膵臓がんの腫瘍の中は、血流が乏しく栄養が足りない。それでも膵臓がんは増え続ける。
米国のニューヨーク大学(NYU)ランゴン・ヘルスのパールマッターがんセンターなどのチームは2020年11月、学術誌『Cell』で、その理由の一つを報告した。
セリンというアミノ酸が足りなくなった膵臓がん細胞は、神経成長因子(NGF)を出して神経を呼び寄せ、神経の軸索が出すセリンで増殖を保つというものだ。
ヒトのがん細胞株とラットの神経細胞を使った培養実験、マウスの実験、患者の腫瘍標本の解析を組み合わせた研究で、患者で治療効果を確かめたものではない。
膵臓がんは自らを『兵糧攻め』にしてしまう
研究の対象は膵管腺がん(PDAC)で、プレスリリースによると、膵臓のがんの中で最も命にかかわるタイプだ。発表当時のプレスリリースでは、5年生存率は10%未満とされている。
この腫瘍は、まわりに硬い線維の組織(線維化)を多く作る。論文によると、ヒトの膵臓がんでは線維化がマウスのモデルより強いことが多く、血管がつぶれて栄養の供給が細る。
先行研究では、ヒトの膵臓がんのセリン濃度は、隣の良性組織より約60%低かった。
プレスリリースも、膵管腺がんは血管を圧迫する密な組織を育て、セリンのような血液で運ばれる栄養の供給を減らす、と説明している。
セリンはタンパク質の材料になり、がん細胞が増えるのに欠かせない。
この研究が注目したのが、そのセリンだ。
がん細胞が渇望する部品『セリン』の正体
セリンは、ヒトのタンパク質で2番目に多いアミノ酸だ。
ほかにもグリシンやグルタチオン、ある種の脂質の材料になり、葉酸回路を通じて、DNAやRNAの部品(ヌクレオチド)を作るための「一炭素単位」も供給する。
そのため、いくつかのがんでは、セリンが増殖や生存を制限する要因になりうる。
ただし今回の研究では、外からのセリンに頼るがん細胞でも、セリンが足りなくなったときに一炭素代謝やグルタチオンが不足していたわけではなかった。
代わりに足を引っ張っていたのは、タンパク質を作る「翻訳」の工程だった(くわしくは後で説明する)。
細胞はセリンを外から取り込むほか、ブドウ糖からPHGDH(ホスホグリセリン酸脱水素酵素)やPSAT1などの酵素を使って自分で作ることもできる。
マウスの遺伝子改変モデルから取った膵臓がん細胞は、この合成の酵素を増やせるので、セリンを抜いても困らない。
ところがヒトの膵臓がんの細胞株を調べると、約40%は増えるのに外からのセリンが欠かせず、PHGDHとPSAT1をほとんど作れなかった。
患者の膵臓がん組織でも、約40%でPHGDHが見られなかった。血流の乏しい腫瘍の中で、こうしたがん細胞がどうやってセリンを得ているのかが問題になる。
飢えたがんが放つ救難信号『NGF』
セリンを抜いた液で育てると、外からのセリンに頼る膵臓がん細胞は、神経成長因子(NGF)というタンパク質を多く分泌した。
NGFは神経の成長をうながす信号分子で、感覚神経と交感神経を呼び寄せることが知られている。
NGFに引き寄せられた神経が腫瘍の中に入り込むことを「神経浸潤」や「神経支配」という。論文は、ヒトの膵臓がんの約90%に神経の変化が見られると紹介している。
NGFは、1986年のノーベル生理学・医学賞の対象になった分子だ。きっかけは、マウスの腫瘍をニワトリの胚に移植すると、胚の感覚神経と交感神経が大きく伸びたという1952年の観察だった。
膵臓がんの患者には神経の痛みがよく見られ、多くの腫瘍で、がんが神経に沿って広がる「神経周囲浸潤」が起きている。
これまでの研究では、神経は神経栄養因子や神経伝達物質を出して膵臓がんの成長を早めることが知られていた。一方で、神経が栄養の面でがんを支えるかどうかは調べられていなかった。
この研究は、その点を確かめようとした。
神経の枝『軸索』が栄養の配達人になる

神経細胞は、本体から長い枝(軸索)を伸ばす。チームは、ラットの後根神経節(感覚神経)の細胞を、細い溝でつながった2つの区画をもつ装置で育てた。
神経細胞の本体は栄養の多い側に置き、軸索だけを栄養の少ない側へ伸ばす。腫瘍の中に軸索だけが入り込み、神経の本体は血液から栄養を得られる、という体の中の状況をまねたものだ。
すると軸索の側の液で、セリンやグリシンなどのアミノ酸が増えていた。
軸索の側で見つかったセリンは、約35%が鏡像の関係にあるD型、約65%がふつうのL型だった。ただしD型セリンを加えても、セリンに頼るがん細胞の増殖は戻らなかった。
がん細胞を支えていたのはL型のセリンだと論文は結論している。
この装置の軸索の側にがん細胞をまき、セリンとグリシンを抜いた液で育てると、軸索があるときだけがん細胞は増えた。
同じ膵臓の間質にいる星細胞(膵星細胞)と一緒に育てる実験では、多めに見積もった数で組み合わせても、がん細胞を支えるほどのセリンは出なかった。
こうして論文は、次のようなモデルを示した。セリンが足りなくなる→がん細胞がNGFを出す→神経が腫瘍へ軸索を伸ばす→軸索がセリンを出す→がん細胞の増殖が保たれる。
それぞれの段階は、培養細胞とマウスの実験で確かめられたものだ。
患者の組織も調べた。米国のMDアンダーソンがんセンターの138例の膵臓がん組織標本では、PHGDHの多い腫瘍ほど神経が少なく、神経の多い腫瘍ほどPHGDHが少ないという関連があった。
PHGDHが多い腫瘍の患者は、全生存期間が短かった。これは関連を見たもので、ヒトの体の中で神経がセリンを運んでいることを直接示したわけではない。
飢えても止まらない『翻訳のすり抜け術』
ここで疑問が生じる。NGFもアミノ酸をつないで作るタンパク質だ。セリンが足りないのに、どうしてNGFは作れるのだろうか。
答えは、遺伝情報の“暗号”の読み方に隠れていた。タンパク質は、DNAの情報を写し取ったmRNAを、3文字ずつの暗号(コドン)として読み進めながら組み立てられる。
セリンを指定するコドンは6種類あるのだが、セリンが枯渇すると、そのうちTCCとTCTという2種類のコドンのところで、読み取り装置であるリボソームが引っかかって止まりやすくなることを、チームは突き止めた。
コドンを読み取り、アミノ酸を運んでくるのがtRNAだ。セリンを抜くと、どの種類のセリン用tRNAでも、セリンを積んだものの割合が下がった。
そのうえでTCCとTCTの両方を読むtRNA(AGA)だけは、総量そのものも減っていた。論文は、これがTCCとTCTで翻訳が遅れる理由になりうるとしている。
ただ、なぜこのtRNAだけが減るのかはまだわかっていない。
TCCやTCTを多く含む遺伝子のタンパク質は作られにくくなる。一方でNGFの遺伝子は、セリンのコドンの84%が止まりにくい種類で、セリン不足の影響を最も受けにくい分泌タンパク質と予測された。
NGFの遺伝子はストレスに応じて働きも強まるので、セリンが足りないときにもNGFは作られ、分泌が増えた。
マウスでは食事制限と薬の併用で腫瘍が小さく

チームは、免疫のない雌のヌードマウスに、外からのセリンに頼るヒトの膵臓がん細胞(PATU-8902)を膵臓へ移植した。
マウスには移植の2週間前から、すべてのアミノ酸を含む餌か、セリンとグリシンを抜いた餌を与えた。
セリンとグリシンを抜いた餌のマウスでは、腫瘍の成長が約50%遅くなった。その一方で、腫瘍の中の神経は、ふつうの餌のマウスより増えていた。
増えたのは交感神経と感覚神経で、副交感神経は増えていなかった。チームはここから、セリンが足りないときに神経が呼び寄せられ、腫瘍を栄養の面で支えているという仮説を立てた。
そこで、NGFの受容体TRKを妨げる薬LOXO-101(一般名ラロトレクチニブ、米国食品医薬品局が承認済み)を、移植の1週間後から毎日飲ませた。
薬だけでは腫瘍の大きさは変わらなかった。ところがセリンとグリシンを抜いた餌と組み合わせると、腫瘍の成長は、餌だけのときよりさらに約50%遅くなり、腫瘍の中の神経も減った。
がん細胞自体にはTRKが見られなかったので、薬は神経の側に働いたとみられる。
セリンを抜いた餌のマウスの腫瘍では、神経から遠い場所ほど、栄養のストレスを示す目印(リン酸化eIF2α)が強かった。
プレスリリースは、これらの結果について、セリンが足りない腫瘍の領域でがん細胞が増えるには神経が必要だったことを「示唆する」と書いている。
ただし、これは免疫のないマウスに移植したヒトのがん細胞での結果だ。

治療への応用はまだ仮説の段階

論文は、TRK阻害薬がすでにTRKに変化のあるがんの治療に承認されていることから、手術の後に、セリン制限と組み合わせて(あるいは単独で)一部の膵臓がん患者に使えるかもしれない、と「推測」として書いている。
筆頭著者のロバート・バン氏は、プレスリリースで「TRK阻害薬は一部のがんの治療で承認されているので、セリンを作れない膵臓がんの患者(おそらく約40%)で、手術後に低セリン食と組み合わせると役立つかもしれない。この方法が栄養の供給を絞って再発を減らせるかどうかは、臨床試験で確かめる必要がある」と述べている。
責任著者のアレック・キンメルマン氏は「この研究は、膵臓がんが栄養をかき集めるのに長けていて、それが致死性の高さにつながっていることを、さらに裏づける。神経が血液から栄養を運び、より厳しい腫瘍の環境へ届けるのは興味深い適応で、この柔軟さを妨げる治療につながるかもしれない」と話している。
今回の成果は、培養細胞とマウス、患者の組織標本の解析から得られたもので、患者で治療効果が確かめられたわけではない。
論文自身も、患者の腫瘍はマウスのモデルより線維化が強く、栄養不足がもっと厳しいかもしれないと書いている。マウスは免疫のないヌードマウスで、免疫の働く体で同じことが起きるかもわからない。
食事制限や薬の使い方を自分で判断せず、治療については医師に相談してほしい。
マウスでは、セリンを抜いた餌だけより、神経を呼び込む信号を薬で止めたほうが腫瘍の成長が遅くなったんだ。ただ、人で効くかどうかは、これから臨床試験で確かめる必要があるよ。
栄養を断つだけじゃダメで、“配達ルート”も一緒に断つ発想か…。がんの意外なずる賢さにちょっとゾッとするけど、弱点が見えたぶん希望も感じるね!
まとめると、この研究では、セリンを自分で作れないヒトの膵臓がん細胞が、セリン不足のときにNGFを出して神経を呼び寄せ、神経の軸索が出すセリンで増殖を保つことが、培養実験とマウスで示された。
患者の組織でも、PHGDHの少ない腫瘍ほど神経が多いという関連が見られた。
一方で、神経が人の体の中でセリンを運んでいることを直接示したわけではなく、食事制限とTRK阻害薬の組み合わせが患者に役立つかどうかもまだわからない。
参考文献:
一次ソース: Banh RS, Biancur DE, Yamamoto K, et al. “Neurons Release Serine to Support mRNA Translation in Pancreatic Cancer.” Cell, 183(5):1202-1218 (2020) DOI:10.1016/j.cell.2020.10.016 / PMID:33142117
論文本文(著者稿): PubMed Central PMC8100789
プレスリリース: NYU Langone Health「Nerves Keep Pancreatic Cancer Cells from Starving」(2020年11月2日)
NGFの発見: ノーベル財団 1986年生理学・医学賞の発表
研究機関: ニューヨーク大学(NYU)ランゴン・ヘルス パールマッターがんセンター(共同:ダナ・ファーバーがん研究所、テキサス大学MDアンダーソンがんセンター ほか)









