スペイン北東部、ピレネー山脈の高地にある洞窟から、およそ2千年にわたって人々が繰り返し訪れた痕跡が見つかった。
狭い発掘区画に密集した火の跡と、火にかけられた緑色の石。研究チームは、標高の高い場所で銅づくりの初期工程が行われていた可能性を指摘している。
論文は2026年5月、学術誌『Frontiers in Environmental Archaeology』に掲載された。
ただし後で触れるように、いくつかの解釈はまだ「可能性」の段階であり、確定した事実とそうでない推測を分けて見ていきたい。
そもそもなぜ標高の高い洞窟が注目されたのか

ピレネー山脈に残された「Cave 338」
舞台はスペイン北東部、フランスとの国境近くに連なるピレネー山脈のフレセル渓谷。深い谷を見下ろす山の斜面に、ぽっかりと口を開けた洞窟がある。
研究チームはこの場所を「Cave 338」と名づけ、入口付近のたった6平方メートルの区画を発掘した。
洞窟は標高2,235メートルにあり、論文は、ピレネー山脈で継続的に使われた先史時代の洞窟としては、現在知られている中で最も高い場所だとしている。
この狭いエリアから、想像をはるかに超える量の遺物が出てきた。考古学では、面積あたりの遺物密度が「ただの通り道」と「目的地」を見分ける手がかりの一つになる。
一晩泊まって朝に立ち去るだけの場所と、何かを求めて通い続ける場所とでは、地面に残る痕跡の量が大きく変わる。Cave 338の濃さは、後者に近いものだった。
4つの層が物語る長期の繰り返し利用
地面を慎重に掘り進めると、人の活動を示す層が4つはっきりと分かれて現れた。一番浅い層は薄く、後の時代のごく少ない遺物しか含まれていない。
一番深い層は炭の破片が中心で、放射性炭素年代測定から紀元前5000〜紀元前4360年ごろ、つまり今からおよそ6,400〜7,000年前という年代が示された。
重要なのは、その間に挟まれた第2層と第3層だ。
炉跡から集めた8点の炭の年代を統計モデルで組み合わせると、第3層は紀元前3464〜紀元前2532年ごろ(今からおよそ5,500〜4,500年前)となった。
第2層との間には、およそ1,000〜1,500年の空白があったと推定されている。つまりこの洞窟は、長い空白を挟みながらも、何度も人々を呼び戻していたことになる。
ただし、放射性炭素の測定値は較正のしかたで数百年単位のずれが出ることがあり、ここで挙げた年代はおおよその目安として受け止めたい。
キクたった6平方メートルの中に、火を焚いた跡はいくつあったんだろう?
緑色の石がほのめかす初期の高地銅づくり
研究チームを驚かせたのは、わずか6平方メートルの中から23もの炉(ハース)が見つかったことだ。炉とは、石を組んで火を焚いた跡のこと。
同じ場所で何度も焚かれた炉は、互いに少しずつ重なっていた。
ただし、それぞれの炉の輪郭は明確に区別できる。これは、一度に長く住み続けていたわけではなく、訪れては去り、また訪れる、という滞在パターンが繰り返されたことを意味する。
研究チームは、1回の滞在は短期から中期にとどまるが、それが長い時代を通じて何度も繰り返されたとみている。
筆頭著者はバルセロナ自治大学とカタロニア人類古生態学・社会進化研究所(IPHES-CERCA)のカルロス・トルネロ氏だ。
第3層からは、砕けて焼けた緑色の鉱物片が手作業で108点回収され、多くは炉の埋土から出てきた。詳細な分析はまだ続いているが、研究チームはこの石をマラカイトと見ている。
マラカイトは銅を多く含む鉱物で、加熱と化学処理を経ると金属の銅を取り出せる石だ。
マラカイトとはどんな石なのか
マラカイトは深い緑と縞模様が美しく、宝飾石としても古代エジプトの時代から珍重されてきた。だが人類史にとっての価値は装飾の外側にもある。
火で炙れば銅が分離するという性質が、石器の時代と金属の時代をつなぐ橋の一つになったからだ。
銅の利用が始まった時期には地域差があるが、ヨーロッパでは紀元前4千年紀ごろから銅を使う時代に入っていく。
Cave 338の年代はちょうどその入り口、銅という素材を人類がまだ手探りで扱い始めていた頃と重なる可能性がある。
もっとも、緑の石を火にかける行為が、必ずしも金属の銅を取り出すためだったとは限らない。
顔料として使う、あるいは別の目的で加熱していた可能性も残っており、そこも含めて分析の結論を待ちたいところだ。
意図的に火で熱した痕跡
緑の石は、ただ落ちていたのではなかった。破片の大部分に熱で変質した痕があり、同じ洞窟内にある別の遺物にはそれが見られない。
研究チームは、緑の石が外から洞窟に持ち込まれ、その場で処理されたとみている。
つまり、誰かが石を運び込み、選んで火にかけ、何かを取り出そうとしていた。事故で焼けたわけではないという見立ては、銅づくりの初期工程が高地で行われていた可能性を示唆する。
緑の石が本当にマラカイトなのかは、現在進めている分析で詳しく確かめるという。また、石をどこで採ったのかはまだ分かっておらず、洞窟の周辺を調べて産地を探す必要があるとしている。
これまで先史時代の研究では、高山環境は「人がたまに通り過ぎるだけの場所」と考えられてきた。
鉱物採取の話ともなればなおさらで、本格的な銅の採掘は標高の低い定住集落のそばで始まったとする見方が根強かった。
もし今回の見立てが裏づけられれば、Cave 338はその常識に一石を投じ、記録に残るなかでも古い部類の高地銅づくりの現場ということになる。
ただし、これはあくまで分析が確定した場合の話で、現時点では「最古級かもしれない候補」という慎重な位置づけにとどめておきたい。
11歳の子供の骨とペンダント


第3層から出てきた人骨
Cave 338の物語は、産業の痕跡だけにとどまらない。第3層からは、人の手の指の骨と、上あごの乳歯の犬歯が出土した。
乳歯は、およそ11.5歳の子供のものと推定されている。
2つの骨が同じ子供のものかどうか、また死因も今の段階では分からない。しかし、骨が見つかった事実そのものが、この洞窟が単なる作業場以上の意味を持っていた可能性を示す。
研究チームは、より深い層を掘れば追加の埋葬が見つかるかもしれないと考えている。
ここで一つ注意しておきたい。子供の骨が出たからといって、その子が採掘の労働力として連れてこられた、と決めつけることはできない。
家族単位の移動を示すのか、埋葬の対象として運ばれたのか、あるいはまったく別の事情があったのか——手のひらに乗るほど小さな乳歯ひとつから当時の社会を語るには、まだ材料が足りない。
研究チーム自身も、子供が何のためにこの場にいたのかは分かっていないとしている。
貝殻とヒグマの歯で作られた装身具
洞窟からは、2つのペンダントも見つかった。1つは二枚貝の殻製、もう1つはヒグマの歯製だ。ただし、これらは子供の骨とは別の、より新しい第2層から出たものだ。
海から遠く離れた山中で貝殻が出るということは、海辺の産物が何らかの形で山まで運ばれていたことを示している。
一方、ヒグマの歯のペンダントは類例が少ない。森と山の境界に住む人々ならではの、土地に根ざした象徴的な意味を帯びていたのかもしれない。


採掘場か、墓地か、それとも両方か
火の跡と人骨が同じ第3層から見つかったことで、Cave 338の正体はますます奥行きを増してくる。
鉱物を扱うための作業基地でありながら、亡くなった仲間を弔う場所でもあった、という二重の機能を持っていた可能性も考えられる。
作業の場と墓地が同居するという発想は、現代の感覚からはかけ離れて見える。
しかし先史時代の人々にとって、火を扱う場所、貴重な物を取り出す場所、祖先を眠らせる場所は、しばしば重なり合っていたと考えられている。
Cave 338もそうした場所の一つだったのかもしれないが、これは今後の調査で確かめるべき仮説であって、現時点で断定できるものではない。
調査チームは発掘を続ける予定で、洞窟の本当の深さにはまだ到達していない。緑の石の最終分析、追加の人骨、新たな炉。
Cave 338の床下には、ピレネーの古代史に新しい1ページを加えるピースが、まだ眠っているのかもしれない。一度の発掘で結論が出るわけではないが、手がかりは確実に増えつつある。
続報を待ちたいところだ。



洞窟の緑の石が銅を含むマラカイトなのかも、骨が見つかった子供がなぜそこにいたのかも、まだ確かめている途中なんだね。
参考文献:
Tornero, C., et al. (2026). Cave 338, ピレネー高地における先史時代の反復利用と初期銅生産の痕跡に関する研究. Frontiers in Environmental Archaeology. DOI: 10.3389/fearc.2026.1811493









