からの補給を細らせたうえで、神経という抜け道まで塞いだことになる。
栄養を断つだけでは、がんは神経という裏ルートで食いつなぐ。だが、その裏ルートも同時に断てば、さすがのがんも供給に追いつけなくなる。神経は腫瘍のそばにたまたま居合わせた脇役ではなく、生存を支える正真正銘の補給線だった——この実験は、それを因果関係として裏づけたのだ。
『40%』という数字が指し示す治療の糸口


ここで、先に出てきた“4割”という数字が効いてくる。自分でセリンを作れないPHGDHの乏しい膵臓がんは、外からの供給、すなわち神経の配達に人一倍頼っている。つまり、この4割の患者のがんこそ、栄養と神経の二重の補給線を断つ作戦が最も刺さる相手だと考えられる。狙いどころのはっきりした、有望なサブグループなのだ。
具体的な作戦として描かれるのが、手術のあとにセリンを控えた食事を組み合わせつつ、ラロトレクチニブのようなTRK阻害薬で神経の配達を止める、という合わせ技だ。この薬はすでに、特定の遺伝子の変化を持つがんの治療薬として承認されている。つまり、まったくのゼロから薬を作るのではなく、既存の薬を新しい狙いで使い直せる可能性がある。
この発想の新しさは、標的をがん細胞そのものだけに絞らない点にある。これまでの抗がん剤の多くは、増えるがん細胞を直接たたくことを狙ってきた。だがこの作戦がねらうのは、がんを支える神経という“補給部隊”のほうだ。腫瘍を取り巻く周囲の環境まで戦場に含めて考える——そうした攻め方の広がりを、この研究は具体的な標的とともに指し示している。
ただし、はしゃぎすぎは禁物だ。今回の成果は培養細胞とマウス、そしてヒトの組織サンプルの解析から導かれたもので、患者で効果が証明された治療法ではない。食事制限だけでがんが消えるわけでもなく、人の体はマウスよりずっと複雑だ。実際の治療に届けるには、これから慎重な臨床試験を積み重ねる必要がある。
それでも、この研究が示した見取り図の意味は大きい。がんは孤立して暴れる細胞のかたまりではなく、血管や神経といった体の仕組みを巧みに巻き込んで生き延びる、環境を食い荒らす“したたかな居候”だった。腫瘍を取り巻く環境ごと捉え直すこの視点は、手ごわいがんを攻める新しい角度を、私たちに指し示している。
がんは単独で暴れるだけの存在じゃない。血管や神経を巻き込み、体の配線ごと自分の食料網に作り替えて生き延びる、したたかな相手なんだ。だからこそ、栄養と神経の両方を同時に断つ発想が生まれた。



栄養を断つだけじゃダメで、“配達ルート”も一緒に断つ発想か…。がんの意外なずる賢さにちょっとゾッとするけど、弱点が見えたぶん希望も感じるね!
がんを“暴走する細胞”とだけ捉えていると、こうした搦め手をまるごと見落としてしまう。膵臓がんは、飢えという逆境を逆手に取り、神経という体の配線を自前の食料網に変えてしまうしたたかさを備えていた。だが裏を返せば、その巧妙な配達ルートこそが弱点にもなりうる。栄養と神経、二つの補給線を同時に断つ——一見すると机上の空論めいたこの発想が、いつか手ごわいがんへの新しい一手につながるかもしれない。私たちの体の中で日々くり広げられている攻防は、想像よりもずっと立体的で、したたかだ。
参考文献:
一次ソース: Banh RS, Biancur DE, Yamamoto K, et al. “Neurons Release Serine to Support mRNA Translation in Pancreatic Cancer.” Cell, 183(5):1202-1218 (2020) DOI:10.1016/j.cell.2020.10.016 / PMID:33142117
研究機関: ニューヨーク大学(NYU)ランゴン医療センター パールマッターがんセンター(共同:ダナ・ファーバーがん研究所、テキサス大学MDアンダーソンがんセンター ほか)










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