夜、寝室で耳を澄ますと、遠くのエンジンのような『ブーン』という低い音がずっと聞こえる。窓の外を見ても、音源になりそうな機械はない。
しかも隣で寝ている家族には聞こえていないことが多い――。
世界中で報告され続けてきたこの現象は「The Hum(ザ・ハム)」と呼ばれ、報告が広まった1970年代半ばから50年近く、はっきりした原因は分かっていない。
この長年の謎に、ドイツ・ミュンヘン大学病院(Ludwig-Maximilians-Universität München)とノルウェー科学技術大学(NTNU)のチームが挑んだ。
実際にハム音を聞いている28人を防音室に招き、原因の候補となる2つの仮説を実験で確かめた。結果は2026年3月27日付で学術誌『PLOS One』に掲載されている。
ハム音は、世界の人の2〜4%が聞いていると推定されています。
キク夜のブーンという音って、いつどこで言われ始めたんだろう?
ブリストルから始まった半世紀の謎


ハム音が広く知られるようになったのは、1970年代半ばのイギリス・ブリストルだった。
地元紙ブリストル・イブニング・ポストには、原因の分からない音が聞こえるという住民の手紙が次々と届き始めた。
百貨店の倉庫で動く大型のファンが原因として挙げられたが、その倉庫が数年後に閉鎖されても報告は続いた。
やがて同じ現象が英国の海沿いの街――ハイス、プリマス、サウサンプトン、スウォンジー――でも報告され、ロンドンにも広がった。
1990年代にはアメリカでも報告が出始め、最初はニューメキシコ州タオスとインディアナ州ココモだった。
現在ではカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、そして欧州各都市で報告が確認されている。数年前にはノルウェーのオスロでも住民の訴えが公共放送NRKで取り上げられた。
2012年にはカナダ人教師のグレン・マクファーソン氏が「World Hum Map and Database Project」というオンライン地図を立ち上げ、ハム音を体験した人の報告と場所の情報を集めている。
マクファーソン氏自身は、カナダ西海岸で暮らしていたときにハム音を聞いたが、同じ地域の別の都市に引っ越すと聞こえなくなったという。
ハム音の音の質は、アイドリング中のディーゼルエンジンの音にたとえられることが多いと、論文は説明している。
ハム音の原因として考えられてきた説明


ハム音の正体については、研究者や一般の人の間で、おもに「外に本物の音源がある」という説明と「聞く人の耳に特徴がある」という説明が考えられてきた。
1つ目は「音源は実在する」派。
換気ダクト、ヒートポンプ、遠くの道路交通、風車、あるいは波が海岸に打ちつける音や山を吹き抜ける風といった自然音、さらには工場の低周波ノイズなど、外にある本物の音波が原因だとする説だ。
低周波の音は波長が長く、かなりの距離を伝わるため、発生源を突き止めにくい。
ドレクスル教授は「実際に測定できる低周波の音を聞いている人がいることは分かっています。ほかの人には聞こえなくてもです。ただ、低周波の音は位置を特定しにくいので、音源を見つけるのは簡単ではありません」と話している。
2つ目は「聞こえる人の耳が特別」派。
同じ音の中にいても、人よりずっと低い音まで感じ取れる「異常に敏感な低周波聴覚」を持っているなら、他人には聞こえない低周波が本人だけ聞こえる、という理屈になる。
この研究では、耳の特徴に関わる仮説がもう1つ検証された。人の内耳(蝸牛)は、音を増幅する働きの副産物として、自ら微弱な音を出している。
これを「自発耳音響放射(SOAE)」と呼び、耳の中にマイクを入れれば実際に測ることができる。
この自分の耳が出している音が、低周波で鳴って本人に聞こえてしまっているのではないか、という仮説だ。
防音室で行われた3時間の検査
ノルウェー科学技術大学(NTNU)のマルクス・ドレクスル教授らのチームは、ミュンヘンの研究施設で、実際にハム音を聞いている当事者28人を集めた。
男性13人、女性14人、ジェンダー・ダイバース1人、年齢の中央値は53.5歳。SNSで自発的に集まっているハム音経験者コミュニティを通じてリクルートされた。
募集期間は2019年4月1日から5月31日までの2か月間だ。
比較のための対照群には、まったくハム音を聞いていない若い健聴者38人を大学の学生プールから採用した(CG1:31人、中央値24歳/CG2:7人、中央値22歳)。
全員が防音チャンバー内のリクライニングチェアに座り、休憩を挟みながら1人あたり合計3時間の検査を受けた。
実験の柱は2つ。1つ目は、その人が普段聞いている「ブーン」の周波数を特定し、その周波数の前後を1〜8Hzの細かい間隔で聴力測定すること。
もう1つは、耳の中にマイクを入れて、その人の内耳が自発的に発している音(SOAE)を測ることだ。「特別に敏感な耳」説と「内耳が鳴っている」説を、それぞれ物理的なデータで検証する狙いだ。
周波数の特定は自宅で行われた。参加者はオンラインの純音生成ツールを使い、1Hz刻みでつまみを回して、自分がいつも聞いているハム音とぴったり同じ高さになる周波数を探した。
研究室の中でもハム音が聞こえたかを尋ねたところ、聞こえたと答えたのは11人(28人の39%)だった。
外部の音源を確かめた参加者は2割ほど


参加者の約45%は、自分で、あるいは専門家の手を借りて、音の発生源になりそうなものを測ろうとしていた。
それでも、物理的な音源を確認できたと自己申告したのは、参加者全体の約20%だった。
外部の音源が見つかったという人は少数派だった。ただし、これは自己申告で、低周波は発生源をたどりにくいため、音源が無いと言い切れる結果ではない。
アンケートでは、68%が音の聞こえる方向(左右)を特定できないと答えた。
同じく68%は、家族や同居人にはハム音が聞こえないと答えた。また、68%は特定の場所でしか聞こえないと答えている。
71%は普段の環境を、1(とても静か)から10(とてもうるさい)の目盛りで5未満とし、86%はこの音をストレスだと感じていた。


「特別に敏感な低周波聴覚」説 ほとんどの参加者には当てはまらず
周波数を合わせられた23人では、聞こえるハム音の周波数の中央値は50Hzだった。
残る5人は、音の成分が複雑で純音では合わせられないと答えた。この5人には、10Hzと申告して非現実的な値とされた1人も含まれる。
次にチームは、各自が申告した周波数の前後を細かい間隔で測る聴力検査を行った。
もし聞く人の低周波の聴力が特別に敏感なら、しきい値(聞き取れる最小の音の大きさ)が、対照群から求めた基準範囲より低い値が多く出るはずだ。
ところが結果はそうならなかった。
ハム音を聞いている参加者のうち、11人(39.3%)は125Hz〜8kHzの通常聴力検査で20dB HL以上の閾値――つまり年齢相応の聴力低下を示していた。
ほとんどの測定値(89%)は、対照群から求めた基準範囲に収まった。基準範囲の下限より約20dBと約30dB低い、特に敏感な値を示したのは、2人の参加者だった(それぞれ28Hzと62Hz)。
この2人でも、際立って低かったのは、それぞれ1つの周波数での値だった。
論文は、ハム音を訴える人の中でも、異常に敏感な聴力をもつ人はさらに少数だと見ている。
ドレクスル教授は「調べたグループは小さいですが、低周波の音が特別によく聞こえるという仮説は、ほとんどの人には当てはまらないということです」と話している。
ただし、ごく狭い周波数の範囲(たとえば50〜51Hzの間)だけ聞こえやすくなる「しきい値の微細構造」は、通常の聴力検査では拾えない。
今回の研究では、この微細構造も測った。ところがハム音を聞かない対照群にも同程度の微細構造があり、論文は、それだけではハム音を説明できないとしている。
「内耳が鳴っている」説 低周波の放射は検出されず
もう1つの仮説は、本人が自分の内耳が出す音(SOAE)を聞いている、というものだ。
耳に入れたマイクで測定したところ、ハム音を聞く人でも対照群でも、約900Hz未満のSOAEは検出されなかった。
ヒトの内耳が出すSOAEは、おおむね500Hzから5000Hzの範囲にある。人で低周波のSOAEが報告されたことはないと、論文は述べている。
低周波のSOAEは測りにくいため、チームは専用の装置と信号処理で雑音を下げて測定した。
それでも見つからず、論文は、低周波のSOAEが存在し、しかも本人に聞こえるという2つのまれな条件が重なる必要があるため、この仮説は可能性が低いとしている。
有力な説明として挙がった低周波の耳鳴り
2つの仮説がどちらも多くの参加者に当てはまらなかったことから、論文が有力な説明として挙げたのが、低周波の主観的耳鳴り(subjective tinnitus in the low-frequency range)だ。
耳鳴りかどうかは今回の実験で直接調べたわけではない。論文は、聴力が正常で、外部の音源が確認できない人に当てはまりやすい説明だとしている。
ドレクスル教授は「私たちの結果からは、物理的な外部の音源がある場合を除外したわけではありませんが、低周波の主観的耳鳴りが、低周波の音を感じる原因であることが多いと考えています」と話している。
耳鳴りは、外に音源がないのに、耳や頭の中で音を感じる現象だ。論文は、耳鳴りは連続した高い音と思われがちだが、実際にはさまざまな音の特徴や時間的な形が報告されていると述べている。
参加者の39%は、ハム音とは別に、原因の分からない音も聞いており、その多くは高音の耳鳴りと表現された。
ただし、ハム音を聞く人は、音を外から来るものと感じていて、耳鳴りの可能性を考えにくいのかもしれないと論文は指摘している。
通常の耳鳴りは、頭の中で鳴る音として感じられるという。
参加者は、ハム音を話題にするSNSのグループから集まった28人と少なく、ドレクスル教授自身も、調べたグループが小さい点を認めている。
今後の研究では、ハム音が聞こえない家族も一緒に検査すべきだと論文は述べている。
寝室の低音と、これから調べること


なお、論文は、ハム音の報告には地域ごとにまとまりがあるように見えるものの、報告の偏りがありうるとして、結果の読み方に注意を促している。
また、外部の音源が実際にある人でも、聞こえやすさには正常な範囲で最大20dBほどの個人差があるため、不思議ではない場合があるとも述べている。
ドレクスル教授は「私たちが聴覚について知っていることの多くは、高い周波数の音をどう捉え、処理するかに基づいています。低周波の音や超低周波音を聴覚系がどう扱うかについては、あまり分かっていません」と話している。



夜のブーンは、低い音の耳鳴りのことが多いのかもしれないんだ。でも耳鳴りだと直接確かめたわけじゃないんだね。
参考文献:
一次ソース: Baumann B, Voss A, Jurado C, Drexl M. On the potential sources of a low-frequency sound percept that only a few can perceive (PLOS One, 2026年3月27日) DOI:10.1371/journal.pone.0326818
論文本文(オープンアクセス): PMC13028376
研究機関: ノルウェー科学技術大学(NTNU) / ミュンヘン大学病院(Ludwig-Maximilians-Universität München) / 二次ソース: ScienceDaily









