シルミーはかせ、ブラジルの鉱山事故でバナナに鉛が入っちゃったって! 鉱山の事故が、なんで果物に関係するの?
それがね、ダムが崩れて流れ出た泥が、川を下り、畑の土にしみ込み、そして植物の根から果実へと運ばれた——長い「バケツリレー」があったんだ。しかも植物は、毒を栄養と勘違いして自ら吸い込んでしまう。その一部始終を追っていこう。
ある日の鉱山事故が、めぐりめぐって食卓のバナナにたどり着く。にわかには信じがたいこの話が、南米ブラジルで実際に起きた。2015年に発生したブラジル史上最悪の環境災害から数年後、汚染された地域で育ったバナナやキャッサバ、カカオから、鉛やカドミウムといった有害な金属が見つかったのだ。研究はサンパウロ大学などのチームが行い、2025年に環境科学の専門誌に発表された。汚染はどのように食べ物へと届いたのか。その道のりを、順にたどっていこう。
あの日、泥の津波が村を呑んだ


すべての始まりは、2015年11月5日。ブラジル南東部ミナスジェライス州で、鉄鉱石の採掘で出る廃棄物(尾鉱)をためていたフンダン(Fundão)ダムが突然決壊した。「マリアナ鉱山災害」とも呼ばれるこの事故である。あふれ出た泥の量は、およそ4370万立方メートル。東京ドームおよそ35杯分という、想像を絶する量の泥流だった。
泥の津波は、まず2.5キロ下流のベントロドリゲス村を襲い、村をほぼ丸ごと押し流した。約600人が家を失い、19人が命を落とした。そして泥流はドセ川という大河を伝って、620キロメートル以上も下流の大西洋まで到達した。流域の40もの自治体が一斉に清潔な水を失った。この事故は、ブラジル史上最悪の環境災害として、いまも人々の記憶に刻まれている。
なぜ「尾鉱ダム」は崩れたのか


そもそも、なぜダムは崩れたのか。カギは、こうした鉱山の廃棄物ダムの多くが採る「上流式」という積み上げ方にある。これは、水を含んでゆるくなった廃棄物そのものの上に、さらに堤体を継ぎ足していく最も安価な方式だ。しかし構造的にはもろく、何かのきっかけで「静的液状化」——地面の砂が突然、液体のように振る舞う現象が起きると、一気に崩れてしまう。
実際、過去100年あまりに起きたダム決壊の約4分の3が、この上流式だったという調査もある。そして悲劇は繰り返された。同じ鉱山会社が、この事故のわずか4年後の2019年、別の場所ブルマジーニョでもまた上流式ダムの決壊を起こし、今度は270人もの命が奪われたのだ。安さと引き換えに抱えた構造的な危うさが、二度の大惨事を招いた。しかもブルマジーニョのダムは、採掘が終わって3年も経ってから、内部のすべり面がじわじわと広がって突然崩れたことが後の研究で分かっている。使われなくなったダムでも、危険は静かに進行していたのだ。
泥が川を下り、畑の土にしみ込む


さて、ここから汚染が食べ物へと近づいていく。大量の泥は川底や河口に堆積し、洪水のたびに周囲の農地の表層の土を覆っていった。この尾鉱には、鉄やシリカが主成分として含まれるが、それだけではない。独立した研究者たちの分析によれば、そこには鉛、カドミウム、ヒ素、マンガンといった有害な重金属も混じっていた。
もっとも、この点については見解が分かれている。鉱山会社側は「流れ出たのは本質的に無害な鉄分の泥だ」と主張してきた。一方、大学や環境当局の独立した調査は、繰り返し有害金属を検出し、その毒性を指摘している。どちらにせよ、汚染された土の上で作物が育てば、その影響を調べる必要がある——研究チームはそう考え、河口の町リニャーレスで、土と作物のサンプルを集めて分析することにした。
植物の根は「偽の栄養素」にだまされる


ここが、この物語の核心だ。なぜ植物は、体に毒となる金属をわざわざ吸い込んでしまうのか。答えは、植物の根が持つ「栄養素の改札口」がザルだからだ。
植物は根に、必要な栄養(イオン)を取り込むための専用の通り道を備えている。ところがこの通り道は、形や電気的な性質が似ているものを本物と見分けられない。たとえば有害な鉛は、植物に必要な栄養であるカルシウムとよく似ている。だから根は、鉛をカルシウムだと勘違いして、「顔パス」で通してしまう。カドミウムはさらに巧妙で、鉄分が足りないときに働く鉄の取り込み口を、鉄のふりをしてすり抜ける。鉛はカルシウムに、カドミウムは鉄に化ける——この「栄養素のなりすまし」こそが、毒が植物の中へ侵入する分子レベルのからくりなのだ。こうして根から入った金属は、茎を通って、私たちが口にする実の部分にまで運ばれていく。
なぜ、よりによってバナナだったのか


調査の結果、バナナの果実からは食品の安全基準を超える濃度の鉛が検出された。ではなぜ、数ある作物の中でバナナが目立ったのか。理由は、バナナの根の浅さにあると考えられている。
バナナは、地中深くまで根を張らない。むしろ水分の6割ほどを、地表からわずか30センチほどのごく浅い層から吸い上げている。ところが、洪水で運ばれてくる汚染は、まさにその表層に集中していた。つまりバナナが水を吸うゾーンと、汚染がたまった層が、ぴったり重なってしまったのだ。ただし公平を期すために言えば、バナナだけが突出して危険だったわけではない。カカオの果肉からもほぼ同水準の鉛が出たし、カドミウムはむしろキャッサバでいちばん高かった。作物の種類によって、どの毒をどれだけ溜め込むかが違う——それも、この研究が明らかにした重要な発見だった。専門的には、植物が土からどれだけ金属を取り込むかを「移行係数」という数字で表す。この値は、根の張り方や形、根の周りでの化学的な働きによって大きく変わる。だからこそ、同じ汚染された土でも、バナナ・キャッサバ・カカオでたまる金属の種類と量が違ってくるのだ。
「安全な量」が存在しない毒


検出された金属が、なぜこれほど問題視されるのか。それは、これらがごく微量でも体を蝕む毒だからだ。
とりわけ鉛は厄介だ。体内に入ると、脳の神経細胞でカルシウムのふりをして、正常な働きを妨げる。子どもの脳の発達への影響は深刻だ。ある大規模な研究では、血液中の鉛がわずかに増えるだけで知能指数(IQ)が数ポイント低下し、しかも低濃度のときほど影響の傾きが急になることが示された。つまり「これ以下なら安全」という下限が存在しないのだ。世界保健機関(WHO)は「安全といえる曝露レベルは存在しない」と明言し、専門機関は鉛の暫定的な許容摂取量という基準そのものを撤廃したほどだ。今回の研究でも、6歳以下の子どもがこの地域のバナナを食べ続けた場合、健康リスクの指標が安全の目安を超えると算出された。カドミウムもまた、腎臓に長くとどまって害をなす。かつて日本の富山県で多くの人を苦しめたイタイイタイ病の原因物質でもある。



じゃあ水俣病みたいに、食べ物を通じてどんどん毒が濃くなっちゃうの……?
いい着眼点だ。でも実は、重金属なら全部が水俣病と同じ、というわけではないんだ。そこには大事な違いがある。
「水俣病と同じ」ではない、大事な違い


有害物質が食物連鎖で問題になるとき、よく引き合いに出されるのが水俣病だ。工場から流れ出た有機水銀が魚に蓄積し、それを食べた人が深刻な被害を受けた、日本の悲しい公害である。ただし、この水俣病と今回のケースには重要な違いがある。
水俣病の原因となったメチル水銀は油になじみやすく、魚の体に溜まって排出されにくい。そのため、小魚を食べる大魚、それを食べる人間へと、食物連鎖の段階を上がるごとに毒が濃縮されていった。ところが鉛は水に溶けにくい性質のため、一般には水俣病の水銀のようには生物の体で濃縮されにくい。つまり「重金属は何でも食物連鎖でどんどん濃くなって怖い」と一括りにするのは、実は正確ではないのだ。毒の性質を一つずつ正しく理解することが、過剰でも過小でもない、適切な備えにつながる。
「祖父」と呼ばれた川を失った人々


この災害の影響は、数字や化学の話にとどまらない。汚染されたドセ川のほとりには、古くからクレナックという先住民の人々が暮らしてきた。彼らはこの川を単なる水源ではなく、「ワトゥ」——祖父、あるいは神聖な存在と呼び、漁や飲み水はもちろん、暮らしと精神のよりどころとしてきた。
ところが事故で魚が採れなくなり、人々はスーパーの肉に頼らざるを得なくなった。ワトゥの死は、食べ物だけでなく、彼らの文化やアイデンティティそのものを揺るがした。事故から10年近くが経った今も、川の水は生き物にとって有害なままの場所があり、一部の地域では今なおミネラルウォーターの配給に頼っている。「川はもう回復した」とは、とても言えないのが現実だ。目に見える泥は引いても、慢性的な汚染と失われた暮らしは、静かに続いている。
植物で毒を吸い出す、その希望と限界


汚染された土は、では元に戻せるのか。ここで注目されているのが、植物の吸収能力を逆手に取った「ファイトレメディエーション(植物による浄化)」という技術だ。
世界には、ふつうの植物の100倍から1000倍もの重金属を溜め込んでも平気な、特殊な植物が700種以上あるという。有名なのがヒマワリだ。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のあと、ヒマワリが水中の放射性物質を吸収する試みが行われた。このときヒマワリは、放射性のセシウムをカリウムのふりで、ストロンチウムをカルシウムのふりで吸い上げた。ここでもまた、あの「栄養素のなりすまし」が働いていたわけだ。ただし、この技術は万能ではない。土に固く結びついた汚染には効果が限られ、東日本大震災後の福島で試みられたヒマワリによる除染も、実用の水準には届かなかった。植物の力に希望はあるが、過信は禁物だ——そのことも、私たちは知っておく必要がある。
一つの鉱山事故が、川を下り、農地の土にしみ込み、植物の根の「改札」をだまして、遠く離れた食卓のバナナにまでたどり着く。この長く目に見えない連鎖は、人間の営みと自然とが、いかに深くつながり合っているかを、静かに教えてくれる。汚染された川のほとりでは、いまも人々が清潔な水を待ち、失われた暮らしを取り戻そうとしている。目には見えない毒の旅路をたどることは、私たちがこの地球とどう向き合うべきかを、そして日々口にする食べ物がどこから来るのかを、あらためて深く問い直すことでもあるのだ。
参考文献
Ferreira AD, Bernardino AF, Ferreira TO, et al. 『From tailings to tables: Risk assessment of potentially toxic elements in edible crops cultivated in mine tailing impacted soils』 Environmental Geochemistry and Health, 2025. DOI: 10.1007/s10653-025-02770-9










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