はかせ、ものすごく大きな噴火が起きたら、近くに住んでいた人たちはみんないなくなっちゃうの?
そう単純でもないらしいよ。縄文時代の日本で、それを人口の増え方と減り方から確かめようとした研究があるんだ
これまでの研究によると、九州の南の海の底にある鬼界カルデラでは、約7300年前に巨大な噴火が起きました。この「鬼界アカホヤ噴火」は、最後の氷期が終わってからの時代では、地球全体でも最大級の噴火に数えられます。
当時の日本列島には、狩りや採集で暮らす縄文の人々がいました。噴火のあと、その人々はどうなったのでしょうか。考古学者のあいだでは、噴火に近い所では人の暮らしがすっかり途絶えたという「終末」の見方と、近くでも生き延びた人々がいたという見方が、長く議論されてきました。
この問いに人口という物差しで答えようとしたのが、スウェーデンのルンド大学が率いる国際チームです。イギリスのケンブリッジ大学や九州大学、金沢大学なども加わっています。チームは遺跡から出た試料の放射性炭素年代540件をもとに、噴火の前後で人口がどう動いたかを地域ごとに推定しました。
見えてきたのは、「全滅」とも「生き残り」とも言い切れない姿でした。九州の南部と中部では人口が大きく減りました。その一方で、噴火に比較的近い九州北西部の海沿いや山陰では、人口が増え続けていたとみられます。遠く離れた伊勢湾のあたりでも、噴火のあとに人口が減る向きに変わっていました。論文は2026年に学術誌『Science Advances』に掲載されています。
海の底から噴き出した巨大噴火
これまでの火山学の研究によると、鬼界カルデラは九州本土の約30km南、海の下にあります。ここではカルデラをつくる巨大噴火が少なくとも2回起きていて、1回目は9万5000年前、2回目が約7300年前の鬼界アカホヤ噴火でした。噴き出した火山灰などの体積は332〜457立方キロメートルで、噴火の規模を表す火山爆発指数は7です。
これまでの火山学の研究では、この噴火は一度に起きたのではなく、休みをはさみながら強まっていった一連の出来事だったと考えられています。最後の段階では巨大な火砕流が海の上を高速で渡り、九州南部の海岸や内陸へ流れ込みました。大きな津波や強い地震、厚い火山灰も伴いました。
火砕流は、熱いガスと火山灰、岩がひとかたまりになって、地面をはうように流れ下るものです。ふつうは時速数百キロで進み、温度は最高で1000℃にもなります。火山の災害の中でも、最も命にかかわるものの一つです。
九州の南の端には1〜2メートルの火山灰
研究チームが既存の火山灰のモデルをもとにまとめた分布では、最も厚い1000〜2000ミリの火山灰は九州の南の端に集中していました。九州のほかの地域には150〜1000ミリが積もり、北東の方向へ四国や本州の南側まで続いています。西日本には25〜150ミリ、東北の北部と北海道では25ミリ未満でした。
噴火の中心から150kmの遺跡では、押し固められた今でも火山灰の層が平均400〜500ミリの厚さで残っています。降り積もったときには、合わせて1000〜2000ミリあったとみられます。
これまでの研究が示す、灰の厚さと回復の速さ
灰の厚さは、自然が元に戻る速さを左右します。5〜25ミリの薄い灰なら、土は酸素や水分を失わず、たいてい次の生育の季節までに回復します。25〜150ミリでは生態系の回復に数十年、150ミリを超えると数百年かかることがあります。新しい土が一からできるのを待たなければならないためです。
海と川でも違いがありました。九州の海岸と海の生態系は津波や軽石の被害を受けても、海流に洗われ灰が運んだ栄養もあって、数か月から数年で持ち直したとみられます。一方、灰で詰まった川の漁は打撃が大きく、回復に少なくとも数十年かかったと考えられています。
屋久島のシカに残る跡
2025年に学術誌『Scientific Reports』に載った別の研究は、屋久島のヤクシカのふんからミトコンドリアDNAを取り出し、遺伝的な多様さを調べました。対象は、約7300年前の火砕流を生き延びたシカの子孫です。屋久島のシカの2つのまとまりは、火砕流の堆積物の分布と重なっていました。今の高い多様さは、火砕流で数が激減したあと、約4900〜6500年前に一斉に広がったことで得られたのかもしれないと、この研究は考えています。
今回の論文も、噴火の中心に近い種子島や屋久島では、イノシシやシカが海を渡らなければ戻れないため、自然の回復がさらに難しかったとみています。
これまでの「全滅」説と「生き残り」説
噴火の影響については、考古学で大きく2つの説が唱えられてきました。1つめは「縄文の終末」と呼べる見方です。九州南部ではほかの地域よりずっと早く大きなムラが栄えていましたが、噴火がその暮らしを突然終わらせたと考えます。
この説を支えてきたのは、土器の移り変わりです。アカホヤの火山灰の層のすぐ下で主な土器の型が途切れ、すぐ上には新しい型が現れます。遠くから来た人々が、空っぽになった土地に入ってきたしるしだと考えられてきました。
2つめは「縄文の生き残り」という見方です。論文でNishinosono式と呼ばれる型の土器は、火山灰の層をまたいで作られ続けていました。噴火の中心にかなり近い九州南部の遺跡でも途切れていないため、一部の人々はその場で生き延びたとみられています。
今回の研究グループも、以前の研究で噴火の前の九州南部を調べていました。大きな縄文のムラは、噴火の数千年も前にすでに捨てられていたといいます。噴火の直前には、短いあいだだけ住む場所を移り歩く小さな集団が暮らしていました。噴火が襲ったのは、にぎやかなムラではなかったわけです。
540件の放射性炭素年代から人口の増減を推定
昔の人口は、直接数えることができません。そこで手がかりになるのが、遺跡から出た、もとは生き物だった試料の年代です。大気中の炭素14は生き物の体に取り込まれ、決まった速さで減っていきます。物に残る炭素14の量を測れば、半減期をもとにその年代が分かります。これが放射性炭素年代測定です。
今回の研究は、この年代の数の多さを、人口や人の活動の多さの目安として使う考え方に立っています。
データは、国立歴史民俗博物館の放射性炭素年代のデータベースを整えた版から集めました。4万2000件を超える年代の中から、陸のものを測った試料で、8000〜6500年前に入るものを選んでいます。よく調べられた場所の試料ばかりが多くならないよう、100m以内・100年以内に集まった試料は1つの単位にまとめ、測定の誤差が最も小さいものを使いました。本州・北海道・九州・四国の4つの島の試料に絞り、最終的に540件の年代を分析しています。
次に、地図を直径125kmの六角形61個に区切り、2つの統計モデルを当てはめました。モデルAは、六角形ごとに、噴火の前の750年間(8000〜7250年前)と後の750年間(7251〜6500年前)の人口の増え方を推定します。モデルBは、噴火の後の年代が占める割合を推定し、噴火の後に年代の数が減ったかどうかを見ます。前後の区切りを500年や1000年に変えた場合とも比べて、結果を確かめました。
チームは事前に、「噴火で九州の人口は大きく減った」「まわりの地域は影響を受けずに増え続けた」など4つの予想を立てていました。
噴火に近い九州で、南と北が逆の動き


九州の南と中部では、噴火の前から減り始めていた
まず噴火の前の750年間を見ると、列島のほとんどの地域で人口は増えていました。ところが九州と北海道では増え方が弱く、減っていたかもしれない結果でした。推定の不確かさは大きいものの、九州では噴火が来る前から人口の減少が始まっていたのかもしれません。
噴火の後、最も大きく落ち込んだのは、噴火に近い九州の南部と中部でした。この地域で噴火の後に人口が減っていた確率は、モデルAで98%と推定されています。年代の割合が減っていた確率も、モデルBで97%でした。
もっとも、この地域は噴火の前から減っていたかもしれず、その確率は71%でした。噴火は、もともとあった減る流れをさらに速めたとみられます(確率97%)。発表文は、噴火が襲ったのはすでに人がまばらで、移動しながら暮らす集団が訪れるだけの土地だったとまとめています。
九州北部と山陰の海沿いでは、増え続けていた
予想に反したのは、九州北部です。噴火に近いにもかかわらず、人口は噴火の影響を受けたようには見えず、増え続けていました。噴火の後のほうが伸びはむしろ大きかったとみられ、後のほうが伸びが小さかった確率はわずか9%と推定されています。
同じような傾向は、中国地方の北側、今の島根県・鳥取県にあたる日本海側でも出ました。論文は、九州北西部の海沿いとこの日本海側の2か所を合わせた3つの地域を挙げています。3つの地域は噴火に比較的近いのに人口が増えましたが、同じくらいの火山灰が積もったほかの地域では人口は減っていました。
ただし九州北部では、年代の数そのものが噴火の後に変わったかどうかは、推定の幅が広くて決められませんでした。
海の幸と、北へ移った人々
3つの地域のうち少なくとも2つは、海の幸をとりやすい場所です。人口が増えた理由として、論文は3つの道筋を挙げています。その土地の人々が増えたこと。被害の小さい地域から人が移ってきたこと。そして九州南部や四国のような被害の大きい地域から、「避難民」が逃げてきたことです。これらが重なっていたことも考えられます。
発表文は、内陸で生き残った人々が北の海岸へ移り、海の生態系が早く回復したその場所に集まったようだと書いています。
遺跡から出る道具にも、海へ向かう暮らしの跡があります。これまでの考古学の研究では、噴火の後に石の銛(もり)の先が増え、九州北部の海岸から40〜80km沖の五島列島や、80km北の沖ノ島にまで広がっていました。論文は、海の幸に頼る暮らしが強まったことが、人口の増加が続いたことと結びついているようだとみています。
耳飾りと黒曜石が示すつながり
これまでの研究によると、噴火の直後には、切れ目の入った石の耳飾りの数が増え、九州北部の海沿いの遺跡にも初めて現れます。論文は、この耳飾りのやりとりが、噴火の後に新しいつながりや仲間をつくるうえで大事だったのかもしれないと考えています。ただ、この読み方は耳飾りと火山灰の層の前後関係に頼っていて、灰の薄い九州北部では不確かさが加わります。
これまでの発掘報告にも、南と北のつながりを示す手がかりがあります。九州南部のある遺跡では、噴火の前の時期の黒曜石の道具107点のうち84点が、200km以上離れた九州北部の産地のものでした。噴火の後にこの遺跡へ戻ってきた集団の黒曜石は、27点すべてが北の産地のものです。この遺跡では生き残りの土器が見つかっておらず、その場で生き延びた人はいなかったとみられています。
遠く離れた地域でも、人口の伸びが鈍った
研究チームが「最も意外な結果の一つ」と書いているのが、九州からはるかに離れた地域への影響です。噴火の後、列島のほとんどの地域で、人口の増え方はマイナスか、ほぼゼロになりました。
例えば伊勢湾のあたりでは、噴火の後に人口が減っていた確率が99%でした。落ち込み方は九州南部より小さいものの、増える流れから減る流れへ変わっています。東日本や中部日本でも、人口の伸びが全体に鈍りました。一方、東北など、さらに遠い地域では人口は増え続けていました。
増え方の数字は750年間の平均なので、100年に満たない乱れのあとすぐ回復していれば、増え方はプラスになったはずです。実際にはそうならず、影響は数百年続いたとみられます。発表文は、こうした遠くへの影響はこれまで見つかっていなかったと書いています。
では、なぜ遠い土地で人が減ったのでしょうか。論文は、まだ確かめられていない3つの候補を挙げています。1つめは、人や動物のフッ素中毒です。2つめは、肺に最も害のある細かい火山灰が遠くまで飛んだことです。3つめは、灰の積もった土地で草を食べたシカやイノシシの歯がすり減って寿命が縮み、人の食べ物が減ったことです。確かめるには、灰の降った帯に沿って、骨の変形や歯のすり減りを調べる必要があると論文は述べています。
火山灰の厚さだけでは説明しきれない
灰が薄い地域では、人口の傾向と灰の厚さに関係は見られませんでした。灰の厚さがどれだけ人口に効いたかは、2つのモデルのどちらでもはっきりしない、というのが論文の結論です。
理由の一つは、灰がとても厚い地域がわずかしかなく、そこは年代の数も少ないため推定がぶれやすいことです。もう一つは、「灰が厚いほど人口が伸びない」と単純には割り切れない、人口の動きの複雑さです。例えば四国は、カルデラからの距離だけで考えるより大きな被害を受けていました。弱い手がかりながら、1000km以内の地域の被害は、東北東へ向かった灰の主な向きに左右されたとみられます。
年代の数から人口を読む難しさ
研究チームは、データの細かさが比較的低く、扱う現象も複雑なため、推論の確かさには限りがあると認めています。地域によっては、人口が増えたのか減ったのかさえ確かには決められませんでした。
気をつけたい点は、ほかにもあります。1つは、人が暮らす場所が、あまり発掘されていない所に移っただけかもしれないことです。例えば低地から丘の上へ、といった移り方です。もう1つは、厚い火山灰そのものが見かけを左右することです。灰が厚いと、昔に人が減った場合だけでなく、今の私たちが遺跡を見つけにくくなることでも、見つかる遺跡は減ります。
それでも論文は、「崩壊か生き残りか」の二択のどちらでも、人々の複雑な反応は説明しきれないとまとめています。論文はまた、噴火は内陸から海岸へ・南から北へという人の流れを始めたのではなく、すでにあった流れを速めただけかもしれないとも書いています。
筆頭著者でケンブリッジ大学のエンリコ・クレマ教授は、「災害で多くの命が失われました。しかし生き残った人々は移り住み、新しい人間関係を結び、新しい暮らし方を生み出しました。災害の後の状況で工夫して生き、のちには栄えたようです」と語っています。
研究を率いた著者の一人は、ルンド大学の考古学者ピーター・ジョーダン教授です。ジョーダン教授は「どんなに絶望的な状況でも、生き残った人々や共同体には、限られていても選択肢があります」と話しています。
全滅したわけでも、そのまま生き残ったわけでもないんだね。
そう。九州の南は減って、北の海沿いでは増え続けていたらしいんだ。遺跡の年代の数から推定した結果だから、確かめることはまだ多いけどね
同じ噴火を受けても、その前から人が減っていた土地と、海の幸に恵まれた土地とで行き先が分かれていた点が、この研究の読みどころです。遠い土地で人が減った理由が、シカやイノシシの歯や人の骨からどこまで絞り込めるのか、次の研究を待ちたくなります。


参考文献:
一次ソース: Enrico R. Crema et al., Divergent demographic responses to the Kikai-Akahoya volcanic catastrophe in mid-Holocene Japan(Science Advances, 2026)DOI:10.1126/sciadv.aeh7197
研究機関の発表: Lund University「How one of Earth’s worst volcanic disasters affected societies in prehistoric Japan」(Phys.org)
関連する研究: Agetsuma-Yanagihara Y et al., Post-bottleneck increase in mitochondrial DNA diversity in Yaku sika deer (Cervus nippon yakushimae) on Yakushima Island, Japan(Scientific Reports, 2025)DOI:10.1038/s41598-025-23191-9
放射性炭素年代の解説: American Chemical Society「Radiocarbon Dating」










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