肩甲骨は、背中の上の方にある平たい骨です。薄くて壊れやすいので、大昔のものがきれいに残ることはまれです。ところが、イラクのクルディスタン地域にあるシャニダール洞窟で、ほぼ丸ごと残ったネアンデルタール人の肩甲骨が見つかりました。その平たい面には、直径およそ15mmの、ほぼ真円の穴があいていました。
調べたのは、英国のケンブリッジ大学考古学科のエマ・ポメロイ博士(論文の筆頭著者)らのチームです。チームは、この穴を死の前後に体を突き抜けた傷とみています。穴の円い形は、石の穂先ではなく、先をとがらせた木の槍と合うといいます。成果は2026年10月15日に発表され、学術誌『Scientific Reports』に掲載されました。
ネアンデルタール人は、絶滅した人類の中で私たちにいちばん近い親戚です。スミソニアン協会の解説では、約40万〜4万年前に、ヨーロッパから西南〜中央アジアにかけて暮らしていました。今回の骨からは、命取りになった傷のほかに、その前に負った顔の大けがと、仲間に葬られたとみられる跡も読み取れます。
8m近い岩と土の下から出てきた肩甲骨

画像: JosephV at English Wikipedia / Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
骨の主は「シャニダールA」と名付けられました。シャニダール洞窟の一角では1960年に、ラルフ・ソレッキのチームが少なくとも4人のネアンデルタール人の骨を見つけています。2015年に始まった新しい発掘では、そのすぐ隣から、少なくとも3人の大人の骨が新たに出てきました。シャニダールAも、その中に含まれます。
骨が掘り出されたのは2019年と2022年です。見つかったのは、ほぼそろった右手と、左の肋骨2本と右の肋骨のかけらです。ほかに左の肩甲骨と、歯7本も出てきました。7本目の歯(奥歯)だけはすり減り方がずっと少なく、別の個体のものらしいとチームはみています。
前歯のすり減りが大きいことから、シャニダールAはネアンデルタール人としては年配の約45歳だったと推定されました。性別は、見つかった骨からは分かりませんでした。
肩甲骨は、ところによっては光にかざすと透けて見えるほど薄い骨です。それが7.5mもの岩と堆積物の下で、ほぼ無傷のまま残っていました。ポメロイ博士は「この骨はとても薄いので、今の時代の埋葬でも、完全な肩甲骨が得られないことがよくあります」と話しています。骨はもろかったため、その場で樹脂を染み込ませて固めてから取り出しました。
この一角の骨の年代は、以前の研究で約7万〜7万5000年前と求められています。今回の論文が、新しく年代を測り直したわけではありません。
キクでも、その穴が大昔の傷だって、どうして分かるんだろう?
直径15mmの円い穴を調べる
穴は直径およそ15mmで、輪郭はほぼ完全な円でした。まわりからは、少なくとも3本のひびが放射状にのびています。
まず確かめたのは、穴が最近できたものではないかという点です。穴の部分に、最近ついた傷はありませんでした。穴と同じくらいの太さの虫の巣穴や植物の根が、骨の下の土を通った跡も見つかっていません。
次に、穴の縁を顕微鏡とマイクロCTで調べました。穴の縁には、骨が治りかけた跡がありませんでした。生きているうちに傷が治りかけていれば見られるはずの、骨が作り直された跡などが無かったのです。つまり穴は、死の前後か、死んだ後にできたことになります。
では、死の前後か、死んだ後か。手がかりは、肩甲骨の下の土の中にありました。チームは肩甲骨を下の土ごと取り出し、マイクロCTで立体的に撮影しました。すると、穴の下の土に、長さ4mm以上の骨のかけらが少なくとも4つ埋まっていたのです。
そのうちの1つは、穴にぴたりとはめ戻すことができました。骨の表面には筋肉がついていた細い線があり、その線がかけらの上にも続いていたことが決め手です。
肉食動物がかじった跡や、人が付けた切り傷・たたいた跡は、骨のどこにも見つかっていません。こうした点を合わせて、チームは穴を、死の前後に体を突き抜けた傷と考えるのがいちばんよく説明できると結論づけました。投げた武器か、槍のように突く道具による傷です。
槍は胸の前から、背中の肩甲骨へ


画像: Anatomography / Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.1 jp)
傷の向きも、骨から読み取れます。穴の下にあったかけらのずれ方から、武器は体の内側の、上の方から入ったと考えられます。発表文では、槍は上から下向きに入ったとみています。
発表文によると、槍は左の胸に前から入りました。肺と、おそらく太い動脈も通り抜け、最後に左の肩甲骨に穴をあけたとみられます。論文も、このけがは肺を含めて胸を突き抜けるもので、すぐに死に至った可能性が高いと書いています。
ポメロイ博士は「傷の位置と、体を突き抜けさせるのに必要な力は、心臓をねらったとどめの一撃の特徴を備えています」と語っています。研究者たちは、これが心臓をねらった一撃だったかもしれないと考えています。
これまでの研究では、ほかの遺跡の動物の肩甲骨にも、こうした穴がかなりよく見つかっています。それらは、獲物をすばやく倒すための「心臓ねらいの一撃」の跡と解釈されてきました。



下に落ちたかけらのずれ方などから、武器は体の前の側から背中の肩甲骨へ抜けたと考えられているんだね!
なぜ石ではなく木の槍なのか


これまでの実験研究に照らすと、円い穴は、断面が丸い木の槍の傷と矛盾しない形です。石の穂先をつけた武器だと、穴はふつう卵形かひし形になるからです。
発掘を率いたケンブリッジ大学の考古学者たちも、穴はとがらせた木の槍でできたと話しています。火打ち石や石の穂先なら、平たいか角ばった穴になるはずだからです。ポメロイ博士は「この時代の槍を再現したものが残す穴は、ネアンデルタール人の肩甲骨で見つけた穴によく合います」と述べています。
論文は、穴の形が木の槍によるけがと矛盾しない、と書いています。木の道具は朽ちやすく、遺跡にはめったに残りません。そのため、中期旧石器時代に木の道具が使われていたことを示す、間接的ながら貴重な証拠になるといいます。槍そのものが見つかったわけではない点は、押さえておきたいところです。
ネアンデルタール人の木の道具がどんな形で見つかるのかは、スペインの岩陰遺跡で見分けられた木の道具の記事でも紹介しました。
ほかの遺跡では、木の槍の実物も見つかっています。知られている中で最も古い丸い木の槍は、1911年にイギリスのクラクトン・オン・シーの海岸で見つかった先端で、40万年以上前のものです。ドイツのシェーニンゲンでは、1990年代に水に浸かった状態の槍が見つかりました。
これまでの研究では、シェーニンゲンの槍には長さ2mを超えるものもあり、今のやり投げの槍のように投げやすい重さの配分に作られていたとされます。この遺跡の年代は、最初は約40万年前、後に約30万年前とされてきました。2025年に発表された研究は、アミノ酸を使った年代測定で、槍を約20万年前のものと見直しています。
同じシャニダール洞窟では、以前にも武器の傷とみられる跡が見つかっています。シャニダール3という個体の、左の第9肋骨の細い傷です。2009年に発表された研究では、石の尖頭器の複製でブタの死体の胸を突く実験をして、傷と比べました。その結果、軽くて勢いの弱い飛び道具によるけがと一番よく合うと結論づけています。シャニダール3は、シャニダールAより約2万5000年新しい個体です。
割れた前歯が語る、生き延びた日々
シャニダールAには、命取りになった肩の傷より前に負った、別の大けがの跡もありました。手がかりは下あごの前歯です。前歯の1本(SH 0230)は縦に割れて、半分が失われていました。まわりの歯は、内側へ回り込んでいました。
割れた歯は、割れ目の面まで歯石にすっかりおおわれていました。割れたあとも、歯はしばらく口の中に残っていたことになります。
こんな割れ方をするには、歯と、おそらく下あごの前の部分に、大きな力が加わったはずです。論文は、固い所に倒れて顔を打つような事故か、人どうしの暴力による、鈍い力のけがが考えられると書いています。
ポメロイ博士は「歯がこんなふうに割れる一撃を生き延び、少なくとも1年、たぶんそれ以上生きて食べ続けるには、ほかのネアンデルタール人の世話と支えが必要だったはずです」と話しています。論文の方は、歯が口に残っていた期間を「しばらく」と書くにとどめています。
論文によれば、歯の傷みは、話すこと・食べること・痛みに長く影響したかもしれません。そのため、回復の間とその後にも、ある程度の世話が要ったかもしれないといいます。ポメロイ博士は、けがの後に軟らかい食べ物を与えられていたかもしれないと話しています。
シャニダール洞窟の堆積物を調べた以前の研究では、同じころ、植物の食べ物を料理の前に水に浸していたことが分かっています。



じゃあ、亡くなったあとのシャニダールAは、仲間にどう扱われたんだろう?
狭い場所に5人、くり返し置かれた遺体


画像: Khoshhat / Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
シャニダールAが見つかったのは、ネアンデルタール人の骨がかたまって見つかっている一角です。シャニダールAが加わって、ここで見つかった人の数は少なくとも5人になりました。大人4人と赤ちゃん1人で、長さ約1.5m、幅1m、深さ1mほどの範囲に収まっています。
骨があったのは、洞窟の天井の断層から落ちてきた、大きな縦長の岩のすぐ後ろです。シャニダールAは、このかたまりの中で一番深い所から出てきました。論文は、かたまりの中で最も早く置かれた個体だとしています。発表文は「この場所に最初に葬られた個体かもしれない」と、少し慎重な書き方です。
シャニダールAの骨は、真上にあるシャニダールZの胸から約150mm下にありました。真上の遺体と同じく、あおむけで頭を東に向けていました。
遺体はその後朽ちていき、骨は鉄砲水で乱されました。骨の大部分を流し去ったのはこの鉄砲水だと、論文はほぼ確かだとみています。そのときには、軟らかい組織はほとんど残っていなかったといいます。
寒さをしのごうと岩の陰に身を寄せた群れが一度に亡くなった、という考えは除外できると論文は書いています。遺体と遺体の間は堆積物で隔てられていて、別々の時に置かれたことがはっきりしているからです。花粉と堆積物から、当時は穏やかな気候で、寒さで亡くなったとも考えにくいといいます。また、前の遺体が朽ちきる前に次の遺体が置かれたことが多く、同じ狭い場所が、おそらく数世代のうちにくり返し使われていました。論文は、これは意図した決まった行動でなければ説明しにくいとしています。
ポメロイ博士は「一番よい説明は、意図的で象徴的な葬送の行動です」と述べています。「前の遺体が朽ちきる前に置かれたものもあり、これは数年から数十年のうちに起きていたことです」とも話しています。
この一角は、以前ソレッキらが唱えた「花の埋葬」説で有名な場所です。ただ、この説は強く批判され、その後の検証に耐えませんでした。今回の論文が葬送の行動の根拠にしているのは、花ではなく、同じ場所がくり返し使われたことです。
狩りの事故か、人どうしの争いか


画像: Khoshhat / Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
では、シャニダールAを突いたのは誰だったのでしょうか。論文は、肩甲骨の傷が狩りの事故のようなものだったのか、人どうしの暴力だったのかは分からない、とはっきり書いています。
ポメロイ博士も、狩りの事故だった可能性を挙げています。「マンモスのような動物は、突く槍で近くから狩られていたかもしれず、命にかかわるけがは想像しやすいのです」と話しています。
発表文によれば、暴力の状況も、現生人類がかかわっていたかどうかも、知るすべはありません。それでも、ネアンデルタール人どうしの暴力と見るのがもっとも素直な解釈だ、というのが考古学者たちの見方です。
シャニダール洞窟の発掘を率いるグレアム・バーカー教授は「このネアンデルタール人の最期について私たちが知りうるのは、それが暴力的で、木の槍によるものだったということだけです」と語っています。教授によれば、遠い先史時代には、組織的な暴力の証拠はきわめて珍しいものです。
発表文は、木の槍による命を奪う人どうしの暴力として「知られている中で最も古い例かもしれない」と書いています。論文の方は、中期〜後期更新世の人どうしの暴力かもしれない例はごくわずかで、そこに新しい例が加わった、という書き方です。
同じ洞窟のシャニダール3の傷については、以前、現生人類との争いの結果ではないかという見方もありました。今回の論文は、シャニダール3についても、個人や集団の間の暴力は実際には証明できないと書いています。
まだ分かっていないこともあります。この穴の形が、強い勢いでぶつかったときにできるのか、弱い勢いでもできるのか。それを確かめる実験が、今進められているところです。
ポメロイ博士は、シャニダールAには「ひどく暴力的な最期の証拠」がある一方で、「生きている間に世話を受けた個体でもあった」と話しています。肩の傷は命取りになりましたが、遺体は、のちに仲間の遺体が次々に置かれる場所に置かれていました。論文はこれが、死の間際と直後にもある程度の世話があったことを強く示唆している、と書いています。
ひとりの骨に、暴力の跡と、支えられて生きた跡の両方が残っていたことになります。槍の実物が無いなかで、穴の形とかけらの位置からどこまで言えるのか、論文がその線を慎重に引いている点も、この研究の読みどころだと感じます。
この研究の概要
- 発表
- 学術誌『Scientific Reports』に掲載。ケンブリッジ大学の発表は2026年10月15日
- 研究チーム
- 英国ケンブリッジ大学考古学科のエマ・ポメロイ博士ら。洞窟の発掘はケンブリッジ大学のグレアム・バーカー教授が率いる
- 調べた対象
- イラクのシャニダール洞窟で2019年と2022年に掘り出されたネアンデルタール人「シャニダールA」の骨(右手・肋骨・左の肩甲骨・歯)
- 調べ方
- 肩甲骨を下の土ごと取り出し、顕微鏡とマイクロCTで穴の縁と、穴の下に埋まった骨のかけらを調べた。歯のすり減りと歯石、骨が埋まっていた地層も調べた
- 分かったこと
- 直径約15mmの円い穴に治った跡は無く、死の前後に胸を突き抜けた傷と考えられ、形は木の槍と矛盾しない。下の前歯には、生き延びた顔の大けがの跡もあった
- まだ分かっていないこと
- 狩りの事故か人どうしの暴力かは分からない。槍そのものは見つかっていない。穴の形が強い勢いと弱い勢いのどちらでできるかは、実験で確かめている途中




参考文献:
一次ソース: Pomeroy E, Hunt CO, López-Polín L, et al., Evidence for funerary behaviour and lethal trauma in a new Neanderthal individual from Shanidar Cave(Scientific Reports, 2026)DOI:10.1038/s41598-026-69193-z
研究機関: ケンブリッジ大学 / 発表文: University of Cambridge「Fatal Neanderthal wound may be earliest evidence of a wooden spear attack on a human ancestor」(2026年10月15日)
別の研究: Churchill SE, et al., Shanidar 3 Neandertal rib puncture wound and paleolithic weaponry(Journal of Human Evolution, 2009)DOI:10.1016/j.jhevol.2009.05.010
別の研究: Hutson JM, et al., Revised age for Schöningen hunting spears indicates intensification of Neanderthal cooperative behavior around 200,000 years ago(Science Advances, 2025)DOI:10.1126/sciadv.adv0752
基礎知識: Smithsonian Institution Human Origins Program「Homo neanderthalensis」
アイキャッチ画像: Photo: Enguerrand Photography / Unsplash








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