海に沈んだ軍艦は、時間が過ぎれば静かな鉄の残骸になる——そう考える人は少なくない。ところが北海の海底からは、109年前の戦争が今もにじみ出ていた。
デンマーク・オーフス大学のカトリーヌ・ユール・アンドレセン教授らは、1917年に触雷して沈んだドイツ潜水艦UC-30の周囲の海水・海底の泥・生き物から、TNTの痕跡を見つけた。
また、ドイツのアルフレッド・ウェゲナー研究所を中心とする国際チームは、北海の3隻の沈没船にムール貝を沈める実験の結果を、2026年の学術誌『Marine Pollution Bulletin』に発表した。
アンドレセン教授もこの論文の共著者だ。
始まりは1917年4月のロムー沖
物語は第一次世界大戦の最中に始まる。1917年、UC-30はアイルランド方面への任務のため出撃していたが、エンジンの不調で作戦を中止し、母港ドイツへ引き返す途中だった。
ほぼ帰還できるところまで来ていた矢先の出来事だった。デンマーク・ロムー沖を航行中の4月19日、UC-30はイギリス軍の敷設した機雷に触れて沈没する。
乗員27人全員が死亡した。
UC-30は機雷敷設艇として設計された潜水艦で、船体には機雷18発と魚雷6発が積み込まれていた。
当時の北海は、物資の出入りを握るための戦略上の要衝であり、水上艦隊でイギリスに劣るドイツは潜水艦作戦に活路を求めていた。
UC-30もそうした一隻だった。北海の海底に沈んだ後、この艦は一世紀近くのあいだ行方が分からなかった。
再発見は2016年。デンマーク人ダイバーのゲルト・ノルマン・アンダーセンが、鋼鉄の輪郭を海底に見つけた。潜水艦は民間ダイバーの立ち入りが禁止された保全対象になっている。
その後、オーフス大学のアンドレセン教授らが現地調査に乗り出した。
海軍のダイバーと、かごのムール貝
論文のチームは、ムール貝を生き物のセンサーとして使った。北海の3隻の沈没船に、ムール貝を入れたかごを数週間沈め、引き上げて体の変化を調べる。
測ったのは、有害物質を分解する酵素の働きや、消化腺の細胞の中にたまる代謝の老廃物の量だ。
一方、UC-30の調査は民間ダイバーの立ち入りが禁じられているため、デンマーク海軍のダイバーが協力した。
アンドレセン教授は「指示を受けたダイバーが潜り、沈没船のさまざまな場所と周りの海底から、堆積物や水、生き物の試料を集めてくれた」と話す。
ヒトデや貝も回収され、撮影した映像や写真は、機雷がどれだけむき出しになっているかや、船体の状態を見るのに使われた。
論文によると、爆薬の生物への影響を調べたこれまでの研究の多くは、海では見られないほど高い濃度で行われてきた。今回は実際の沈没船のそばで試したことに意味がある。
結果、解毒に関わる酵素の働きに大きな違いが見られ、消化腺の細胞にたまる老廃物の量も違っていた。論文は、爆薬を積んだ沈没船が生き物に悪い影響を与えている兆しだとしている。
水にも泥にも生き物にも「戦争の残り香」
UC-30の試料の分析では、海水・海底の泥・生き物のいずれからも、TNTの痕跡が見つかった。艦の中身は今もじわじわと海へ漏れ出しているのだ。
TNT(トリニトロトルエン)は爆薬として使われる有機化合物で、分解産物の一部は毒性が強い。海に流れ出れば、そこに暮らす小さな生き物のDNAや細胞をじわじわ傷めていく可能性がある。
ムール貝は海水を大量に濾過して餌を取る性質があり、その水に溶けた微量の化学物質を体にため込む。だからこそ、生体センサーとして使いやすいのだ。
アンドレセン教授(オーフス大学地球科学科)は「汚染は間違いなく起きている。問題はどの程度の強さで、どれだけ遠くまで及んでいるかだ」と述べる。
彼女の見立てでは、汚染源は比較的局所的だが、船体の腐食が進むにつれ、これまで金属に覆われていた爆薬が新たに露出していく。
放っておけば漏れ出し量は増えていく。
UC-30単体の話に見えて、実はそうではない。北海には第一次大戦中だけで、およそ19万発の機雷が敷設されたと推定されている。
その大半は今も海底のどこかで眠っている。

デンマーク領海に眠る「1万127隻」
問題の規模を示すもう一つの数字がある。アンドレセン教授が2024年にデンマーク環境保護庁向けにまとめた報告書によれば、デンマーク領海には10,127隻の沈没船が眠っている。
そのうち約15%が二度の世界大戦前後(1910〜1920年と1940〜1945年)に沈んだものだ。単純計算でおよそ1,500隻にのぼる。
「かなり多い数字だ」と彼女も認める。そのすべてが武装した軍艦とは限らないが、UC-30のように爆薬を抱えたまま朽ちていく艦がこの中に相当数含まれているとみられる。
沈没船がこれほど多いのには理由がある。北海はかつてユトランド沖海戦の舞台でもあった。
北ユラン半島のハンストホルム沖でドイツとイギリスの艦隊が激突し、25隻以上の艦船が沈み、およそ1万人の水兵が命を落とした戦争史上最大級の艦隊戦だ。
その戦没艦の多くも、いまなお北海の海底に残されている。UC-30のような潜水艦は、この広大な海の墓場のごく一部にすぎない。
キク爆薬を抱えた沈没船がこんなにあるなら、その場で爆破して片付けちゃえばいいのかな?
「爆破処分」は解決策になるとは限らない
では、沈没艦の中身を回収してしまえばいいのか。話はそう単純ではない。
まず思い浮かぶのは、危険な弾薬を海底から回収してしまう手だ。この分野で先行しているのはドイツで、バルト海に沈む沈没船や第二次大戦の弾薬をすでに多額の資金を投じて回収・無害化している。
ただし、艦体から爆薬を取り出して無害化する作業はコストが非常に高い。「ドイツはこの点で私たちデンマークより進んでいる」とアンドレセン教授は言う。
裏を返せば、デンマークの本格的な後始末はこれからだということだ。
もう一つやっかいなのは、海の底に眠る爆薬を「その場で爆破処分」する手法だ。
2023年に『Environmental Science & Technology』誌に発表された研究では、デンマーク海軍がバルト海のセイェルー湾で第二次大戦の機雷2個を爆破し、前後の海水と泥を調べた。
爆薬が完全に爆発した場合でも海水中の爆薬成分は1リットルあたり最大353ナノグラムに増えた。
不完全な爆発では1リットルあたり最大100万ナノグラム(1ミリグラム)に達し、海への負荷は数千倍大きかった。
放置か回収か爆破か、判断は場所ごとに変わる。加えて第二次大戦の終結時、連合国は膨大な量の弾薬を海洋投棄した経緯があり、そちらの拡散処理も並行して考えなければならない。
海底を這うロボットが次の一手
そこで期待されているのが、海底を這って動くロボットだ。アンドレセン教授はEUが資金を出す国際プロジェクトREMARCOに参加している。
これは、水中に沈む戦時遺物への「もっとも穏やかな解決策」を探る枠組みだ。「残念ながら簡単に片付ける方法はないので、できるだけ穏やかな解決策を見つけようとしている」とアンドレセン教授は語る。
試験されている装置の一つが、海底を這うクローラ型ロボットである。危険な弾薬の正確な位置を地図化したり、腐食が進む艦体を定期的に監視できる。
単に観察するだけでなく、ものによっては小さな弾薬を拾い上げて海上に運び、無害化まで含めて担える機体も想定されている。
ただし、すべての残骸を掘り返す必要はないと研究者たちは強調する。沈没船の一部または全体が海底の砂に埋もれている場合、砂そのものが遮蔽層として働き、汚染物質の放出リスクを大きく下げる。
環境リスクの高い場所を選別し、そこだけを重点的に処理する方が、限られた予算と時間を有効に使えるという発想だ。
数字が示す危険度と、示さない不確かさ


ここで一度、証拠の強さと弱さを腑分けしておきたい。UC-30で「TNTが水・堆積物・生物から検出された」ことは、化学分析による直接の測定で、比較的強い証拠だ。
ただし、「その汚染が北海の生態系にどれだけの被害を与えているか」という段階に踏み込むと、まだ不確かさが残る。
ムール貝から爆薬の痕跡が出たことは事実だが、その濃度が特定の魚種や海鳥にどこまで波及し、人が食べる魚介類にどこまで影響するかは、今回の論文の主目的ではない。
「汚染の存在」と「被害の総量」は別の問題であり、混同すべきではない。
二次的なニュースが「北海が危険だ」と単純化して伝えても、著者らは「局所的な影響で、まずどこが重要かを見極める段階」と慎重な立場を守っている。
また、TNTを含む爆薬類そのものは規制対象で毒性データが豊富だ。一方、鋼鉄と海水と時間が織りなす分解産物のふるまいは、実海域では研究例がまだ限られている。
強い数字と弱い数字を混ぜて語らない姿勢が、この分野の記事には欠かせない。
100年遅れで届く「戦争のしっぽ」


UC-30の話は、単なる海の環境問題では収まらない。1917年に沈んだ艦が、109年後の今も海に爆薬の成分を漏らしている。
戦争が終わっても、地図に載らない場所で、静かにその余波は続いていく。



1917年に沈んだ艦が、109年たった今も海に爆薬の成分を漏らしてるんだね。戦争の後始末って、こんなに長く続くんだ。
参考文献:
一次ソース: Schuster R.M. et al., Environmental risks from world war shipwrecks: Field-based biomarker evidence from caged mussels in the North Sea (Marine Pollution Bulletin, 2026, 229:119738) DOI:10.1016/j.marpolbul.2026.119738
関連論文: Ecotoxicological Risk of World War Relic Munitions in the Sea after Low- and High-Order Blast-in-Place Operations (Environmental Science & Technology, 2023) DOI:10.1021/acs.est.3c04873
研究機関: アルフレッド・ウェゲナー研究所(ドイツ)、キール大学、オーフス大学地球科学科(デンマーク)ほか / 二次ソース: ScienceDaily









