眼球を丸ごと移植する手術は、これまで主に動物で試みられてきたが、成果は限られていた。取り出した眼は、体を離れた直後から傷み始めるからだ。
スペイン・バルセロナのゲノム制御センター(CRG)のチームは、死後に取り出した眼に酸素を含む液体を流して保つ装置「ECaBox(Eyes in a Care Box)」を作り、豚と人の眼で試した。
死後の豚の眼では網膜の構造と細胞の生存を最大24時間保ち、一部の眼で光への反応が戻ったという。ただしこの成果は、2026年6月にbioRxivで公開された査読前のプレプリントだ。
人の眼で調べたのは3時間後の細胞の生存率までで、人への眼球移植には使われていない。
こんな装置を開発した

角膜の移植は、すでに行われています。
キク取り出した眼をまるごと移植するのって、どうしてそんなに難しいんだろう?
眼球移植を阻んできた「時間の壁」
眼球の移植で難しいのは、網膜の弱さだ。網膜は光を神経の信号に変えて脳へ送る、層になった神経組織で、代謝の需要が高く、血管のない領域もある。
論文によると、網膜や視神経、中枢神経は、一時的な血流の途絶(虚血)にもきわめて弱い。血流がなくなると、人の網膜は光に反応する力をすぐに失うという。
2023年5月、米国のNYUランゴーン・ヘルスのチームが、感電事故で顔の左側と左眼を失った46歳の男性に、眼球全体と顔の一部を移植した。
世界で初めての全眼球・部分顔面移植だ。1年後の検査では、移植した眼の眼圧と血流は保たれ、網膜電図(ERG)で光受容細胞の反応も記録された。
しかし男性は、移植した眼で光を感じることはできていない。発表によると、視神経の損傷によって網膜組織の一部も失われた。
「箱」の中で眼球を生かすECaBoxの仕組み
CRGのマリア・ピア・コスマ氏らが作ったECaBoxは、眼を載せる台と、細い管(カニューレ)の支えを備えた密閉容器だ。
部品は3Dプリンターで作られている。眼に血液を送る眼動脈に管を差し込み、酸素を含ませた液体を流す。流れ出た液体は容器の下から抜き取る。
容器の前面には窓があり、眼を入れたまま光干渉断層計(OCT)や眼底カメラで網膜を撮影できる。
灌流(かんりゅう)は、取り出した臓器に、体の中で受け取っていた酸素や栄養の一部を送る方法だ。
論文では、毎分0.5mLの一定の速さで液体を流すと、流す圧力は60分以上安定し、眼の中の圧力(眼圧)は豚の正常範囲に近い値で落ち着いた。
蛍光色素を流して撮影すると、管をうまく入れられた眼の約90%で、動脈と静脈の両方に液体が流れていた。
流した液体は、酸素と二酸化炭素の混合ガスを通したリンゲル液だ。塩化ナトリウムや炭酸水素ナトリウムなどの塩類を溶かした液で、血液は使っていない。
眼は室温(約24℃)に置いた。論文は、栄養を多く含む液に改良すれば、もっと長く保てるはずだとしている。
豚と人間で試した結果


灌流した豚の眼の4割で光への反応が戻った
研究チームはまず豚の眼で試した。豚の眼は人の眼と構造が似ていて、食肉処理場から手に入る。
灌流しないまま室温に置いた眼では、網膜は10時間までは構造を保ったが、24時間後には層が薄くなるなど傷みが進んだ。
4℃で冷やしても、24時間後の傷みは防げなかった。一方、24時間灌流した眼は、灌流しなかった眼より網膜の傷みがずっと少なく、取り出した網膜細胞の生存率も有意に高かった。
光への反応は、別の実験で調べた。麻酔をかけた豚で生きているときの網膜電図(ERG)を測ってから安楽死させ、眼を取り出して灌流し、角膜に当てた電極でERGを記録した。
灌流しない眼では、反応はすぐに消えた。灌流した眼でも最初の15分は反応がなく、その後少しずつ戻った。
反応が戻ったのは灌流した36個のうち15個(41.6%)で、3個は10時間、1個は12時間まで続いた。反応が安定した3個の眼で灌流を止めると反応は消え、再開すると戻った。
なぜ一部の眼だけ反応が戻ったのかは、まだ分かっていない。
人の眼では3時間の比較
次に、人の眼でも試した。6人のドナーから左右の眼の提供を受け(計12個)、片方を灌流し、もう片方は何もしないで比べた。
眼は、高齢で持病があり角膜の提供には使えないドナーから、死後6〜10時間で得たものだ。病院の倫理委員会の承認と、家族の同意を得ている。
3時間後、灌流した眼の網膜細胞は、灌流しなかった反対側の眼より生存率が高かった。ただしドナーによるばらつきがあった。
人の眼では、光への反応(ERG)は測っていない。論文は、ドナーの年齢や持病の差が大きく、人の眼の数も少ないため、統計的にはっきりした結果を出しにくいと書いている。


眼球移植は本当に実現するのか




論文はまだプレプリント段階
この研究成果は2026年6月30日にbioRxivでプレプリントとして公開されており、学術誌の査読はまだ終わっていない。
プレプリントとは「正式に審査される前の速報版」のようなもので、他の研究者からの検証や再現実験を経て、最終的に学術誌に掲載される流れだ。
第三者による評価がまだの段階のため、鵜呑みにはできない部分もある。ただし手法や結果を早く共有することで、他のチームが検証や応用に取り組みやすくなる利点は大きい。
論文自身も限界を書いている。光への反応を調べたのは豚の眼だけで、反応が戻ったのは灌流した眼の4割ほどだった。人の眼は数が少なく、ドナーの状態もさまざまだ。
研究に使える人の眼は、角膜移植に使えないものに限られるという。また、著者のうち6人はECaBoxに関する特許の発明者になっている。
研究に加わっていない専門家の見方もある。
マサチューセッツ総合病院でほかの臓器の灌流を研究するシャノン・テシエ氏は、MIT Technology Reviewの取材に「網膜の保存にとって新しいフロンティアになりうる」と話した。
一方でテシエ氏は、ECaBoxで保った眼が移植でよりよい結果を出せるかは、実際に移植してみるまで分からないとも述べている。
次は手術室に持ち込める携帯型へ
研究チームは、手術室で使える携帯型のECaBoxを作る計画だ。
心臓が動いている状態のドナー(ハートビーティング・ドナー)から眼を得られるようになったとき、取り出してから灌流するまでの虚血の時間を短くするためだ。
こうしたドナーの眼が使えれば、人の眼でもERGを測れるようになるという。論文は、豚の眼で成果が出たことで、こうした眼を研究に使う承認を得やすくなると見ている。
論文が引く世界保健機関(WHO)の推計では、視覚の障害を抱える人は世界で少なくとも22億人いる。
白内障は手術で治せるが、緑内障や加齢黄斑変性、網膜色素変性症などによる網膜の病気には、進行を遅らせる治療しかない。
細胞移植、人工網膜、光遺伝学、遺伝子治療などが試されているが、効果はまだ限られているという。
論文は、ECaBoxで保った眼を、移植のためだけでなく、新しい治療法を生きた動物や患者で試す前に確かめる場としても使えるとしている。
移植で見えるようにするには、ほかにも大きな壁がある。
NYUランゴーン・ヘルスの発表は、課題として、網膜の血流を保つこと、拒絶反応を防ぐこと、光への反応を保つこと、視神経と脳のつながりを再生させることを挙げている。
ECaBoxが取り組んでいるのは、このうち取り出した眼の網膜を保つ部分だ。



見えるようになるまでには壁がいくつもあって、ECaBoxが挑んでいるのは網膜を保つところなんだね。
参考文献:
Retinal resuscitation in post-mortem eyes (bioRxivプレプリント, 2026)
DOI: 10.64898/2026.06.25.733416(査読前プレプリント)
全文(bioRxiv): Byrne et al., Retinal resuscitation in post-mortem eyes
A device that revives eyeballs from dead donors could make eye transplants possible
出典: MIT Technology Review
The World’s First Whole-Eye & Partial-Face Transplant Recipient Achieves Remarkable Recovery
出典: NYUランゴーン・ヘルス









