火星はゴールではなく、途中で勢いをもらう場所だった。NASAのプシケ探査機は、燃料を使わずに火星の重力を借りて加速し、本当の目的地である小惑星帯へ向かった。
キク燃料を使わずに加速するって、いったいどうやるんだろう?
火星の重力で加速した
探査機が宇宙を進むのに必要な燃料は、打ち上げ時にすべて積み込まなければならない。だが、それでは遠くへ行くほど膨大な燃料が必要になってしまう。
重い燃料を積めば積むほど、打ち上げる際にも余計な力が要るというジレンマが生まれる。
そこで使うのが「重力アシスト」だ。天体の重力に近づいて軌道を曲げ、その勢いで加速する技術である。1970年代のボイジャー探査機も、木星や土星の重力を使って太陽系の外へと飛び出していった。
プシケ探査機は2026年5月15日、火星表面から4,609キロメートルの距離まで接近した。地球と月の距離が約38万キロであることを考えると、火星のすぐ「上空」を駆け抜けた格好だ。
時速1600キロの加速に成功
NASAのジェット推進研究所(JPL)で航法を担当するDon Han氏は、地球からプシケに送る電波の周波数を分析することで加速が成功したと確認した。
動いている物体から届く電波の周波数が変化する「ドップラー効果」を利用したのだ。
「火星はプシケに時速1,000マイル(約1,600キロ)の加速を与え、太陽に対する軌道面を約1度ずらしてくれました。これで2029年夏の小惑星プシケ到着に向けて軌道に乗りました」とDon Han氏は語る。
軌道面が1度ずれるだけでも、宇宙のスケールでは大きな違いになる。プシケが向かう小惑星帯は、火星と木星の間に広がる岩石の海だ。
地球からの監視チームが見たもの
火星接近の瞬間、地球側ではNASAのディープスペースネットワーク(DSN)がプシケからの電波を受信し続けていた。
DSNは深宇宙の探査機と地球を結ぶ通信網で、米カリフォルニア州・スペイン・オーストラリアの3か所に巨大なアンテナが設置されている。
地球が自転しても常にどこかのアンテナが宇宙のほうを向くため、24時間通信が途切れないしくみだ。
「事前の計算と飛行計画には自信がありました。それでも、DSNのドップラー信号をリアルタイムで監視しているときは、本当にドキドキしましたよ」とDon Han氏は振り返る。
電波の周波数のわずかなずれから探査機の速度変化が分かるため、加速が予定通りに進んでいるかが手に取るように確認できたという。
偶然撮れた三日月の火星
プシケが火星に近づいたとき、地球からは想像できない光景がカメラに収まった。火星が細い「三日月形」に見えたのだ。
プシケが、太陽の光が火星に当たる向きと大きく角度のずれた方向から近づいたためだ。地球から夜の半月や三日月を見上げるのと同じ理屈で、火星も照らされる側だけが光って見える。
しかも、その三日月は科学者たちが予測したよりも、火星の縁に沿って遠くまで伸びていた。原因は火星大気中に舞うチリだ。
チリが太陽光を散乱させて、本来なら暗いはずの部分まで薄く照らし出していた。火星はしばしば惑星全体を覆うほどのダストストームに見舞われる星でもある。
プシケが撮影した画像は、火星の大気そのものの研究にも貴重なデータをもたらすことになる。



プシケから見た三日月形の火星が予想より長く伸びてたのは、火星の大気のチリが光を散らしてたからか。
機器テストの絶好のチャンス
プシケには複数の科学機器が搭載されている。マルチスペクトルイメージャー(多波長カメラ)、磁力計、ガンマ線・中性子分光計だ。
火星接近はこれらの機器を本格運用前にすべてチェックできる絶好の機会となった。
イメージャーの責任者であるアリゾナ州立大学のJim Bell氏は、火星に近づくにつれて何千枚もの画像を撮影したと話す。
「カメラの性能を測ったり、小惑星プシケで使う画像処理ツールの初期テストを行ったりするのに、またとないデータが手に入りました」
Jim Bell氏はNASAのパーサヴィアランス火星探査車で使われている主力カメラの責任者でもある。火星地表のパノラマ撮影を担ってきた専門家が、今度は金属の小惑星に挑むわけだ。
そのパーサヴィアランスも、火星接近の最中に地表や大気の撮影で支援した。
ほかにNASAのマーズ・リコネサンス・オービター、2001マーズ・オデッセイ、キュリオシティ探査車、欧州宇宙機関(ESA)のマーズ・エクスプレスとエクソマーズ微量ガス周回機も加わった。
こうした「ついでの火星観測」は、単なる本番前の練習にとどまらない。
すでに火星を回っている探査機たちと同じ対象を、別の角度・別の機器で同時に撮ることで、互いのデータを突き合わせて機器の精度を確かめられる。
目的地に着いてから機器の不調が見つかっては手遅れになりかねないだけに、この途中点検の意味は大きい。
火星の磁気の壁を捉えた可能性
磁力計チームには嬉しいおまけがあった。火星の周りにある「バウショック」と呼ばれる、太陽風と火星の磁気環境がぶつかる領域を検出したらしいというのだ。
地球には強い磁場があって、太陽から飛んでくる荷電粒子を弾き返している。火星にはそれほど強い磁場はないものの、それでも太陽風と衝突する境界が存在する。
過去の火星データと比べて較正を進めているのは、ガンマ線・中性子分光計のチームだ。小惑星プシケに磁場があるかどうかを調べる本番に向けて、機器の感度を測る予行演習にもなった。
待っているのは「金属でできた世界」


直径280キロの謎の塊
プシケが目指すのは、その名も「16プシケ」という小惑星だ。火星と木星の間の小惑星帯に浮かんでおり、最大の差し渡しは約280キロメートル。
東京から名古屋までの距離とほぼ同じサイズだ。ここで旅程を整理しておくと、探査機プシケの打ち上げは2023年10月、到着は2029年夏の予定なので、打ち上げから到着まで約6年の長旅になる。
今回の火星フライバイ(2026年5月)から数えれば、到着までは残り約3年ということだ。
この小惑星が特別なのは、岩石と金属が混ざり合った、金属に富む天体だと考えられている点である。かつては「まるごと金属の塊」とも言われたが、今は岩石と金属が混ざった天体とみられている。
それでも、岩石が大多数を占める小惑星のなかでは、これほど金属に富む天体はとても珍しい存在だ。
地上の望遠鏡やレーダーによる観測でも、16プシケの表面にはニッケルや鉄といった金属が多く含まれている可能性が、以前から指摘されてきた。
ただし、地球から遠く離れた小さな天体を望遠鏡で見るだけでは、その正体を確かめるには限界がある。だからこそ、探査機を送り込んで間近で調べる意味が出てくる。
今回のミッションは、遠くから推測するしかなかった「金属の世界」に、初めて直接近づいて答え合わせをする試みなのだ。



金属に富む小惑星を近くで調べたら、何が分かるのかな?
太陽系の赤ちゃん時代の「化石」かもしれない
科学者たちが特に注目しているのは、16プシケが原始惑星のむき出しになった金属コアかもしれないという仮説である。
太陽系ができたばかりの頃、惑星の卵にあたる「微惑星」が無数に飛び交っていた。それらが衝突を繰り返しながら、現在の惑星に成長していった。
16プシケはその過程で外側の岩石部分を激しい衝突で剥ぎ取られ、内部の金属コアだけが残った姿ではないかと考えられている。
もしそうなら、16プシケを調べることは、地球や火星のような岩石惑星の奥深くにある「核」を直接観察することに近い。
地球の中心は液体の金属だが、地球を半分に割って中を見るわけにはいかない。地球の核までの深さは約2900キロにも及び、人類が掘った最も深い穴でも12キロ少々が限界だ。
2029年8月、いよいよ到着
探査機プシケは2029年8月に小惑星16プシケへ到着する予定だ。到着後は高度を下げたり上げたりしながら円軌道で小惑星を周回し、表面の地図作りや化学組成の分析、磁場の測定などを行う。
主任研究者でカリフォルニア大学バークレー校のLindy Elkins-Tanton氏は「何年も待ち望んでいた火星接近が無事に終わりました。赤い惑星に感謝して、次は小惑星プシケへ向かうだけです」とコメントしている。
探査機プシケはNASAのディスカバリープログラム14番目のミッションとして選ばれた。太陽電池と電気推進という燃費の良い方式で、地球から数億キロ離れた小惑星帯までゆっくりと進んでいく。
ミッションはアリゾナ州立大学が率い、JPLが運用を担う。探査機の本体はインテュイティブ・マシーンズ社が手がけた。









