イギリス南部、ドーセット州の海岸。世界遺産にも登録された「ジュラシック・コースト」と呼ばれるこの断崖から、新種の海の爬虫類の化石が見つかった。
全長約3メートル、現代のイルカほどの大きさで、剣のように細長く尖った口を持つ。その姿から「ドーセットの剣の竜」と名づけられた。
学名はクシフォドラコン(Xiphodracon)——ギリシャ語で「剣」と「竜」を組み合わせた名だ。
マンチェスター大学名誉研究員でブリストル大学研究員のディーン・ロマックス氏ら、米国とドイツの研究者を含む3人が2025年、学術誌『Papers in Palaeontology』に発表した。
この化石が特別なのは、二つの謎を秘めているからだ。一つは、この竜がどうやって死んだのか。もう一つは、この竜が生きていた時代が、なぜ化石記録から「消えていた」のか。
そもそも「剣の竜」の正体は魚竜だ
まず正体をはっきりさせよう。「竜」と名はついているが、これは恐竜ではない。魚竜(ぎょりゅう)という、海に暮らした爬虫類の仲間だ。
魚竜は三畳紀に現れ、ジュラ紀に最も種類が多くなり、白亜紀に姿を消した。最後の魚竜が消えたのは、恐竜が絶滅する数百万年前だ。
剣の竜が泳いでいたのは、ジュラ紀前期のプリンスバッキアン期(約1億9300万〜1億8400万年前)だ。
魚竜は一生を海で過ごし、卵を産みに陸へ上がることはなかった。鰓はなく、クジラのように空気を吸って暮らし、生きて育った子を直接産んだ。
出産の最中を示す化石も、まれに見つかっている。
剣の竜の骨格には、大きな眼窩(眼のあった穴)と、剣のように細長い吻がそなわっていた。
ミステリー1 — この竜は「殺された」らしい
一つ目の謎だ。頭骨の上面には、放射状の割れと、よりへこんだ部分があった。研究チームは、この個体が大型の捕食者に頭を噛まれて死んだとみている。
ただし歯の穴ははっきり見分けられず、化石になる過程で頭骨がゆがんだ可能性も残る。それでも、骨格のほかの部分には同じゆがみが見られない。
この大きさの個体にこの傷を付けるには、口を15センチ以上開ける必要があった。同じ時代の捕食者として考えられるのは、大型のテムノドントサウルス属の魚竜だけだ。
この個体には、生きているうちに負ったけがや病気の跡もあった。鎖骨の骨折、あちこちの歯の変形、そして上腕骨と大腿骨の少なくとも4分の3に見られる、壊死とみられる変化だ。
骨の壊死は、今の海の動物では、捕食者に襲われて逃げたあとなど、潜水の仕方が乱れたときに起きることがある。
右の太ももの骨にも噛み跡があったが、こちらは死んだあとに、もっと小さな動物に死骸をあさられた跡と考えられている。
共著者のエリン・マクスウェル氏(シュトゥットガルト州立自然史博物館)は、「手足の骨と歯には、生きている間の重いけがか病気を示す変形があり、頭骨は大型の捕食者に噛まれたように見えます。おそらく、はるかに大きな別の魚竜でしょう。これがこの個体の死因を教えてくれます。中生代の海で生きることは、危険なことでした」と話す。
胴の左側、肩帯の後ろには、胃の内容物も残っていた。魚の骨やうろこに似た茶色の骨片が混じっていて、魚を食べていたとみられる。
ただし、魚の種類の特定にはさらなる調査が必要だという。
新種と判断した特徴の一つは、目のそばにある涙骨という骨に、ほかの魚竜にない突起状の構造があることだった。

キクこの魚竜の頭の傷を見ると、大きな捕食者に噛まれたらしいって分かるんだね!
ミステリー2 — 記録が消えた「空白の時代」


二つ目の謎は、時代そのものにある。この剣の竜が生きていたのは、ジュラ紀前期のプリンスバッキアン期と呼ばれる時代だ。
この時代の魚竜の化石はとても少ない。今回の化石は、この時代の魚竜としては最も完全なものだ。
プリンスバッキアン期の前と後では、魚竜の顔ぶれが大きく違う。前の時代の属のうち、後の時代まで残ったのは1つだけで、同じ種は1つも残っていない。
その入れ替わりが起きた時代の化石がほとんどなかったため、何が起きたのかがよく分からなかった。
共著者のジュディ・マサーレ氏(ニューヨーク州立大学ブロックポート校)は、「プリンスバッキアン期の前と後の地層からは、完全に近い魚竜の骨格が何千も知られています。二つの顔ぶれには共通する種がなく、生態は全体として似ているのにです。プリンスバッキアン期のどこかで、種の多様性に大きな変化が起きたのは明らかです。剣の竜は、それがいつ起きたかを知る助けになりますが、なぜ起きたのかは、まだわかっていません」と話す。
剣の竜は、その空白を埋める一体だ。後の時代のハウフィオプテリクスという属に近縁で、研究チームは、魚竜の顔ぶれの入れ替わりがプリンスバッキアン期の前半の終わりごろに始まっていたとみている。
ロマックス氏は、「剣の竜は、『魚竜というパズルの欠けたピース』と呼べるものです。この発見は、顔ぶれの入れ替わりがいつ起きたかを絞り込む助けになり、それは予想よりずっと早い時期でした」と話す。
ただし論文は、シネムール期からプリンスバッキアン期にかけての入れ替わりが、データの欠落を映しているだけの可能性にも触れている。
プリンスバッキアン期の地層は、それより古い地層ほど丁寧に採集されてこなかったからだ。
直前に起きた三畳紀末の大量絶滅
この時代を知るには、少し前の出来事を押さえておきたい。三畳紀末の大量絶滅だ。剣の竜が生きたプリンスバッキアン期は、その絶滅からおよそ1000万年後にあたる。
論文によると、この絶滅で最大級の魚竜の種が姿を消し、三畳紀に生きていた魚竜の属や種は、ジュラ紀に一つも引き継がれなかった。
ただし、この絶滅が魚竜の多様性に与えた影響は小さかったとする別の研究(Laboury ら、2025年)もある。
絶滅のあとも、魚竜の顔ぶれは入れ替わり続けた
ジュラ紀に入ると、イギリスでは魚竜の種類が比較的早く増えた。論文は、その後の約1000万年のあいだにも、顔ぶれが大きく入れ替わったとみている。
ジュラ紀の初めに数多くいたイクチオサウルス科は、プリンスバッキアン期の後半以降の地層からは見つかっていない。
一方、剣の竜を含むレプトネクテス科は、プリンスバッキアン期に種類が増えた形跡がある。
魚竜は爬虫類なのに魚のような体をしていた
魚竜は爬虫類だが、姿は魚によく似ていた。
カリフォルニア大学古生物学博物館の解説では、最も初期の魚竜は細長い柔軟な体をウナギのようにくねらせて泳いだとみられ、のちの魚竜は、コンパクトで魚らしい体と三日月形の尾びれを持っていた。
海で最も速い魚であるマグロやサバに似た体つきで、速く泳ぐのに向いていたという。
前ヒレは、人の腕や手と基本の作りが同じだが、腕の骨は短く、指の骨は数が増えて長くなり、櫂のような形になった。
剣の竜は、吻が細長いレプトネクテス科の魚竜で、小さくて細い歯を持っていた。研究チームは、魚やイカを食べていたと考えている。



このドーセットの海岸で、最初に研究された魚竜の化石は誰が掘り出したんだろう?
剣の竜が眠っていた「化石ハンターの聖地」


剣の竜が見つかったドーセットの海岸は、ジュラシック・コーストとしてユネスコ世界遺産に登録されている、化石の宝庫だ。
この海岸で名を残したのが、1799年生まれのメアリー・アニングという女性だ。
ロンドン自然史博物館によると、彼女が12歳だった1811年に兄のジョゼフが奇妙な頭骨を見つけ、翌年からメアリーが約5メートルの骨格を掘り出した。
これは科学的に研究され、文献に記された最初の魚竜だった。
1823年にはプレシオサウルスの完全な骨格を初めて発見し、1828年にはドイツ以外で初めての翼竜の化石を見つけた。
それでも、彼女の化石を買った男性の科学者たちは、論文で彼女の名を出さないことが多かった。ロンドン地質学会が女性の会員を認めたのは、1908年になってからだ。
今回の剣の竜は、チャーマスの化石収集家クリス・ムーア氏が、ゴールデン・キャップの東の海岸(チャーマスとシートンの間)で見つけた。
標本は2001年にカナダのロイヤル・オンタリオ博物館が購入したが、長く研究されないままだった。ロマックス氏が初めて骨格を見たのは2016年だという。
参考文献
Lomax DR, Massare JA, Maxwell EE. 『A new long and narrow-snouted ichthyosaur illuminates a complex faunal turnover during an undersampled Early Jurassic (Pliensbachian) interval』 Papers in Palaeontology 11(5), 2025. DOI: 10.1002/spp2.70038(オープンアクセス、全文)
マンチェスター大学のプレスリリース: Rare Jurassic ‘Sword Dragon’ prehistoric reptile discovered in the UK
魚竜の解説: UCMP, Introduction to the Ichthyosauria
メアリー・アニング: Natural History Museum, Mary Anning: The unsung hero of fossil discovery









