毎朝、目覚まし時計の音で起き、電車の時刻表を見て、待ち合わせに腕時計を確かめる。時間は当たり前のように「そこにある」ものとして感じられている。
しかし現代物理学の一部の理論は、時間が宇宙にもとから備わった要素ではないと示唆してきた。
英国バーミンガム大学のジョヴァンニ・バロンティーニ教授は、極低温に冷やした約24,000個の原子で「ミニ宇宙」を作り、系の内側の情報だけで出来事の順番を並べられるかを確かめた。
研究は2026年6月11日付で学術誌Physical Review Researchに掲載された(DOI: 10.1103/1h9j-df4k)。
キク時計がなくても、時間ってどこかから生まれてくるものなのかな?
「時計のない宇宙」という現代物理の難問


時間が宇宙にもとから備わっていない、というのは奇妙に聞こえる。だが理論物理の世界では真面目に議論されてきた問題だ。
代表例がウィーラー=ドウィット方程式である。宇宙全体を1つの量子状態として記述する式で、外側の時計にあたるものを持たない。
論文によれば、この式には、物理的な変化に順番をつけるための外部のパラメータがない。それは、私たちが感じる時間の流れとは対照的だ。
そのため、時間の流れは宇宙の内部のさまざまな部分の関係から生じるはずだ、という考え方がある。
論文は、時間は正準量子重力の未解決問題だと述べる。一方で冷却原子の装置は近年、宇宙論や量子重力が扱ってきた問いを実験室で調べる道具になってきた。
もう一つの難問が「時間の矢」だ。論文によれば、ニュートン力学から量子力学、相対性理論、そして上の方程式まで、どの理論にも時間の向きは組み込まれていない。
基礎物理でただ一つ頑健な非対称性は熱力学の第二法則で、粗視化したエントロピーが大きくなる向きに進む。
ボース=アインシュタイン凝縮体で作った「ミニ宇宙」
バロンティーニ教授の実験は、宇宙そのものではなく、実質的に閉じた多数の粒子の系を「ミニ宇宙」と見なして使う。論文は、この「宇宙」という言い方を、あくまで最小限の意味で使っていると断っている。
装置の主役はボース=アインシュタイン凝縮体(BEC)と呼ばれる特殊な物質状態である。
BECは、アインシュタインが予言した状態だ。ごく低温に冷やした原子が、いっせいにエネルギーのいちばん低い状態に集まる。
1995年に実験で初めて実現され、2001年のノーベル物理学賞の対象になった。
今回の実験では、およそ24,000個のルビジウム87原子でBECを作った。絶対零度より数十億分の1度高いところまで冷やしたという。
原子は、波長1070ナノメートルと1550ナノメートルの2本のレーザーを交差させた光のわなに閉じ込める。
そこに、波長675ナノメートルの光で幅約8マイクロメートルの薄い「仕切り」を作り、原子雲を二分する。
片側は観測する「明領域(bright region)」、もう片側は観測しない扱いの「暗領域(dark region)」と役割を分ける。
仕切りの高さが、2つの領域のあいだを行き来する原子の量を決める。
約100ミリ秒の時間スケールでは、系に測定できるほどの散逸も粒子の損失も見られなかった。
系が十分に孤立していたので、論文はこれを、エネルギーの形が時間で変わらない閉じた系として扱っている。
時間の目盛りは、明領域のデータだけから作る。暗領域は、その外側にあたる「観測しない側」として扱う。
論文によると、明領域の有効ハミルトニアンは、宇宙論の「ミニスーパースペース模型」と構造が似ている。
明領域は膨張と収縮を繰り返した
仕切りを越えて原子が明領域に入りはじめる時点を、論文は「ビッグバン」と呼ぶ。明領域はそこから広がって最大の大きさに達し、やがて縮む。
原子が暗領域へ戻る時点が「ビッグクランチ」にあたる。
プレスリリースは、これを「ビッグバンのあとにビッグクランチが起きる単純化した姿に似ている」と説明している。ビッグクランチは、宇宙の膨張がいつか反転して縮むという仮説上の出来事だ。
研究では、この動きを実験室の時間で120ミリ秒にわたって追い、2ミリ秒ごとに撮影した。仕切りの高さを変えて、同じ測定を繰り返している。
実験室の時間を使えば、「何ミリ秒後には形がこうなった」と時系列で並べられる。
しかし解析では、その時計の代わりに、明領域の内部の量を使う。画像から求めるのは、原子数、重心の位置、広がり(密度分布の標準偏差)、そしてエントロピーだ。
論文によれば、膨張と収縮のサイクルは何度も繰り返され、その全体にわたって、内部から定義した順序づけで出来事を並べられた。
ただし、重心の位置の測り方が粗いため、エントロピーの変化と重心の動きの符号が入れ替わる「ゆらぎ(wiggles)」が一部に出ると、論文は述べている。


エントロピーで時間の目盛りを作る


実験の核心はここにある。研究チームは、撮影した画像ごとに原子数と重心の位置を求め、1原子あたりのエントロピーを見積もって、明領域のエントロピーを計算した。
1原子あたりのエントロピーは変化のあいだずっと1程度で、明領域のエントロピーはほぼ原子数に比例する。つまり、エントロピーの出入りは、原子が仕切りを越えて出入りする量と直結している。
原子が明領域と暗領域のあいだを行き来するにつれ、明領域のエントロピーは増えたり減ったりする。
研究チームは、このエントロピーの変化を、重心の動きに沿って足し合わせて「エントロピー時間」という目盛りを組み立てた。
この目盛りを使うと、膨張・収縮の全サイクルにわたって事象を一貫した順序で並べられることが確認された。
並び方は実験室の時間での並びとおおむね一致し、違うのは、目盛りの間隔、つまり時間の進む速さだった。バロンティーニ教授はこれを「エントロピー時間(entropic time)」と呼ぶ。
エントロピー時間には3つの特徴がある。第一に、ほぼ全域で一方向にだけ進む。第二に、システムが膨張しても収縮しても、事象の順序は正しく保たれる。
第三に、エントロピーが明領域に出入りしているときは速く進み、やりとりがないときは止まる。
仕切りが低い条件では、エントロピーのやりとりがほぼ元に戻るため、ビッグクランチから次のビッグバンまでのあいだ、エントロピー時間は進まなかった。
仕切りを高くしてやりとりを減らすと、エントロピー時間はゆっくり進み、さらに高くすると明領域は「熱的死」に向かい、エントロピー時間は完全に止まった。
なお、明暗両方を合わせたミニ宇宙全体のエントロピーは、誤差の範囲で一定だった。



観察する側の原子の集まりでエントロピーの出入りが止まると、この実験で作った時間の目盛りも止まるのか。身のまわりの時間までそうと決まったわけじゃないけどね
シュレディンガー方程式をエントロピー時間で書き直した
気になるのは、内部から作ったエントロピー時間が既存の物理法則と衝突しないかどうかだ。
論文は、量子力学の基本方程式であるシュレディンガー方程式を、実験室の時間ではなくエントロピー時間で書き直し、明領域に残る1つの自由度(広がり)について導いた。
数値計算の結果は、仕切りの高さがほぼ0の条件で、測定した明領域の広がりの変化とよく一致した。論文は「excellent agreement」と書いている。
ただし、計算には実験データから見積もったパラメータが入っており、比較したのはこの1つの条件だ。
ただし、導かれた式はふつうのシュレディンガー方程式そのものではない。エントロピーの出入りがあると、有効なハミルトニアンの大きさが時間とともにゆっくり変わる形になる。
ふつうのユニタリーな発展に戻るのは、エントロピーの出入りがゼロの極限だけだと、論文は述べている。
プレスリリースは、内部の変化で時間を定義しても、量子系の確率分布の発展を予測できる、と説明している。
従来の時計時間とエントロピー時間の関係を、あえて表にすれば以下のようになる。
| 観点 | 従来の「時計時間」 | エントロピー時間 |
|---|---|---|
| 参照先 | 系の外にある独立した時計 | 系のなかのエントロピー変化 |
| 流れる向き | 過去→未来(あらかじめ与えられる) | エントロピー変化から自然に定義 |
| 速度 | 常に一定 | エントロピー再分配で変わりうる |
| 変化がない時 | それでも進む | 止まる |
ただし注意も要る。実験は、時計時間の代わりにエントロピー時間でも明領域の発展を記述できることを示したにすぎず、量子重力理論そのものを証明したわけではない。
この結果から「宇宙の時間の正体はエントロピーだ」とまでは言えない。論文自身も、関係的な時間の考え方を定量的に試せる実験の場を作った、という位置づけにとどめている。
今回のシステムは十分に孤立していて散逸が無視できる範囲で成立している、という条件も忘れてはいけない。
今後はより複雑な系で試す構想
論文は、関係的な時間の考え方を実験で定量的に試せる場を作った、と位置づけている。
研究チームは、同じ手法をより複雑な量子系に広げれば、ビッグバンやブラックホールの物理を実験で調べる道が開けるかもしれないと述べている。
プレスリリースは、疑似的なブラックホールも対象に挙げている。
論文が挙げる具体例には、特異点か量子的な跳ね返りかを、粒子間の相互作用の符号と強さで調べること、ローシュミットエコーによる可逆性の検証、引力のポテンシャルで疑似ブラックホールを作ることがある。
参考文献:
一次ソース: Giovanni Barontini, Testing the problem of time with cold atoms(Physical Review Research, 第8巻2号, 2026年)DOI: 10.1103/1h9j-df4k
研究機関: 英国バーミンガム大学 / 二次ソース: ScienceDaily
論文全文(arXiv): arxiv.org/abs/2509.07745
BECの解説: ノーベル財団 2001年物理学賞のプレスリリース









