がん細胞の遺伝子の変化は、ふつうは長い時間をかけて少しずつ積み重なると考えられてきた。ところが一部のがんでは、1本または数本の染色体が一度に砕け、その断片がでたらめな順序でつなぎ直される。
この現象はクロモスリプシス(染色体粉砕)と呼ばれ、2011年に名前がつけられた。1回の出来事で数十から数百もの遺伝子の変化が生じうるが、何が染色体を砕くのかはわかっていなかった。
2025年12月、米カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCサンディエゴ)などのチームが、その役を担う酵素としてN4BP2を報告した。
根拠は、培養したがん細胞の実験、ヒトの細胞からつくった脳腫瘍をマウスの脳に移植したモデル、そして1万件を超えるがんゲノムデータの解析だ。
人の患者で治療に使える段階ではない。
1回の破局で数十〜数百の再編

2011年の初報告
クロモスリプシスを初めて報告したのは、英国のウェルカム・トラスト・サンガー研究所などのチームが2011年に『Cell』誌に発表した論文だ。
次世代シーケンサーでがんのゲノムを調べたところ、1本から数本の染色体の中で、数十から数百の組み換えが行き来するように重なっていた。
こうした形は、組み換えが長い時間をかけて一つずつ起きたとすれば説明しにくく、ほぼすべてが1回の細胞の危機の中で起きたと考えられるという。
がんの約4分の1に痕跡
初報告は、この1回の危機から、がんを引き起こす変化が1つ、あるいは複数生まれうると述べている。
UCサンディエゴの発表によると、クロモスリプシスの痕跡はがんのおよそ4分の1に見られ、がんの種類によってはさらに多い。
骨のがんである骨肉腫ではほぼすべてで痕跡が見つかり、多くの脳腫瘍でも割合が高いという。
一度に多くの変化が起きるため、がん細胞がすばやく性質を変え、治療に抵抗するようになる一因になると発表は説明している。
すべては「はぐれた染色体」から始まる
では、染色体はどこで砕けるのか。舞台は細胞分裂だ。分裂のときに染色体の振り分けを誤ると、取り残された染色体が微小核と呼ばれる小さな核のような構造に閉じ込められる。
がん細胞には微小核がよく見られる。微小核の膜は破れやすく、破れると中の染色体が細胞質にさらされ、細胞質にあるDNA切断酵素(ヌクレアーゼ)の作用を受けうる。
204種の酵素を1つずつ調べる
研究チームは、ヒトで知られている、または推定されているヌクレアーゼ204種のリストをつくった。
実験には、大腸がん由来のDld1細胞を改変し、Y染色体だけを狙って微小核に閉じ込められるようにした細胞を使った。
siRNAで酵素を1種類ずつ減らし、微小核の中のDNA損傷の目印(γH2AX)が弱まるものを、画像の解析で探した。
204種の酵素から見つかったN4BP2

上位12種からN4BP2を絞り込む
1回目の選別で上位に入った12種について、微小核に入ったY染色体が断片になる頻度を調べると、最も効果が大きかったのがN4BP2だった。
N4BP2は、超らせん状のDNAに切れ目を入れると報告されていたものの、働きはほとんどわかっていなかった酵素だ。
これまでクロモスリプシスとの関わりが指摘されていたTREX1やAPE1は、1回目の選別で上位に入らず、減らしてもY染色体の断片化は変わらなかった。
研究はUCサンディエゴ医学部のドン・クリーブランド教授(細胞・分子医学)らが率い、英国のケンブリッジ大学とウェルカム・トラスト・サンガー研究所も加わった。
成果は2025年12月11日、科学誌『Science』に掲載された。
取り除けば止まり、加えれば起きる
N4BP2をCRISPRで壊したDld1細胞では、微小核をつくらせてもY染色体の断片化が見られなくなった。
逆に、核に入るように細工したN4BP2を、N4BP2を欠くDld1細胞やがん由来のU2OS細胞でつくらせると、破れていない核や微小核でも24〜48時間のうちにDNA損傷が増え、染色体の断片化も増えた。
N4BP2が入った微小核のうち、破れていてDNA損傷の目印があったものは、Dld1細胞で95%、U2OS細胞で85%だった。
N4BP2の量を変えても微小核が破れる割合は変わらず、N4BP2は膜を破るのではなく、破れた後に中へ入って働くと考えられる。
論文はN4BP2を、破れた微小核でDNA損傷と染色体の断片化を引き起こす主要な酵素と位置づけている。
ただし、N4BP2を欠く細胞でもDNA損傷の一部は残り、ほかの酵素などが関わる可能性もあるという。N4BP2が正確にどのような酵素活性を持つのかも、今後の研究課題とされている。

ecDNA(染色体外DNA)との関わり

染色体の外にできるDNAの環
砕けた染色体の小さな断片が環状につながると、染色体の外にあるDNA、ecDNA(染色体外DNA)ができることがある。
UCサンディエゴの発表によると、ecDNAはがんを進める遺伝子を運んでいることが多く、がんの攻撃的な増殖や治療への抵抗性と深く結びついている。
ecDNAを多く持つ腫瘍は、治療が最も難しいものの一つとされる。
N4BP2を減らすとecDNAを持つ細胞が減った
チームは、抗がん剤メトトレキサートに耐性を持つがん由来のHeLa細胞に高濃度(640nM)のメトトレキサートを与え、薬の標的であるDHFR遺伝子を含むecDNAができる条件で実験した。
N4BP2をsiRNAで減らすと、ecDNAを持つ細胞の割合は、対照に比べて半分以下になった。
ただし、N4BP2を減らした細胞も、5番染色体の中でDHFR遺伝子を増やす別の仕組み(HSRと呼ばれる領域)で、薬に対する有利さを保っていた。
この実験からは、N4BP2を減らせば薬への耐性そのものを防げるとまでは言えない。
チームはがんゲノムのデータも調べた。TCGAの9,691件とPCAWGの667件を解析すると、N4BP2の発現が高い腫瘍ではクロモスリプシスが多かった。
N4BP2のコピー数が増えている腫瘍では、クロモスリプシスが3.7倍多く見られた。がん抑制遺伝子として知られるTP53の異常とクロモスリプシスの関連はオッズ比2で、N4BP2の方が強かった。
N4BP2の発現が高い腫瘍では、ecDNAを含む遺伝子増幅も多かった(オッズ比1.38)。ただし、これらはデータ上の関連で、それだけでは因果を示さない。
論文は、実験の結果と合わせて、N4BP2の増加が染色体の断片化を促すという仮説を支持するとしている。
この酵素は、治療の標的になるか
チームはさらに、TP53遺伝子を欠きPDGFRA遺伝子に変異を持つヒトiPS細胞から神経系の前駆細胞をつくり、マウスの脳に移植して悪性度の高いグリオーマ(脳腫瘍)を発生させるモデルで調べた。
N4BP2を欠く細胞では、破れた微小核のDNA損傷とecDNAが減り、できた腫瘍は小さく、増殖中の細胞も少なかった。
ただし、腫瘍の大きさを比べたマウスは各群4〜5匹と少数だ。
論文は、N4BP2の発見ががん治療の新しい標的候補を加えるとし、N4BP2を阻害すればecDNAの形成を含むゲノム再編の始まりを妨げられる可能性があると述べている。
責任著者のクリーブランド氏は発表で「この発見は、がんで最も攻撃的なゲノム再編の一つに火をつける分子の『火花』を、ついに明らかにしました」「染色体を最初に砕くものを見つけたことで、がんの進化を遅らせるための、新しく実際に手を打てる介入点を得ました」と述べている。
道のりは、まだ長い
論文と発表には、N4BP2を狙う薬の話は出てこない。
クリーブランド氏も発表で「N4BP2や、それが活性化する経路を狙うことで、腫瘍が適応し、再発し、薬に抵抗するようになるのを許すゲノムの混乱を抑えられるかもしれません」と、可能性として語っている。
今回の結果は培養細胞とマウスのモデル、そしてがんゲノムデータの関連に基づくもので、人のがんでN4BP2を抑えたときの効果は、まだ確かめられていない。
がん細胞とマウスの実験で、壊れた微小核の染色体を砕く主な酵素がN4BP2だとわかったんだ。これを止める薬ができるかどうかは、これからの研究しだいだよ。
砕く役の酵素がわかったんだね。人のがんで役に立つかは、まだこれからなんだ。
参考文献:
一次ソース: Krupina, Cleveland et al., Chromothripsis and ecDNA initiated by N4BP2 nuclease fragmentation of cytoplasm-exposed chromosomes(Science, 2025)DOI:10.1126/science.ado0977
論文本文(PMC、著者原稿): PMC12795017
プレスリリース(UCサンディエゴ、ScienceDaily掲載): Scientists discover the enzyme that lets cancer rapidly rewire its DNA
研究機関: カリフォルニア大学サンディエゴ校 ほか / 関連研究: Stephens et al., クロモスリプシスの初報告(Cell, 2011)









