はかせ、北極で見つかった水夫の白骨って、160年以上も名前がわからなかったって本当?
そうなんだ。1859年に見つかった遺体の身元が、2026年にようやく確定した。カナダの考古学チームが、子孫のDNAをたどってね
北極の凍土に眠る白骨——その名前を刻んでくれたのは、160年以上のちに生きる子孫が差し出したDNAだった。カナダ・ウォータールー大学の考古学チームは2026年、1845年に消えたフランクリン隊の水夫を新たに4人特定したと発表した。うち1体は1859年の発見以来、身元が二転三転してきた166年越しの謎の男。決め手は、子孫のミトコンドリアDNAが示した遺伝的距離ゼロという数字だった。研究成果は考古学誌『Journal of Archaeological Science: Reports』と極地研究誌『Polar Record』に2026年掲載され、DNAで名前を取り戻したフランクリン隊員は合計6人になった。氷の下で無名のまま180年近く眠っていた骨に、順に名札が戻り始めている。
1845年5月:129人の英艦隊、北西航路を目指して出港
物語の始まりは、1845年5月のイングランド沖にさかのぼる。北大西洋と太平洋を最短でつなぐ「北西航路」の発見を託されたイギリス海軍は、ジョン・フランクリン卿を隊長にHMSエレバスとHMSテラーの2隻を送り出した。乗員は129人。北西航路の踏破は当時のイギリスにとって国家的な悲願であり、長期の氷海航行を見込んだ物資を積み込んだ「万全の遠征」として送り出されたと伝えられる。
だが北極海の氷は、19世紀の造船技術を軽く凌駕した。2隻はカナダ北部・ヌナブト準州のキング・ウィリアム島沖で凍りつき、そのまま身動きが取れなくなる。凍結は1846〜1847年の冬に及び、1847年6月にはフランクリン隊長本人が命を落とした。氷に閉じ込められた乗員たちは、寒さと飢え、そして病に少しずつ削られながら、静かにひとりずつ数を減らしていった。
1848年4月:105人が船を捨て、氷原を歩き始めた


1848年4月——凍結から2年近くが経ち、船内の生存者は105人にまで減っていた。彼らは2隻の艦を放棄することを決め、キング・ウィリアム島の西岸を南下し始める。手作りのソリに救命艇を載せ、装備を積んで氷原を徒歩で引きずる過酷な行進だった。到達を目指したのは、はるか南のカナダ本土の陸地だった。
結果は、誰一人生き残らないという最悪の形で終わる。以来、島とその南のアデレード半島には、19世紀後半から現在にかけて折々に遺骨が発見されてきた。誰の骨か——本人の名前を返すには、19世紀の技術ではもちろん、20世紀の技術でも手も足も出なかった。名前のない骨だけが、氷の南端に散らばり続けた。北極という地理的な閉鎖性と、当時の遺伝子技術の限界が、160年以上にわたって身元不明を固定してきたのだ。
1859年:凍土に残された『ペグラー文書』と身元の矛盾


19世紀最大の手がかりが現れたのは1859年。マクリントック隊による捜索で、キング・ウィリアム島南岸に転がる1体の白骨のそばに、フランクリン隊が残した書類がまとまって発見された。詩の断片、航海の情景を綴った文章、そして船員資格証明書。証明書の名義はハリー・ペグラー——HMSテラーの前檣楼長(Captain of the Foretop)だった。前檣楼長とは、前方のマスト上部で帆の操作を統率する熟練水夫の役職。書類群はのちに「ペグラー文書」と呼ばれるようになる。
ところが同じ遺体のそばに残されていた衣服は、艦の士官付きの下働きである「スチュワード」の階級を示す作りだった。書類が指す名前と、服装が指す身分がずれる——この矛盾のせいで、身元は166年間宙に浮いたままとなる。「彼こそペグラー本人だ」「いや服装からしてスチュワードの誰かを取り違えている」という論争が、極地考古学の論文で繰り返し蒸し返されてきた。書類と衣服のねじれは、単なる資料の欠落ではなく、遠征最終盤に何が起きたかを推理するための一級の遺物だった。
2014〜2024年:沈没船の再発見とDNAで返された最初の2人


状況が動き始めたのは21世紀に入ってからだ。2014年にHMSエレバス、2016年にHMSテラーの船体が、それぞれヌナブト沖の海底で相次いで発見された。170年近くを経て艦そのものが姿を現し、遺骨から古いDNAを取り出す技術も同じ時期に追いついてきた。時代が、名前を返せる条件をようやく整えたのだ。
ウォータールー大学のダグラス・ステントン博士らは、まず2021年、エレバス機関士のジョン・グレゴリーを子孫のDNAで特定する。2024年にはエレバス艦長ジェイムズ・フィッツジェームズの遺骨を特定し、その骨に残された切創痕から仲間による共食い(カニバリズム)の証拠まで示した。DNAが返した最初の2つの名前は、極地考古学に「本人性」という新しい軸を持ち込んだ。骨と船を発見しただけでは足りない、生きている子孫がそこに参加して初めて名前が戻る、という枠組みが立ち上がった瞬間である。
2026年:遺伝的距離ゼロで確定した4人の水夫
そして2026年。ステントン博士と同大のロバート・パーク博士、ラケヘッド大学のスティーヴン・フラトピエトロ博士らのチームは、新たに4人の水夫を特定した。HMSエレバス側はウィリアム・オレン(有能水兵)、デヴィッド・ヤング(少年水兵1級)、ジョン・ブリッジェンズ(下級士官付きスチュワード)の3人で、いずれもエレバス湾で発見された遺骨。HMSテラー側の1人は、あの1859年の白骨——本名ヘンリー・ピーター「ハリー」・ペグラー、HMSテラーの前檣楼長だった。彼だけは他の3人からおよそ130km離れた地点で見つかっており、船を降りた隊列がどれほど広範囲に散り散りになったかを物語る。
特定に使われた指標は「遺伝的距離」だ。今回の4人全員で、この距離がゼロだった。遺伝的距離ゼロとは、遺骨と現存する子孫のミトコンドリアDNAあるいはY染色体DNAの配列が、比較した箇所で完全に一致することを意味する。血縁の指紋が完璧に重なる状態だと考えていい。今回特定された4人の遺骨からは共食いの痕跡が見つからなかった、という点も研究チームは付け加えている。誰の骨に切創が残り、誰の骨には残らなかったか——それが本人単位で語れる時代に入った。
決め手はミトコンドリアDNAと母系の家系記録
ペグラー本人の身元確定は、単なる血縁マッチだけで成立したわけではない。研究チームは、当時HMSテラーに乗っていた8人のスチュワードのうち6人の子孫まで丹念にDNAサンプルをたどり、そのいずれとも遺骨のDNAが一致しないことを先に確認している。「服装からしてスチュワードだった」という古い説を、DNAの側から一つずつ潰してから前に進んだのだ。
遺骨からのDNA抽出を担ったのは、ラケヘッド大学のスティーヴン・フラトピエトロ博士だ。取り出された遺伝物質は、子孫から提供されたミトコンドリアDNAとY染色体DNAに照合された。そのうえで、ペグラー本人の子孫と推定される人物のミトコンドリアDNAが、白骨と遺伝的距離ゼロで結ばれた。四つの照合すべてで距離がゼロに収まったことは、遺骨と現存の提供者が共通の祖先を持つ強い証拠になる、と研究チームは位置づけている。
書類と衣服の矛盾がなぜ生じたのか、その理由まで論文が断定しているわけではない。ただ、極寒の行軍では防寒着が生死を分ける。仲間が息絶えるたびに衣服だけが受け継がれた——そんな光景を筆者は想像する。そう捉えれば、160年宙に浮いていた矛盾も、遠征最終盤の生々しい現実の断片として読み直せるのかもしれない。
この手法が使えるのは、母系(ミトコンドリア)または父系(Y染色体)でとぎれのない家系記録を持つ子孫に限られる。何世代かのどこかで縁が切れると、遺伝子の橋は途切れてしまう。研究チームは今も、フランクリン隊の子孫を名乗る人に「連絡してほしい」と呼びかけている。骨の側だけでは、名前は戻ってこない。
BBCニュース記者が受け取った家系の便り
今回のプロジェクトには、一つドラマティックな逸話がある。下級士官付きスチュワードのジョン・ブリッジェンズの子孫として名乗り出たのは、現役のBBCニュース記者リッチ・プレストン氏だった。かつて家系をたどるドキュメンタリー番組の制作に携わっていた彼が、自分自身のDNAで170年以上前の北極隊員とつながっていたと知る——「他人の家系の話を追ってきたら、自分の家系がその中にあった」構図だ。
プレストン氏はステントン博士からのDNA提供依頼を「大きな驚きだった」と語っている。現代を生きる子孫のDNAが北極の凍土に届き、名前を返す。ステントン博士は、こうした特定が生きている子孫にとって「肉親がどこでどのように亡くなったのか、そして誰と共に息絶えたのか」というこれまで得られなかった手がかりをもたらす、と語る。この研究の主役は骨と論文だけではなく、DNAを差し出した現代の人々の側にもいる。DNAの提供は簡単な採取で済むが、そのサンプルが接続する時間の長さは、家族の歴史の長さそのものだ。
166年目に返された名前が意味するもの


今回のプロジェクトのもう一つの重みは、遺骨に残されたカニバリズム(共食い)の痕跡のあり/なしを、本人単位で区別できる点にある。2024年に特定されたエレバス艦長フィッツジェームズの骨には他者に切り分けられた痕があった。一方、今回の4人の骨にはその痕跡が見られない。誰がどの段階で息絶え、誰が最後まで仲間の遺体に手をつけずに歩き続けたか——極限状況の輪郭が、名前つきで語り直され始めている。
筆者はこの研究を、単なる「歴史ミステリー解決」以上のものとみている。ミトコンドリアDNAとY染色体を用いた個体特定は本来、法医学の身元不明遺体照合や災害犠牲者の身元確認で磨かれてきた技術だ。それが160年前の北極遠征に降りて、船員資格証明書の名義と衣服の階級の矛盾を解く。低温で保存された古いDNAと、途切れず残る母系・父系の家系記録さえそろえば、無名の遺骨は本人に戻る——そう示した点で、この報告は「フランクリン隊の話」に留まらないと考えられる。19世紀末に極地で亡くなった無数の人々、あるいは20世紀の戦没者、行方不明の航空機の乗員に対しても、同じ技法は静かに扉を開けつつある。氷は皮肉なほど遺伝子を守る保管庫だった、と個人的には見ている。極寒はエントロピーを止め、DNAとインクの両方を凍結保存する。北極という舞台と、家系という時間軸が交わったとき、160年越しの名前は本人の元に返ってきた。
1859年に見つかった白骨に、166年ぶりに本名が戻った。書類は合っていたのに、服が違うから疑われ続けていたんだよ
子孫のDNAが名前を連れて帰ってきた感じだね……。北極のどこかで、まだ誰かの名前が待ってるのかも
参考文献:
一次ソース1: Stenton, D.R. et al., DNA identifications of three 1845 Franklin expedition sailors from HMS Erebus (Journal of Archaeological Science: Reports, 2026, 72:105739) DOI:10.1016/j.jasrep.2026.105739
一次ソース2: Stenton, D.R. et al., Some very hard ground to heave: DNA identification of Harry Peglar, Captain of the Foretop, HMS Terror (Polar Record, 2026, 62) DOI:10.1017/S003224742610031X
研究機関: ウォータールー大学、ラケヘッド大学 / 二次ソース: ScienceDaily (2026-09-10)










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