体を動かすと、気分がすっきりする。ジョギングや散歩のあと、心が少し軽くなった経験を持つ人は多いだろう。
その理由としてよく挙がるのが、アミノ酸のトリプトファンと、脳の神経伝達物質セロトニンの関係だ。
運動は、脳へ届くトリプトファンの量をどう変えるのか。よく語られる「腸のトリプトファンが放出されて脳でセロトニンになる」という説明は、どこまで正確なのか。
人とマウスの研究を分けながら、どこまでがわかっていて、どこからが仮説なのかを見ていこう。
トリプトファンとセロトニン、その関係
セロトニンの材料になるアミノ酸
まず主役を紹介しよう。トリプトファンは、肉や魚、卵、乳製品、大豆、バナナなどに含まれるアミノ酸の一種だ。
アミノ酸はタンパク質を作る部品で、そのうちトリプトファンは、体内で作れないため食事から摂る必要がある「必須アミノ酸」に分類される。
トリプトファンは、体内でセロトニンの原料になる。ただし、使い道はセロトニンだけではない。キヌレニンやインドールといった物質の原料にもなる。
プエルトリコ大学のチームが2024年に発表した論文は、取り込まれたトリプトファンのおよそ90%がキヌレニンの経路で代謝され、全身でセロトニンになるのは3%ほどだと、これまでの研究をまとめている。
原料を摂れば脳のセロトニンが増える、とは限らない
ここで大事な注意がある。トリプトファンをたくさん摂れば、そのぶん脳のセロトニンが増えて幸せになる——そう単純にはいかない。
食事から摂ったトリプトファンのうち、脳に届いてセロトニンの材料になるのは、ごくわずかだ。大部分は、別の用途に使われたり、脳の手前で足止めされたりする。
なぜ脳に届きにくいのか。そこには、血液脳関門と、アミノ酸どうしの競争が関わっている。運動は、この競争の条件を変える。
順に見ていこう。
材料を摂るだけじゃダメなんだ! 脳に届くかどうかがカギなんだね。
血液脳関門を、どう通り抜けるか
脳の血管には「血液脳関門」と呼ばれるしくみがあり、血液中の物質を何でも脳に通すわけではない。たとえば、トリプトファンは血液脳関門を通れるが、セロトニンそのものは通れない。
トリプトファンが脳に入るときは、血液脳関門にある輸送体を使う。この輸送体は、ロイシン、イソロイシン、バリンといった「分岐鎖アミノ酸」(BCAA)など、ほかの大型中性アミノ酸と共用だ。
スウェーデンのカロリンスカ研究所などに所属するブロムストランド氏の総説によると、脳でセロトニンを作る速さを決める段階は、トリプトファンが血液脳関門を通る輸送だ。
その量は、血液中でアルブミンというたんぱく質と結びついていない「遊離トリプトファン」の量と、競合するアミノ酸の濃度で変わる。
運動で、遊離トリプトファンの割合が上がる
総説によると、人が持久的な運動をしている間は、血液中の遊離トリプトファンとBCAAの比が上がり、脳がトリプトファンを取り込むことが示されている。
カナダのシャーブルック大学老年医学研究所のチームが2012年に報告した研究では、64歳前後の男性19人が、最大酸素摂取量の約68%に当たる強さでトレッドミル運動を60分間行った。
遊離トリプトファンとBCAAの比は、運動1時間後に安静時より102%高くなり、運動を終えたあとも78%高いままだった。
この研究で、血液中の遊離トリプトファンは1リットルあたり2.8マイクロモルから5.7マイクロモルに増えた。その増え方は、血液中の遊離脂肪酸の量と強く連動していた。
比率が変わる理由は、BCAAが減ることだけでは説明できない。
ただし、この比率の変化は、もともと気分を上げる仕組みとして研究されてきたわけではない。
ブロムストランド氏らが検証してきた「中枢性疲労仮説」は、運動中に脳のセロトニンが変わることが、疲労の一因になるという考えだ。
総説は、運動中にBCAAを飲んだ人では、自転車こぎの運動中に感じるきつさや精神的な疲労の評価が下がったと紹介している。
一方、シャーブルック大学のチームは、自分たちの結果を、脳のセロトニンが増えることが運動の抗うつ効果に関わるという仮説を支えるものだとしている。
どちらの研究も、血液の値を脳の手がかりとして使っており、脳のセロトニンや気分そのものを測ったわけではない。
よくある説明の、どこが不正確か


「腸のトリプトファンが脳でセロトニンに」の落とし穴
運動と気分の話では、「腸に蓄えられたトリプトファンが運動で放出され、脳に届いてセロトニンになる」と説明されることがある。
だが、この一直線の説明は正確ではない。
理由は2つある。1つめに、腸で作られるセロトニンは血液脳関門を通れない。体のセロトニンは、腸のものと脳のものに分かれていて、別々に作られている。
2つめに、仮にトリプトファンが腸から血液中に出ても、脳に入るには先ほどの輸送体でほかのアミノ酸と競い合う必要がある。
腸はトリプトファンの貯蔵庫ではない
そもそも、「腸にトリプトファンが大量に保管されている」という表現も、正確ではない。
腸には、クロム親和性細胞という特殊な細胞があり、食事由来のトリプトファンを取り込んで、セロトニンへと変換し続けている。
実は、体内のセロトニンの9割以上は、脳ではなく、この腸で作られているのだ。
腸で作られたセロトニンは、脳へは向かわない。
米国カリフォルニア工科大学のチームが2015年に学術誌Cellで報告したマウスの研究では、腸のセロトニンが、腸の動きや、血小板による血液の固まりやすさに影響することが確かめられている。
腸のセロトニンと脳のセロトニンは別物なんだ。混同しやすいね。


腸内細菌と運動、トリプトファンの関係
とはいえ、腸と脳が無関係なわけではない。腸と脳は互いに影響し合っていて、この双方向のやり取りは「腸-脳軸」と呼ばれる。
腸内細菌は、環境の変化に応じて構成や代謝を変え、それが腸-脳軸を通したやり取りに影響すると考えられている。
腸内細菌も、脇役ではない
腸内細菌は、腸のセロトニンづくりにも関わっている。先のCellの研究では、腸内細菌を持たない無菌マウスは、大腸や便のセロトニンが少なかった。
腸内細菌は、大腸のセロトニンの64%、血液中のセロトニンの49%に関わっていると見積もられている。
運動と腸内細菌、脳のトリプトファンを一続きで調べたのが、冒頭で触れたプエルトリコ大学の研究だ。
チームは20週齢のオスのマウス24匹を2群に分け、12匹には回し車を42日間自由に使わせ、残る12匹は回し車を固定した。
走ったマウスでは腸内細菌の多様性が高くなり、ロンボウチア属やアッカーマンシア・ムシニフィラという細菌が目立って増えた。
血液中のトリプトファンとほかの大型中性アミノ酸の比は、走らないマウスの0.24に対して、走ったマウスでは0.48と約2倍だった。
脳の海馬と脳幹では、トリプトファンとセロトニンがどちらも多かった。一方、腸のセロトニンには差がなかった。
ただし、著者たちは、マウスの数が少ないこと、マウスの腸内細菌や代謝は人と違うこと、関連を調べた研究なので因果関係は言えないことを、限界として挙げている。
この研究ではマウスの行動を調べておらず、著者たちも、行動の評価を含む検証が必要だとしている。
腸内細菌までトリプトファンに関わってるんだ。体って連携してるね!
人でわかっていること、マウスでわかっていること


ここまでの話を、人で確かめられたことと、動物でしかわかっていないことに分けておこう。
人では、持久的な運動の間に血液中の遊離トリプトファンとBCAAの比が上がり、脳がトリプトファンを取り込むことが示されている。
一方、運動で脳のセロトニンが増えることや、腸内細菌の変化がそれに関わることは、主にマウスやラットの研究から出てきた結果だ。
マウスの腸内細菌や代謝は、人と同じではない。
今のところ言えるのは、ある程度の時間続ける運動が血液中のアミノ酸のバランスを変え、脳がトリプトファンを取り込みやすい条件をつくる、というところまでだ。
それが運動のあとに気分がよくなる主な理由かどうかは、まだ確かめられていない。中枢性疲労仮説のように、脳のセロトニンの変化を疲労と結びつける考え方もある。


炭水化物と組み合わせればよい、とは言い切れない
トリプトファンを含む食品を炭水化物と一緒に摂ると脳に届きやすくなる、という説明もよく見かける。
しかし、ブロムストランド氏の総説は、運動中に炭水化物を摂ると、脳がトリプトファンを取り込む量が減るという結果を紹介している。
運動と食事の組み合わせで気分がどう変わるかは、今回確かめた研究からは言えない。
また、ここで紹介した人の研究は、60分間のトレッドミル運動のように、ある程度の強さと長さがある運動を対象にしている。
散歩程度の軽い運動で同じ変化が起きるかどうかも、これらの研究からはわからない。
参考文献:
Vazquez-Medina A. et al. (2024) Exploring the interplay between running exercises, microbial diversity, and tryptophan metabolism along the microbiota-gut-brain axis. Frontiers in Microbiology. 本文(PMC) / DOI: 10.3389/fmicb.2024.1326584
Blomstrand E. (2006) A role for branched-chain amino acids in reducing central fatigue. Journal of Nutrition 136: 544S-547S. DOI: 10.1093/jn/136.2.544S / PubMed
Melancon M.O. et al. (2012) Exercise increases tryptophan availability to the brain in older men age 57-70 years. Medicine & Science in Sports & Exercise 44: 881-887. DOI: 10.1249/MSS.0b013e31823ede8e / PubMed
Yano J.M. et al. (2015) Indigenous bacteria from the gut microbiota regulate host serotonin biosynthesis. Cell 161: 264-276. 本文(PMC) / DOI: 10.1016/j.cell.2015.02.047









