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常識を破った”説明不能”の超ステンレス! 海水から水素を作る新合金

2026 5/11
テクノロジー
2026年5月11日
🕑この記事は約8分で読めます
シルミー

はかせ、ステンレスって錆びない金属だよね? 海水でも平気なの?

はかせ

いい質問ですね。実は普通のステンレスは海水に電気を流すと壊れちゃうんです。でも香港大学が”説明できない”二重防御の新ステンレスを作ったんですよ

香港大学の研究チームが、海水を電気分解して水素を作るための新しいステンレス鋼を発表した。研究者自身が「現在の腐食科学では説明できない」と語る奇妙な現象が、グリーン水素のコスト問題を一気に塗り替える可能性を持っている。

目次

なぜ普通のステンレスは”海水水素”で壊れるのか

ステンレス製のシンクと光沢のある金属表面

クロム酸化膜という見えない盾

ステンレス鋼が錆びにくいのは、表面にクロム(Cr)が作る薄い保護膜のおかげだ。クロムが空気中の酸素と結びつくと、わずか数ナノメートルの酸化クロム(Cr2O3)の膜が金属を覆う。

この膜は傷ついてもすぐ自分で再生する。傷を擦ったそばから新しいバリアが立ち上がる、自己修復する透明な鎧のようなものだ。だからキッチンのシンクから橋梁、医療器具まで、ステンレスは100年以上にわたって”錆びない金属”として現代社会を支えてきた。

不働態膜と呼ばれるこの仕組みのおかげで、ステンレスは水道水や雨ぐらいなら何十年も平気で耐える。クロムが10%を超えれば”ステンレス”と呼べる、というのが冶金の教科書に書かれた基本だった。

1000mVの壁、水素生産には1600mVが要る

ところが海水を電気分解して水素を作ろうとすると、話が一気に変わる。水を酸素と水素に分解するには、飽和カロメル電極基準で約1600mVもの高い電圧がかかる。

普通のステンレスの保護膜は、その大きく手前である約1000mVで崩壊する。酸化クロムがさらに酸化されて、水に溶けてしまう6価クロム(Cr(VI))に変わるのだ。これを過不働態腐食と呼ぶ。

塩素イオンを大量に含む海水では、劣化はさらに加速する。針で刺したような孔が連続して開くピッティング腐食が広がり、電解槽の部品はあっという間にボロボロになる。これまで海洋環境用に磨かれてきた254SMOという超高級ステンレスでさえ、この電圧域では太刀打ちできなかった。

チタンに頼らざるをえない現場

そのため、現在の水素生産工場ではチタンに金や白金をコーティングした部品が使われている。腐食には強いが、価格は途方もない。

香港大の試算によると、10メガワット級のPEM電解槽システムの総コストは約1780万香港ドル。そのうち構造部材だけで53%を占める。海水という”無限の燃料”があっても、装置代で挫折してしまうのが現状だ。

大規模な海上風力と組み合わせて、洋上で水素を作る計画も世界各地で動いている。しかし、装置の心臓部をチタンと貴金属で固めているかぎり、コストの天井は破れない。電解槽の電極や構造材を、もっと安く、もっとタフな金属に置き換えること。それが海水水素の最大の宿題だった。

香港大が掴んだ”マンガンの裏切り”

金属研究室で実験を行う研究員

6年越しの謎を解いた研究チーム

香港大学機械工学科のMingxin Huang教授が率いる「Super Steelプロジェクト」は、長年、極限環境で生き残るステンレスを追いかけてきた。2017年と2020年には超高強度・超高靭性のSuper Steelを、2021年には抗ウイルス性能を持つ抗COVID-19ステンレスを発表している。

そのチームのKaiping Yu博士(論文第一著者)はある日、奇妙な現象に気づく。マンガンを多めに含むある組成の合金が、本来なら絶対に耐えられないはずの高電圧でも腐食しなかったのだ。

「最初は信じませんでした。腐食科学の常識では、マンガンはむしろステンレスの耐食性を弱めると考えられてきたからです。しかし原子レベルの結果がいくつも積み上がるうちに、確信せざるをえなくなったんです」とYu博士は振り返る。初観測から論文公開までおよそ6年。チームは何度も自分たちの目を疑い、追試と分析を繰り返した末に、ようやく現象を受け入れた。

720mVから現れる第2のシールド

新合金SS-H2の秘密は、逐次的二重不働態化(sequential dual-passivation)と呼ばれる戦略にある。電圧を低い側から上げていくと、まず通常通り酸化クロムの第1層が現れる。

そして電圧が約720mVに達したところで、その上にマンガン系の第2層がスッと立ち上がる。1階建てだった盾が、いきなり2階建てに増築されるイメージだ。

面白いのは、この2層が一度に作られるのではなく、電圧の段階に応じて順番に育つ点にある。1層目が機能する電圧帯では1層目だけで守り、2層目の出番が来てから初めて新しい膜が組み上がる。アトムプローブや高分解能の電子顕微鏡で観察された原子配列レベルのデータが、この”逐次型”の仕組みを裏付けた。

1700mVまで耐える二段構え

驚くべきはこの2層目の頑丈さだ。塩素イオンが暴れまわる環境でも、この二段構えのバリアは1700mVという超高電圧まで持ちこたえる。水を分解するのに必要な1600mVを、余裕で上回る数字だ。

「マンガンによる不働態化は、現在の腐食科学では説明できない反直観的な発見です。早くこのメカニズムを応用したい」とYu博士は語る。チタンを使わなくても、ステンレスのままで電解槽の心臓部を作れる目算が立ったことになる。

論文は2023年のMaterials Today誌(Vol.70)に「A sequential dual-passivation strategy for designing stainless steel used above water oxidation」というタイトルで掲載された。腐食科学の世界では、自然電位での耐食性ばかりが注目されてきたが、Huang教授らは「高電位で生き残る合金」という別の戦場を切り拓いたことになる。

水素のコストが約40分の1に? 実用化への道

洋上風力発電と再生可能エネルギーのイメージ

チタンと貴金属を置き換える経済性

SS-H2は塩水電解槽の中で、現行のチタン系構造材と同等の性能を出せることが確認されている。違いは値段だ。チタンと金・白金で固められた部品から、ステンレスの板や線材に置き換わるだけで、コストの構造が一気に組み替わる。

香港大の試算では、SS-H2で構造部材を置き換えると、構造材料のコストが約40分の1に下がる。1780万香港ドルの電解槽のうち、半分以上を占めていた構造費が大幅に圧縮される計算だ。砂金を金属プレートに使うような豪華な世界から、鉄の塊で電解槽を組む現実的な世界へ。製品設計の自由度も一気に広がる。

トン単位の生産はすでに動き出している

発表は研究室レベルにとどまらない。すでに中国本土の工場と組み、SS-H2のワイヤがトン単位で生産されているという。

複数国で特許申請が行われ、うち2件はすでに登録済み。次のフェーズは、電解槽用のメッシュやフォーム(多孔体)といった、より複雑な形状の部品の量産だ。電気と水の通り道を確保するため、電解槽の内部では細かなスポンジ状の金属部品が大量に使われる。研究室の小さなサンプルを工業製品に育てる、地味だが重要な工程が走り始めている。

残された実用化の壁

もちろん、いきなり全ての電解槽がSS-H2に置き換わるわけではない。長期耐久性の検証、塩素の副反応の制御、触媒層との相性など、越えるべき山はまだ残る。

2025年のNature Reviews Materialsのレビューでも、海水電解は将来性が高いと評価されつつ、寿命や腐食、塩素副反応、金属析出物の制御が依然として課題だと指摘されている。最近では、ステンレスの上にNiFe系のコーティングや白金原子クラスターを載せて寿命を伸ばす研究も走っており、SS-H2はその下地となる素材としても期待される。

それでも、6年かけて掴んだ「マンガンが鋼を守る」という設計思想は、ステンレス開発の方向そのものを変える力を持つ。クロム一辺倒だった不働態化の世界に、新しい主役が加わったのだ。安価な海水と再生可能電力から、安価な鋼の電解槽で水素を取り出す。そんな未来図が、今までより一歩だけ現実に近づいた。

シルミー

えー! “錆びさせる元素”だと思われてたマンガンが、逆に守ってくれるなんてびっくり!

はかせ

科学の常識って、ときどきこうしてひっくり返るんですよ。海水と太陽光で水素が安く作れる時代も、そう遠くないかもしれませんね

参考文献:
“Cannot be explained” – New ultra stainless steel stuns researchers
出典: ScienceDaily / The University of Hong Kong

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この記事を書いた人

シルミー編集者のアバター シルミー編集者

科学メディア「シルミー」の運営者。子供の頃から宇宙や生き物の図鑑を読みあさり、大人になった今も科学ニュースを追いかける日々。海外の学術メディアから面白い研究を見つけて、日本語でわかりやすく届けることをライフワークにしています。

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