はかせ、400年も生きるニシオンデンザメって、目はもう見えていないんじゃないの?
じつは長らくそう信じられておった。ところがUCアーバインのチームが調べたら、100歳を優に超えた個体でも網膜がほぼ老化しておらなんだ。今日はその話じゃ。
寿命およそ400年の脊椎動物ニシオンデンザメは、北極海の暗く冷たい深海を生きる。角膜には寄生虫がしがみつき、光もほぼ届かない。だから「機能的には失明している」というのが業界の常識だった。
この見方をひっくり返す論文が、2026年1月に『Nature Communications』へ載った。100年以上前に生まれた個体の網膜に、細胞死の痕跡が一つも見つからなかったのだ。ヒトの加齢による視力低下と、地球で最も長寿な脊椎動物の目。この二つを橋渡しする発見の物語を追ってみる。
400年生きるサメの目に潜む謎


北極海の水深およそ3000メートル、水温マイナス1.1度。この極端な場所を悠々と泳ぐのがニシオンデンザメ(Somniosus microcephalus)である。2016年に『Science』誌へ載ったニールセンらの研究では、眼のレンズに残る放射性炭素の分析から、最長で約400年という寿命が推定された。現存する脊椎動物のなかで、他の追随を許さない長命種だ。
ただし、この長寿は長らく「代償と引き換え」だと見なされてきた。角膜にはOmmatokoita elongataというカイアシ類の寄生虫がしがみつき、視界を白く濁らせている個体も珍しくない。加えて日光がほとんど届かない深海の暮らしである。研究者たちの多くは「もう機能的には失明しているのだろう」と長らく信じてきた。
この常識に、UCアーバインのDorota Skowronska-Krawczyk准教授(生理学・生物物理学)らのチームが正面から疑問を投げかけた。バーゼル大学、コペンハーゲン大学、インディアナ大学サウスベンド校など、米・デンマーク・スイスの複数機関から16人が名を連ねる共著論文である。100歳を優に超えた個体の網膜には、老化の兆候がほぼ見当たらなかった。論文は『Nature Communications』2026年17巻・論文番号39番(DOI: 10.1038/s41467-025-67429-6)として公開されている。
きっかけは1本の動画だった


物語の入り口は、Skowronska-Krawczykが2016年のニールセン論文を読んだあとに見た1本の映像である。カメラの前をゆっくり横切る老いたニシオンデンザメの目玉が、確かに光源の方へ動いていた。曇ったレンズの奥で、視線が生きて動いていたのだ。
「進化的に、要らない器官はいずれ捨てられる」と本人は語る。もし完全な失明状態が代々続くなら、視覚系は費用に見合わないと判断されて退化していくはずである。にもかかわらず、目玉は光を追う動きを見せる。この違和感が、加齢と網膜変性を専門にする彼女の関心を強く引き寄せた。
マウスの目からサメの目へ
Skowronska-Krawczykの研究室は、ふだんはマウス網膜細胞や加齢黄斑変性の分子機構を扱う。ヒトの視覚老化と史上最長寿の脊椎動物——一見遠い二つを結び付けたのは、この「光を追う一つの目玉」だった。
研究の輪はやがて、コペンハーゲン大学のJohn Fleng Steffensen、バーゼル大学のWalter Salzburgerらへと広がっていく。海洋生物学、進化ゲノム学、視覚神経科学。専門の異なる16人が一つの網膜を巡って集まる、少し変わった共同研究の始まりでもあった。
野球ボール大の200年物眼球


サンプル採取は2020年から2024年にかけて、コペンハーゲン大学が北極圏に構えるディスコ島の観測ステーション(北緯69度15分、西経53度34分)で行われた。捕獲は科学目的の延縄漁で、グリーンランド政府から4通の許可(2020-26794など)が下りている。個体は捕獲直後に脊髄切断で安楽死させ、眼球は4%パラホルムアルデヒド、網膜はRNAlaterまたはエタノールで固定して保存された。
年齢は体長から推定するvon Bertalanffy成長モデル(ニールセン2016に準拠)で見積もられている。今回の解析に回されたのは、いずれも推定100歳を超える個体たちだ。眼球はカリフォルニアの研究室にドライアイスで空輸された。
「箱を開けたら、200年物の巨大な眼球がドライアイスの上からこちらを見ていた」。院生のEmily Tom(28)は届いた瞬間をこう振り返る。ふだん扱うマウスの眼球はパパイヤの種ほど、しかし手元にあったのは野球ボール大の代物だった。組織の温度が室温近くまで上がるだけで劣化が始まるため、切片作成は速度と精度の勝負になったという。
研究室が「魚市場のにおいで満たされた」と本人は笑う。ヒト網膜との比較用に、50歳女性ドナーの眼球1体と、市販ウシ眼球5体もあわせて解析にかけられている。単一種の記述に終わらせず、進化的な位置づけと臨床応用の両方に橋を渡すための配置だ。
網膜に「老化の痕跡」は無かった


顕微鏡が映し出した第一印象は、想定を裏切るものだった。視細胞層・外顆粒層・内顆粒層・神経節細胞層のすべてが揃っており、100年以上生きたはずの個体でも、目に見える退化がまったく現れていない。長寿と網膜の劣化は不可分だという先入観が、静かに崩れていく瞬間である。
決定的だったのはTUNELアッセイの結果だ。細胞死に伴うDNA断片化を蛍光で検出する定番の手法で、DNase Iで人為的にDNAを切ったポジティブコントロールでは強い信号が出た。ところが無処理のニシオンデンザメの網膜では陽性細胞がゼロだった。つまり「現在進行形での細胞死」が観察されなかった、ということになる。
視細胞の構造も、深海生物らしい設計に振り切っていた。細長く密に詰まったロッド細胞で埋め尽くされ、内側の層は逆に薄くなっている。届いた光を余さず拾う一方で、余計な回路は削ぎ落としてある。
これはヒトの網膜とは根本設計が違うということだ。両者の違いを一覧にすると、設計思想の差がよく見えてくる。
| 項目 | ニシオンデンザメ | ヒト |
|---|---|---|
| 最長寿命 | 約400年 | 約122年(公式記録) |
| 視細胞の内訳 | ロッド細胞のみ | ロッド+錐体(コーン) |
| 視色素の感度中心 | 青(短波長側)にシフト | 青〜赤の3波長 |
| 加齢による網膜変性 | 100歳超でも痕跡なし | 60歳以降に加齢黄斑変性が急増 |
| 網膜のDNA修復系 | 常時強く発現 | 加齢で発現が低下 |
遺伝子は暗闇に全振りされていた


論文はここから、組織像のさらに奥、遺伝子の設計図へと踏み込んでいく。ニシオンデンザメの全ゲノム配列と網膜のRNA-seqを、Scyliorhinus canicula(トラザメ類)、Isurus oxyrinchus(アオザメ)、Rhincodon typus(ジンベエザメ)を含む5種のサメと突き合わせた。
浮かび上がったのは、暗闇に極端に振り切った設計図だった。ロッド細胞の光伝達に関わる遺伝子群はどれも壊れず、強く読まれている。一方で明るい場所で使う錐体(コーン)由来の視覚遺伝子は、多くが偽遺伝子(pseudogene)化していた。
読み込みの途中で終止コドンが現れる、発現がほぼゼロといった具合である。要するに、色を見る回路を進化の過程で捨てた形だ。cngb1のように他のサメ類でも欠けている遺伝子は、ニシオンデンザメでも当然のように失われていた。
DNA修復工場が常時稼働
もう一つの発見が、網膜におけるDNA修復関連遺伝子の高発現である。修復酵素の遺伝子群が常時強く読まれており、著者らはこの「常時稼働の修復工場」こそが、世紀を跨いで網膜を保つ鍵ではないかと見立てている。
老化の主犯とされる酸化ストレスや紫外線損傷から、絶えず網膜を守り続けている格好だ。ヒトでは加齢に伴い同種の修復系の発現が下がることが知られており、その落差がAMDや網膜色素変性症の背景にあるとされる。サメが「切れ端を出さない仕組み」を進化させたのに対し、私たちは同じ仕組みを使いながらも、加齢とともに手を止めていく。この対比が今回の論文の底流にある。
加えて視色素のロドプシンは、他のサメより短波長(青)側にシフトしていた。北極の深海に届く数少ない光の色、青緑域に感度を絞り込んでいる。長寿・暗所適応・修復強化という三つの特徴が、単一の生物の網膜に矛盾なく同居していた点が、この論文最大の骨格である。
ヒトの加齢黄斑変性への手がかり


Skowronska-Krawczykらが視野に入れているのは、明確にヒトの目の老化だ。加齢黄斑変性(AMD)や緑内障では、視細胞や神経節細胞が徐々に壊れていく。とくに夜間視力を担うロッド細胞は、加齢で最初にすり減ることが知られている。まさにニシオンデンザメが100年以上守り抜いている細胞そのものである。
比較対照として、この論文は50歳女性ドナーの眼球とウシ眼球5体をわざわざ並べた。ヒトのDNA修復系の発現とサメのそれとの落差は、私たちが老化に対して「持てなかった防御」を浮き彫りにする形で示されている。サメで働いている修復ネットワークをヒト網膜で再現できれば、AMDの進行を遅らせる新しい薬理標的が見えてくる可能性がある。
色覚を捨てた代償と学ぶべき戦略
もっとも、これがすぐに治療薬へ化ける類の話でないことは、著者らも慎重に書いている。ロッド一辺倒の代償として、ニシオンデンザメは色覚を進化の過程で捨てている。長く見え続ける戦略は、鮮やかに見る能力とのトレードオフでもあったと読める。
それでも、光受容細胞を世紀を跨いで維持する分子の「型」が一つ示された意味は小さくない。老化研究の焦点は、テロメアや幹細胞に加え、網膜特異的なDNA修復ネットワークという新しい候補にも向かうと考えられる。
付け加えるなら、今回の解析はまだ標本数が限られ、機能的な視覚検査(電気生理や行動実験)まで踏み込めているわけではない。動きの遅い深海サメを生きたまま検査する難しさがそのまま論文の限界にも現れている。「本当に何が見えているか」の解像度を上げるには、次の研究で電気生理やハビタットでの追跡を組み合わせる必要がある。
それでも、長寿を望むなら目もまた守る対象として真剣に扱わなければならない、と深海の巨大な眼球が静かに問いかけているように思う。ヒトの人生は伸びても、視力の寿命が伸びなければ、後半生の質はそこで頭打ちになる。網膜という小さな組織にどれだけ資源を回せるか——ニシオンデンザメの400年は、その問いを一段くっきりさせた。
「役に立たないから捨てられる」じゃなくて、逆に「役に立ち続けさせている」なんて、進化の裏側を見た気分だわ。
うむ。ヒトの網膜も、寿命の80年を保てるかどうかで生活の質が大きく変わる。深海の巨大な眼球が、加齢黄斑変性の新しい治療標的を教えてくれる日が来るかもしれんな。










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