「確かに見た」——そう確信している記憶が、実は一度も起きていない出来事だったとしたら。私たちの記憶は、録画データのように正確なものではなく、思い出すたびに作り直される、あやふやなものだ。そして、大麻の成分THCは、この「ありもしない記憶」を作りやすくすることが、研究で示されている。
この発見は、単なる心理学の話にとどまらない。目撃証言や、取り調べといった、法的な場面にも深く関わる。ただし、注意したいのは、これが「大麻使用者の証言は信用できない」という話ではない、ということだ。偽記憶とは何か、なぜTHCがそれを増幅するのか、そして、この知見をどう受け止めるべきか。中立的な目で、丁寧に読み解いていこう。
偽記憶とは、何か
記憶は「録画」ではなく「描き直す似顔絵」
まず、偽記憶の話をする前に、記憶の性質を知っておこう。記憶は、録画データのように、そのまま保存され、再生されるものではない。思い出すたびに、断片から「再構成」される。心理学では、これを構成的記憶と呼ぶ。想起のたびに、当時の断片的な情報に、後から得た知識や、他人の話、思い込みが継ぎ足され、上書き保存のように、書き換わっていくのだ。
偽記憶(false memory)とは、この過程で、実際には起きていない出来事を「確かに経験した」と、本人が確信してしまう現象を指す。重要なのは、これは嘘や演技ではない、という点だ。本人の主観では、本物の記憶と区別がつかない。記憶は、防犯カメラの録画ではなく、目撃者の証言をもとに、毎回描き直される似顔絵に近い。描き直すたびに、その場の雰囲気や、後から聞いた情報が、線に紛れ込む。日常でも、「あの会議で言った、言わない」の食い違いの多くは、これで説明できる。
偽記憶研究の第一人者、ロフタス
この偽記憶研究の第一人者が、アメリカの心理学者、エリザベス・ロフタスだ。彼女の代表的な発見が、「誤情報効果」である。同じ交通事故の映像を見せた後、質問の動詞を「接触した」か「激突した」かだけ変えて速度を尋ねると、「激突した」を使った群のほうが、高い速度を回答した。さらに、「割れたガラスを見たか」という誤った質問にも、「見た」と答える人が増えた。実際の映像に、ガラスの破片は映っていないにもかかわらず、である。
つまり、質問の言葉遣い一つで、事後的に記憶の中身が書き換わることを、示したのだ。この研究は、目撃証言の信頼性に、強い疑問を投げかけた。実際、後にDNA鑑定で無罪が確定した冤罪事件の分析では、誤った目撃証言が関与したケースが、多数を占めるという報告もある。ロフタスは、この偽記憶と大麻に関する研究にも、共著者として参加している。今回の研究は、彼女が発展させてきた手法の上に、成り立っているのだ。

記憶が思い出すたびに書き換わるなんて! 「確かに見た」も怪しいんだね。
THCと記憶――複数の研究が示すこと


記憶を仕分ける「海馬」に効く
では、なぜ大麻が記憶に影響するのか。大麻に含まれる主要な精神活性成分、THC(テトラヒドロカンナビノール)は、脳内の「CB1受容体」に強く結合する。このCB1受容体は、脳全体に分布するが、とりわけ、記憶に関わる「海馬」に多く存在する。海馬は、新しい出来事を記憶として固定する、いわば記憶の編集室だ。入ってきた情報を整理して、正しい棚にしまう仕事をしている。
THCがこの受容体を活性化すると、海馬の中の情報のやり取りが乱れる。新しい情報を正確に取り込み、必要な情報だけを整理して固定する働きが、妨げられると考えられている。THCは、記憶の編集室の照明を薄暗くするようなもので、似た資料を取り違えて、別の棚に入れてしまいやすくなる。これが、古くから知られる「大麻使用時に、短期記憶が低下しやすい」という現象の、神経的な基盤の一部だ。
厳密な実験で確かめられた
今回の研究は、この影響を、厳密な方法で検証した。時々大麻を使う健康な成人64人を対象に、医師も被験者もどちらが本物かを知らない「二重盲検」という、信頼性の高い方法で行われた。参加者は、THCを摂取する群と、偽の薬を摂取する群に分けられ、複数の記憶課題を受けた。
課題の一つが、関連する単語のリストを聞かせ、聞いていない単語を「聞いた」と思い込むかを見る手法だ。もう一つは、仮想現実で、駅での喧嘩などの場面を体験させ、その後、誘導的な質問を交えて、どれだけ誤った記憶が作られるかを見るものだった。結果、大麻を摂取した群は、偽の薬の群に比べて、偽記憶が明らかに多かった。しかも、その傾向は、1週間後、素面に戻ってからの再テストでも、一部持続していたのである。
「見ていないもの」を見たと思い込む


「情報源の混同」という現象
なぜ、人は見ていないものを「見た」と思い込むのか。鍵になるのが、「情報源の混同」という現象だ。記憶は、「何を経験したか」という内容だけでなく、「それを、いつ、どこで、どうやって知ったか」という、情報源のタグも一緒に保存している。ところが、このタグ付けの精度が落ちると、後から聞いた話や、質問者が示唆した内容を、あたかも自分が直接見聞きしたことのように、取り違えてしまう。
情報源の混同は、複数のレシートを、財布にごちゃまぜに突っ込んでおくようなものだ。後から見返したとき、「これは、どの買い物のレシートだっけ」と、取り違える。誘導的な質問、たとえば「割れたガラスを見ましたか」は、実際には存在しなかった要素を、既定事実であるかのように、会話に混ぜ込む。記憶に「穴」がある状態で、この示唆を受けると、脳は、その穴を、もっともらしいストーリーで、無意識に埋めようとする。これが、偽記憶の典型的な発生メカニズムだ。
THCは、その識別を鈍らせる
THCを摂取すると、この情報源を識別する能力そのものが、低下すると考えられている。今回の研究では、大麻の群が、誘導的な質問だけでなく、示唆のない中立的な質問に対してすら、誤答が増えていた。これは、単に「誘導に乗りやすい」だけでなく、記憶を整理して思い出す作業全般の精度が、落ちていることを示唆している。
「見た」という確信は、実は「見た」ことの証拠ではなく、「その情報が、どこから来たか分からなくなった」ことの結果かもしれない。THCは、財布の中の整理を、さらに雑にしてしまう。そう考えると、大麻使用時の記憶が、なぜあやふやになりやすいのかが、見えてくる。「大麻で記憶がぼやける」という表現は、感覚的には正しいが、実態は「情報を消す」というより「余計な情報を混ぜてしまう」という、意外と逆方向の現象だったのである。
記憶を消すんじゃなくて、余計な情報を混ぜちゃうんだ! 逆方向なんだね。
脳では何が起きているのか


記憶を「束ねる」作業の乱れ
もう少し、脳の中を詳しく見てみよう。海馬は、新しい体験を「エピソード記憶」として、一つのまとまりに結びつける働きをしている。いつ、どこで、誰と、何が起きたか。そうした断片的な情報を束ねて、一つの出来事として保存する、タグ付けの作業を担う。CB1受容体は、この束ねる作業に関わる神経回路の、スイッチのような役割を果たしている。
THCがこのCB1受容体を刺激すると、本来なら抑えられるはずの、無関係な連想や情報までもが、記憶の束に紛れ込みやすくなる。海馬の情報処理は、複数の書類を、種類ごとにクリップで束ねる作業に似ている。CB1受容体の活性化は、そのクリップの締まりを緩めるようなもので、関係のない書類が紛れ込んでも、気づきにくくなるのだ。
「消す」のではなく「混ぜる」
この機序が示すのは、THCが記憶を単純に「消す」のではなく、記憶が形作られる過程そのものに、雑音を混ぜ込む、ということだ。本来無関係な情報同士を、誤って結びつけてしまう。だから、大麻の影響下では、実際には見ていない詳細が、記憶の中に紛れ込みやすくなる。
この理解は、大切だ。「記憶が飛ぶ」という一般的なイメージとは、少し違う。飛ぶのではなく、余計なものが加わる。だからこそ、偽の記憶が生まれる。海馬という記憶の中枢が、THCによって、情報の取捨選択を、うまくできなくなる。その結果として、「見ていないものを見た」という現象が起きる。脳の仕組みから見ると、この現象が、より深く理解できるのである。



情報源の混同、レシートのたとえ分かりやすい! どこで知ったか忘れるんだ。
どう受け止めればいいのか


目撃証言への、含意
この研究が、単なる基礎心理学の枠を超えて注目されたのは、目撃証言や取り調べという、実社会の場面に直結する含意を持つからだ。研究チームは、大麻の影響下にある目撃者や被疑者への聴取は、最小限にとどめ、可能であれば「本人が素面に戻ってから」質問するのが望ましい、と提言している。世界的に大麻の合法化が進む中で、事件の当事者が大麻使用中だったケースの取り扱いは、今後増えていくと考えられるからだ。
ここで、注意したいことがある。この研究が示したのは、「大麻使用者の証言は、すべて信用できない」ということではない。「THCの影響下では、誘導的な質問によって記憶が書き換わるリスクが、平常時より高まる」という、条件付きの知見だ。誘導尋問の危うさは、そもそも、大麻の有無にかかわらず、素面の人間にも当てはまる、普遍的な問題である。今回の研究は、その脆弱性を、大麻が「増幅させる」ことを示したもの、と位置づけるのが正確だ。
誰の記憶も、書き換わりうる
誘導尋問への弱さは、誰もが持っている「記憶のひび割れ」のようなものだ。THCは、そのひび割れを、広げる働きをする。この視点に立てば、大麻の有無を問わず、質問の仕方一つで、真実が歪められうるという構造そのものに、目を向ける必要がある。冤罪の分析でも、誤った目撃証言が関与したケースは、少なくない。記憶は、誰にでも書き換わりうるのだ。
だからこそ、この研究は、大麻使用者を糾弾するものでも、擁護するものでもない。中立的に、「THCが記憶の脆弱性を高める」という事実を示し、それをどう扱うべきかを、社会に問いかけている。記憶という、私たちが最も確かだと信じているものが、実は、思いのほか、あやふやで、外部の影響を受けやすい。その事実を、冷静に受け止めることが、大切だ。
大麻使用者を糾弾する話じゃないんだね。中立に事実を示すの、大事だ。
記憶のあやうさを、知るということ


「はっきり覚えている」と、正確さは別
この研究が、私たちに教えてくれる、最も普遍的な教訓は、これだ。「はっきり覚えている」という確信の強さと、記憶の正確さは、別物である。ロフタスの研究が、繰り返し突きつけてきたのが、この一点だった。私たちは、自分の記憶を、確かなものだと信じがちだ。だが、その確信すら、実は編集済みの映像かもしれない。
大麻は、その編集を、より起こりやすくする。だが、根っこにあるのは、大麻の有無を超えた、記憶そのものの性質だ。記憶は、書き換わる。誘導に弱い。情報源を、取り違える。この普遍的な事実を知ることは、自分の記憶とも、他人の証言とも、より慎重に付き合うための、大切な土台になる。
謙虚に、記憶と向き合う
次に、あなたが「絶対にこうだった」と、記憶を強く主張したくなったとき、少しだけ、この研究のことを思い出してみてほしい。あなたの記憶も、私の記憶も、思い出すたびに、少しずつ書き換わっている。その謙虚さを持つことが、記憶の食い違いをめぐる、無用な争いを、和らげてくれるかもしれない。
記憶のあやうさを知ることは、決して悲観的な話ではない。むしろ、自分の心の仕組みを、より深く理解することだ。THCと偽記憶の研究は、大麻という切り口を通じて、私たち全員が持つ、記憶の不思議さと、もろさを、あらためて照らし出してくれる。その光の中で、自分の記憶と、他者の記憶に、少しだけ優しく、慎重に向き合えるようになれたら、と思う。
参考文献:
Cannabis increases susceptibility to false memory
Kloft, Otgaar, Loftus et al., PNAS 117(9), 4585-4589 (2020). DOI: 10.1073/pnas.1920162117
出典: Maastricht University / University of California, Irvine (Elizabeth Loftus) ほか










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