南極半島の東側にあるヘクトリア氷河が、2022年11月から12月までの2ヶ月で約8.2キロメートル後退した。これまでに報告された氷河の後退より10倍近く速い記録だ。
米コロラド大学ボルダー校などの研究チームは、氷河の下にあった平らな岩盤「氷平原」の上で、薄くなった氷が浮きかけて次々に崩れたことが主な原因だと結論づけた。
大気や海の条件が原因だとする以前の見方とは違う結論だ。論文は2025年11月に科学誌Nature Geoscienceに掲載された。
キクたった2ヶ月で起きた氷河の崩壊を、どうやってこんなに細かく調べたんだろう?
2ヶ月で8キロ — 観測史上最速の崩壊


まず、この崩壊がどれほど異常だったかを、数字で見てみよう。舞台となったのは、南極半島の東岸にあるヘクトリア氷河。
ここで、2022年に記録的な速さの後退が起きた。とくに激しかったのは、その年の11月から12月にかけての約2ヶ月間だ。
この短い期間に、氷河は8キロメートル以上も後退した。
崩壊がもっとも速かった時期には、氷河の先端が1日あたり最大で約800メートル後退した。プレスリリースによると、この2ヶ月で氷河の半分近くが崩れ去った。
2022年1月から2023年3月までを合わせると、後退は約25キロメートルに及ぶ。ヘクトリア氷河の面積は約115平方マイル(約300平方キロメートル)で、南極の氷河としては小さい。
研究を主導したのは、コロラド大学ボルダー校の環境科学研究協同研究所(CIRES)のナオミ・オクワット氏らで、英国のスウォンジー大学、フランスのトゥールーズ大学、カナダのカールトン大学なども加わった。
チームは別の研究でこの湾の海氷を調べていたとき、ヘクトリア氷河が2ヶ月ほどでほとんど消えていることにデータ上で気づいた。
そこで複数の衛星の画像と、氷河が崩れるときの揺れをとらえた地震計のデータを組み合わせて、原因を調べた。
オクワット氏は「3ヶ月に1枚の画像しかなかったら、氷河が2日で2.5キロメートルを失ったことはわからなかったかもしれない。いくつもの衛星を組み合わせることで時間のすきまを埋め、氷河がどれだけ速く氷を失ったかを確かめられる」と話している。
地震計のデータからは、もう一つ大事なことがわかった。2022年11月より前には、ヘクトリア氷河のあたりで「氷河地震」は見つからなかった。
ところが崩壊が速かった時期には6回起きていて、そのうち4回は氷河の先端が後退したタイミングとほぼ重なっていた。
氷河地震は、崩れた氷の塊が先端で倒れ込むときに出る揺れだ。プレスリリースによると、この地震から、崩れた氷は海に浮いていたのではなく、岩盤に乗っていたことが確かめられた。
岩盤に乗っていた氷が海に出れば、その分だけ海面上昇につながる。
氷河・棚氷・氷床 — まず言葉を整理しよう


謎を解く前に、いくつか大事な言葉を整理しておきたい。南極の氷は、いくつかの部分に分かれているのだ。
まず、大陸をまるごと覆う巨大な氷の塊を氷床(ひょうしょう)という。この氷床から、海に向かってゆっくりと流れ出していく氷の「川」が氷河(ひょうが)だ。
ヘクトリア氷河も、その一つである。そして、氷河が海に流れ出て、海の上に浮かんで張り出した部分を棚氷(たなごおり)と呼ぶ。
ここで、崩壊の急所となる言葉が出てくる。氷河が海底から離れて浮き始める境目を接地線(せっちせん)という。
論文によると、接地線より陸側にある平らな岩盤の部分で、氷の表面の傾きがごく小さく(5度未満)、ほとんど浮く寸前になっている所を氷平原(ひょうへいげん)という。
この氷平原が、今回の急な崩壊のカギを握っていた。
なぜ、こんなに細かく言葉を分ける必要があるのか。それは、氷のどの部分がどう振る舞うかで、崩壊の起き方や海面への影響が変わるからだ。
海に浮いた棚氷は、コップに浮いた氷と同じように、すでに自分の体積の分だけ海水を押しのけている。だから棚氷が割れても、それ自体では海面はほとんど上がらない。
だが、陸に乗っていた氷河が海へ流れ出せば、話は別だ。
謎の核心 — 平らな岩盤の上で氷が浮きかけた


いよいよ核心だ。崩壊の前半、浮いていた氷舌が崩れたときには、平たい板のような大きな氷山(卓状氷山)が割れ出ていた。
ところが2022年の秋から崩れ方が変わり、浮力で倒れ込む氷塊が次々に崩れ落ちるようになった。倒れた氷山は内部の青い氷が見えていて、氷河の表面とは違うなめらかな面をしていた。
論文はこれを「浮力による崩壊」と呼んでいる。
その舞台が、さきほどの氷平原だった。研究チームは、衛星から測った氷河の表面の高さを調べ、傾きが急に変わる場所が2つあることを見つけて、その間が氷平原だと判断した。
これまでの研究がそれぞれ違う位置に接地線を引いていたのも、氷平原があれば説明がつく。2022年に定着氷が消えたあと、この氷平原の氷は薄くなって、ほとんど浮く寸前になった。
満潮のときには一部が浮き上がることもありうる。こうして岩盤との支えが弱まった氷が、速いペースで崩れていった。
プレスリリースによると、浮きかけた氷は海の力を受けるようになり、氷河の底から割れ目が開いた。その割れ目が上から入った割れ目とつながり、氷河がまるごと割れて崩れ落ちた。
一方で論文は、氷の崖の高さが60メートルを超えることはまれだったとして、支えのない高い氷の崖が崩れ続ける「海洋性氷崖不安定」は原因ではないとしている。



平らな岩盤の上で薄くなった氷が浮きかけて、支えが弱まったから次々に崩れたんだね。
氷を薄くしたのは流れの加速


では、なぜ氷平原の氷はそこまで薄くなったのか。論文によると、主な原因は海水や大気ではなく、氷河の流れが速まったことだ。
前でせき止めていた定着氷がなくなると、氷河は速く流れて引き伸ばされ、薄くなっていく。定着氷が消える直前と比べて、流れの速さは約6倍、薄くなる速さは約40倍に増えた。
査読前の論文によると、定着氷が流れ出す前の2017〜2021年には年2〜3メートルのペースで薄くなっていたのが、2022年3〜12月には年19メートルになり、2023年9月には年80メートルに達した。
流れの速さは、先端近くで年400メートルから、2023年12月には年1700メートルまで上がった。以前の研究は、大気や海の条件が後退を強めたとみていた。
今回の論文は、暖かく湿った空気の流れ(大気の川)が氷舌の崩壊を助けた可能性は認めつつ、それは7ヶ月前のことで、岩盤に乗った氷の後退は説明できないとしている。
引き金は2022年の定着氷の消失


後退が始まったきっかけは、氷河の前の湾を10年ほど埋めていた定着氷(海岸や氷河に張りついて動かない海氷)が、2022年に流れ出たことだった。
棚氷や定着氷は、後ろから流れ込もうとする氷河をせき止める役割を果たしている。
2002年3月、ヘクトリア氷河の前にあったラーセンB棚氷が数週間で崩壊すると、周りの氷河は一気に後退し、薄くなり、流れが速くなった。
その後、2011年に湾が定着氷で埋まると、氷河は部分的に安定し、湾に向かって再び前進して厚みを増し、流れもゆっくりになった。
ところが2022年、10年続いた定着氷が流れ出た。
査読前の論文によると、ヘクトリア氷河などは厚さ300メートルを超える浮いた氷舌を失い、2022年2〜3月だけで約216平方キロメートルの浮いた氷を失って16キロメートル後退した。
その後の冬は、海氷や氷のかけらが先端を押さえていたとみられ、崩壊はいったん止まった。しかしそのあいだに氷河の流れは70%以上速くなり、薄くなり始めていた。
そして11〜12月、岩盤に乗った氷平原の部分で記録的な崩壊が起きた。





南極半島でこれまで崩れた、海に浮かんで張り出した氷(棚氷)も、今回のヘクトリア氷河と同じ崩れ方だったのかな?
南極半島は「温暖化の最前線」


ヘクトリア氷河がある南極半島は、極地の風が暖かくなる影響を受けやすい。NASAは、南極のほかの地域が気候変動にどう反応するかを先に映し出す場所だと紹介している。
ここではこれまでに、プリンス・グスタフ棚氷、ラーセンA棚氷、ラーセンB棚氷、ウィルキンズ棚氷などが崩れてきた。
とくに2002年のラーセンB棚氷の崩壊は劇的で、1月31日から3月7日までの35日あまりで、3250平方キロメートルを超える氷が細かな氷山に砕けた。
このときは暖かい夏が続いて氷の表面に融けた水がたまり、その水が割れ目に入り込んで押し広げたことで棚氷が壊れた。
この仕組みをハイドロフラクチャリング(水圧破砕)という。
今回のヘクトリア氷河は、これとは事情が違う。
論文によると、2022年に氷舌が崩れたとき、衛星画像には表面に融けた水が大量にたまった様子は見られず、ラーセンBのような水圧破砕は起きていなかった。
崩壊の速さを決めたのは、氷平原という海底の地形だった。


ほかの氷河でも起こりうるのか
研究チームが注目しているのは、同じような崩れ方がほかの氷河でも起こりうるという点だ。
論文によると、氷平原はホワイランス氷流やパインアイランド氷河、スウェイツ氷河のほか、ロス棚氷やアメリー棚氷などでも見つかっており、将来、浮力による急な崩壊が起きるおそれがある。
CIRES上級研究員のテッド・スカンボス氏は「ヘクトリアの後退は少しショックだ。このような電光石火の後退は、大陸のほかの、もっと大きな氷河で起こりうることを大きく変える。同じ条件がほかの地域でそろえば、大陸からの海面上昇を大きく速めるおそれがある」と話している。
研究チームは、南極の氷河の下にある岩盤の形を詳しく調べる必要があると強調している。
また、接地線が急に動いて浮力で一気に崩れるような現象を、将来の海面上昇を予測するモデルに組み込むべきだとしている。
参考文献
Ochwat N, Scambos T, et al. 『Record grounded glacier retreat caused by an ice plain calving process』 Nature Geoscience 18, 1117-1124, 2025. DOI: 10.1038/s41561-025-01802-4
査読前の版(プレプリント全文): Research Square, DOI: 10.21203/rs.3.rs-5691678/v1
プレスリリース: CIRES (University of Colorado Boulder), Antarctic glacier retreated faster than any other in modern history
ラーセンB棚氷の崩壊: NASA Earthdata, After the Larsen B









