夜空がうずを巻き、細い月と大きな星が輝くゴッホの『星月夜』。世界でもっとも有名な絵の一つで、フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスの窓からの景色を、形を変えて描いたものと広く考えられています。
では、あの空はゴッホの空想だったのでしょうか。それとも、本当に見た空だったのでしょうか。この問いには、100年以上答えが出ていませんでした。
韓国の会社SLLABと慶熙(キョンヒ)大学校のチームは、天文ソフトで昔の空を再現し、当時の天気の記録やゴッホの手紙と突き合わせました。その結果、絵の空にいちばん合うのは、通説の6月ではなく1889年7月22日ごろの明け方の空だったと報告しています。論文は2026年10月22日付で、学術誌『Scientific Reports』に掲載されました。ただし著者たち自身も、描いた日を1日に決めることはできないと注意しています。
キクでも、これまでの6月の説だと何が合わなかったんだろう?
空想か、本物の空か


これまでの美術史では、『星月夜』は1889年6月に描かれたと考えられてきました。ゴッホが療養院に入ってまもない時期です。
これまでの研究では、この絵は長く宗教や象徴の意味で読み解かれてきました。のちに、ゴッホが手紙に書いた金星だけは、本物の星と認められるようになります。それでも残りの星は、記憶や想像で描いたもの、あるいは象徴の表現と読まれ続けました。
天文学から空を読み解こうとした研究も、これまでに2つありました。ボイム氏とホイットニー氏が、6月中旬の日付をもとに、絵の星を星座に当てはめたのです。ところが2人の結論は食い違い、1986年にはソス氏が、本物の空とみる読み方は「危うい」と書きました。以後、この見方は少数派のままでした。
これまでの研究で観察説が力を失った大きな理由は、月の形でした。絵の月は細い三日月です。ところが前の研究の分析では、通説の6月中旬なら、月は絵よりずっとふくらんで見えたはずだと示されていました。
今回の研究は、この食い違いを、空とみる読み方そのものの欠点ではないと考えました。画家の視野・星の並びの形・手紙と天気の記録を、ひとつの条件の組にまとめていなかったせいだ、という見方です。
そこでこの研究は、日付を言い切るのではなく、天体・天気・生き物・手紙の条件をいちばんよく満たす筋書きを探しました。絵の星の並びがある日の明け方の空と合うなら、空想だとみる側がその一致を説明しなければならなくなる、という考え方です。
ほかの夜の絵で、方法を試した
昔の空を、どうやって確かめたのでしょうか。空の再現には、天文ソフトのTheSkyXを主に使いました。19世紀の惑星と太陽の位置は、NASAジェット推進研究所の暦で確かめています。1889年はまだ標準時ができる前なので、時刻はその土地の時刻(地方平均時)で計算しました。
絵の星の位置は、筆頭著者が絵の画像の上で、星の中心を3回ずつ手で測りました。この並びと本物の星の並びを、プロクラステス法という方法で重ねます。形を動かす・回す・縦横同じ割合で大きさを変えることだけを許して重ね、どれだけずれるかを数で表すやり方です。
方法が使えるかを見るため、まずほかの画家の夜の絵2枚で試しました。エルスハイマーの『エジプトへの逃避』は、天の川と北斗七星の角度が、実際にはありえない形でした。満月に近い月のときに、天の川がはっきり見えることもまずありません。そのため、本物の空とはみなしにくいと判断されました。
次のミレーの『星の夜』は、オリオン大星雲の位置などが実際に近く、観察にもとづくと考えられました。8個の星で形を比べると、ずれの割合は3.85%でした。この割合は小さいほど、よく合っていることになります。
いちばん大事な確かめは、ゴッホ自身が1888年に描いた夜の絵2枚です。描いた場所が、今も残っているからです。『ローヌ川の星月夜』は北斗七星を忠実に描いていて、7個の星のずれは6.54%でした。『夜のカフェテラス』でも、夏の大三角などの5個の星のずれは5.46%です。
この結果から、ゴッホは本物の星の並びを、比較的正確に絵へ写していたことがうかがえます。この値が、『星月夜』を比べるときの物差しになりました。
素描が教えた望遠レンズなみの狭い視野
これまでの研究では、『星月夜』はゴッホが部屋から夜明け前の空を見たあと、昼間にアトリエで仕上げたと考えられています。地上の景色も、先に描いた村の素描をもとに組み立てたと論じられてきました。
そこで研究チームは、2019年の6月と7月にフランスで現地を調べました。素描とよく合う場所として選んだのは、サン=レミの療養院の南西にある尾根です。そこから素描の視野を計算し直すと、カメラのレンズで言えば35mm判で134mmの望遠に当たる狭さでした。見える範囲は、対角で18.4度、横14.8度、縦10.9度です。
研究チームは、ゴッホが夜空を絵に組み立てるときにも、この同じ狭い枠を使ったらしいとみています。この仮定は、前もって決めつけたものではありません。本物の空にこの枠を当てて、星の並びが収まるかどうかで、あとから確かめています。
絵では、月が金星より上にあります。1889年の6月と7月の明け方で、月と金星がこの狭い枠に両方入るのは、6月23日と7月22日・23日の午前3時でした。さらに7月の明け方には、1等星のアルデバランも枠に入ります。特に7月22日は、ヒアデス星団が枠のまん中に来ました。



つまり、素描の狭い枠を当てると、7月22日の明け方に月と金星とヒアデス星団がそろって入るってことなんだね!
6月19日説が抱える3つの無理


以前の研究でボイム氏は、6月18日の手紙をもとに絵の空は1889年6月19日の明け方で、まん中の星の並びはおひつじ座だと考えました。ホイットニー氏は別の観測所の天気の記録から19日を外し、6月17〜18日としています。
今回の研究が調べたアヴィニョンの記録では、6月18日の夜から19日の明け方は晴れでした。天気だけでは、19日説は外せないわけです。それでも研究チームは、19日説には互いに関係のない3つの無理があるとしています。
まず、見える時間の短さです。6月19日は、金星が見える高さまでのぼったのが2時27分で、その27分後には、空がさらに明るくなる段階(航海薄明)に入ります。4等ほどのおひつじ座の星はすぐに見えにくくなり、金星と一緒にはっきり見える時間はとても短かったのです。
ゴッホも1889年5月末〜6月初めごろの手紙で、日の出前の窓の外を「明けの明星のほかには何もなく、それがとても大きく見えた」と書いています。研究チームはこの言葉から、ゴッホにはおひつじ座の明るい星さえ見分けられなかったと読んでいます。
次は、月の形です。絵の月は鋭く細い三日月なのに、1889年6月19日の月は63.10%が光っていて、半月と満月の間の形でした。ゴッホは1890年の別の絵で半月の境目をまっすぐに描いていて、半月の前後の形を描き分けていました。
最後は、視野です。6月19日2時27分の空では、金星とおひつじ座と月を、28mmの広角レンズの視野に入れることはできます。ところがおひつじ座は左、月は右に分かれ、まん中に来るのはうお座とくじら座でした。
まん中の星は、ヒアデス星団のV字に似ていた


では、絵のまん中に散らばる星は何なのでしょうか。研究チームは、その一部がおうし座のまん中にあるヒアデス星団のV字の並びに、形がよく似ていると考えました。
NASAの解説によると、ヒアデス星団の星は、おうし座の牛の頭をつくっています。V字の端には、牛の目に当たるアルデバランが光ります。アルデバランは赤色巨星で、星団の仲間ではなく、同じ方向に重なって見えているだけです。
形を比べるのに使ったのは、V字の骨組みになる5つの点です。近くに並ぶ2つの星の組は肉眼では分けて見えないので、それぞれ1点として扱いました。その結果、絵とヒアデス星団のずれは8.17%でした。
偶然の選び方で生まれた一致ではないかも、確かめています。5つの星の対応のさせ方120通りのうち、ヒアデス星団どおりの対応だけが、いちばんずれが小さくなりました。絵の11個の星から5個を選ぶ462通りの中でも、この組がいちばん合っていました。
ゴッホが描いた『星月夜』の白黒の写しの素描でも、同じように調べました。こちらのずれは6.62%で、1888年の2枚と同じくらいです。写しのほうが油絵よりよく合っていたことから、研究チームは実際の観察にもとづく絵だと推し量っています。写す癖やぼんやりした記憶で描いたのなら、見慣れないV字がより正確になることはない、という考えです。
星の向きも合っていました。1889年7月22日の1時53分から3時20分まで、ヒアデス星団の2つの星を結ぶ線は、地平線に対して32.6〜35.1度傾いていました。絵の中の同じ線の傾きは33.13度で、この範囲に入ります。
以前に行われたカンヴァスの調査によると、ゴッホは青い空を塗る前に星の場所を塗らずに残し、あとから星を描き込んでいました。研究チームは、まん中の星の並びが前もって決めてあった証拠として、この結果を挙げています。
ただ、絵の星がすべて正確というわけではありません。V字の外側の星の一部は、飾りとして足されたのかもしれないと論文は書いています。また、形が合うことだけでは、星座を決める証拠になりません。3点だけで比べると、関係のないアンドロメダ座の星でも、ずれは1.45%になってしまいます。そのため研究チームは、月と金星の位置と狭い視野で星座を選び、形の一致は食い違いがないかの確かめに使いました。



でも、そのころのゴッホは発作で絵を描けなかったんじゃないの?
発作の時期と、手紙に出てくるセミ
これまでの研究では、ゴッホの2度目の発作は7月中旬に起き、その後の数週間は描けなかったと考えられてきました。それが正しければ、7月22日ごろの空を見て描いたという考えは成り立ちません。
そこで研究チームは、手紙を読み直しました。弟テオが1889年8月4日に書いた手紙では、医師ペロンが伝えた病気の長さが、オランダ語で「1日かそこら」と書かれています。発作が7月16日ごろだったなら、8月の初めにこう書くのはつじつまが合いにくい、と研究チームはみています。
ゴッホ自身は8月22日の手紙で、「今度の発作は、風の強い日に野で絵を描いている最中に起きた」と書きました。天気の記録を見ると、7月26日にニームで北風のミストラルが吹き始め、27〜29日にはアヴィニョンとエクスでも同時に強まっています。
ゴッホはまた、閉じこもっていた期間を「6週間」と書いた手紙も残しています。42日さかのぼると、発作は7月25〜26日となり、天気の手がかりとほぼ重なります。一方で、そのあとの手紙では「2か月近く」「2か月」とも書いていて、こちらは通説の7月中旬を指します。研究チームは、回復していちばん早く書かれた「6週間」のほうを重く見ています。どの手がかりも、それだけでは時期を決められません。それでも、手紙・天気・のちに手紙集を出したヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルの回想がそろって、発作が7月下旬だった可能性を支えていると研究チームは考えています。
季節の手がかりもあります。『星月夜』にはっきり触れた手紙は、1889年6月18日の1通だけです。そこでゴッホは「星空の新しい習作」と書いていますが、描き始めたことを記すだけで、仕上がったことには触れていません。
別の手紙でゴッホは、『星月夜』と同じ組の『オリーブの木々』について、「暑さの中を緑の甲虫やセミが飛ぶ時間を表そうとした」と書きました。アヴィニョンの記録では、6月に30度以上になった日は4日だけです。7月は18日あり、特に7月4〜18日は30〜34度の日が15日続きました。
研究チームは、セミや暑さの記述を、描いた日の直接の証拠ではなく、季節を見るための補助の資料として使っています。
7月22日ごろの空と、決めきれないこと


最後に、月の形と天気を日ごとに見ていきます。7月21日は、月と金星が約29.7度離れていて、狭い枠に一緒には入りません。22日は月と金星の間が18.6度に縮まり、月の光っている部分も28.44%と、絵の細い月に近い形になりました。
23日と24日になると、月と金星は7.66度、3.20度まで近づき、絵の構図から外れます。23日の明け方は、天気のせいで星が見えにくかったとみられます。22日にも多少の雲があった可能性は否定できませんが、一致を崩すほどではないと論文は判断しています。
研究チームが強調するのは、日付そのものではありません。狭い視野の枠・星の並びの形・月と金星の位置・当時の天気・手紙の季節の記述という、互いに関係のない手がかりが1889年7月下旬のある明け方に集まったことです。こうした一致は空が思いつきの作り物だという考えとは合いにくく、実際の空を見た経験にもとづくとみるのがいちばん簡単な説明になる、と論文は述べています。ゴッホ自身も、この絵を手紙で「配置の点から見ると誇張」と書いていて、誇張するにはもとになる本物がいる、というのが研究チームの読み方です。
ただし論文は、限界も書いています。結論は、絵の星の並びと1889年7月下旬の明け方の空が合うところまでです。いつ描き始めたか、あとで描き直したかは判定していません。19世紀の天気の記録は今ほど精度がなく、発作が始まったときの診療の記録も残っていません。新しい史料が見つかれば、結論は改められうるとしています。
描いた日も、ある1日に決めたわけではありません。続く数日の夜に何度も見た印象がまとめられたかもしれないと考え、その中心にいちばん合うのが7月22日ごろの空だとしています。
読むときに知っておきたいこともあります。7月22日という日付は、筆頭著者のキム氏が2025年に出した韓国語の本で先に提案していたものです。今回の論文は、キム氏が以前の本で示した方向を、数で確かめる段階に進めたものです。プロクラステス法による形の比べ方やアヴィニョンの天気の分析などは、今回の論文で初めて加えたものだと書かれています。
また論文によると、キム氏は会社SLLABの創業者で最高経営責任者で、ほかの著者2人も同じ会社の役員と社員です。この会社は、研究をもとにした本や展示などの事業で利益を得る可能性があると届け出ています。研究は、外部の資金を受けていません。
研究を率いたキム・ジョンヒョン氏は、AP通信に対して「7月22日のほうがよい日付だと確信している。この日に賭ける」と答えています。キム氏は、ニューヨーク近代美術館にある『星月夜』の実物を、まだ見たことがないそうです。
研究に加わっていないメキシコ国立自治大学の物理学者ホセ・ルイス・アラゴン氏は、「それでも7月という日付は、決着した答えというより好奇心をそそる仮説だと思う」と話しています。ほかの絵で方法を確かめた点は「丁寧で、本当に学際的な研究」と評し、「いちばん納得できるのは大きなメッセージのほうだ。この絵はただの空想ではない。ゴッホは本物の空をとてもよく見ていた」と述べました。
昔の作品を科学の目で読み直す話は、ダンテの『神曲』の一場面を小惑星の衝突として読む説の記事でも紹介しました。あの渦巻く空を、ゴッホの心の中の景色として見てきた人も多いかもしれません。日付が7月22日かどうかより、ゴッホが本物の空をそれほど細かく見ていたかもしれないという点のほうが、この絵の見え方を大きく変えるのではないでしょうか。


参考文献:
一次ソース: Elijah Jeong-hyun Kim, Suna Kang, Jungwoo Song & Ho Jin, The actual sky of Van Gogh’s Starry Night: a multidisciplinary reconstruction(Scientific Reports, 2026)DOI:10.1038/s41598-026-73025-5
研究機関: SLLAB, INC.・慶熙大学校(韓国) / 発表文: Nature Portfolio「Astronomy: July sky may have inspired van Gogh’s The Starry Night」
報道: AP通信(KSAT掲載)「New study traces van Gogh’s famed ‘Starry Night’ to an actual night sky from 1889」
基礎知識: NASA APOD「Hyades for the Holidays」










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