はかせ、海から引き上げられたローマ時代の兜が、本当は中世のものだったってホント?
よく知ってますね! スペイン沖で1990年に見つかった43個の鉄製の兜、最新の分析で14〜15世紀の中世のものだったと判明したんですよ
その正体を突き止めたのは、スペインのアリカンテ大学の博士課程学生マヌエル・フラリッチャルディ氏を中心とする研究チーム。論文は2026年、ケンブリッジ大学出版の学術誌Antiquityに発表された。30年以上ローマ時代の遺物だと信じられていた43個の兜は、地中海の海底に眠った中世の「武器商品」だったかもしれない。
始まりは1990年、漁師の網が引き上げた謎


ベニカルロー沖、水深6メートルの「岩のかたまり」
1990年、スペイン東岸の小さな港町ベニカルローのすぐ沖合で、地元の漁師たちが奇妙な物を網にかけた。水深はわずか6メートルほど、岸からすぐ手の届く距離だ。重い金属のかたまりが2つ、何百年も海底に転がっていたかのように網に引きずられてきた。
引き上げた漁師たちが目にしたのは、ごつごつとした鉄の塊。表面はびっしりと海生物の堆積物に覆われ、内側には何かが詰まっているらしい。研究者たちはこの場所を「ピエドラス・デ・ラ・バルバダ」、つまり「バルバダの岩」と呼び、ささやかな水中遺跡として登録した。
近くには、かつての船着き場の跡が眠っていた。海岸線にちょうど突き出した桟橋があったらしい。荷物の積み下ろしのときに何かが落ちて、そのまま沈んだのではないか。研究チームは最初、そう仮定して調査を始めた。
海水で固まった鉄塊から現れた43個の兜
慎重に塊を割り開いてみると、中から出てきたのは43個の鉄製の兜だった。海水と鉱物が長年かけて隙間を埋め、ちょうどコンクリートのように一つの巨大な塊にまとめあげていたのだ。お菓子の缶にぎっしり詰まったクッキーを思わせる、隙間のない収まり方をしていた。
論文の第一著者であるフラリッチャルディ氏は、アリカンテ大学とイタリアのサレルノ大学の共同指導で博士論文を進めていた研究者。共同責任者のライモン・グラエルス氏(アリカンテ大学講師)と共に、この鉄塊の正体を30年越しに突き止める仕事に取り組むことになった。
研究チームの推定では、本来の積み荷はさらに大きな規模だった可能性が高い。それでも、まとまった形で残っていた43個は西地中海で見つかった中世の兜の最大規模の発見として記録されることになった。
ローマか中世か、立ちはだかった分類の壁


どの時代の図録にも当てはまらない形
最初の謎は、兜のデザインそのものだった。形を一目見ただけでは、どの時代のものか判別がつかない。フラリッチャルディ氏は研究を始めた頃を振り返ってこう語っている。「特定の時代に位置づけるのが難しかったんです。後期ローマ時代のモデルを思わせる特徴もあれば、古典の伝統を受け継いだ中世の作品にも見える要素もあった」。
1990年の発見当初、考古学者たちが「ローマ時代の遺物」と推定したのは、この曖昧さが理由だった。スペイン東岸はかつてローマ帝国の重要な交易地だったため、海底から大量の鉄製品が出れば「ローマだろう」と仮定するのは自然な流れだった。
しかし、いざ詳しく調べると、既存のローマの兜のカタログに当てはまるものが一つもない。中世初期の様式とも噛み合わない。43個の兜は、いわばどの教科書にも載っていない「分類外」の存在として、長年棚の上に置かれたままだった。
唯一の手がかりは14世紀イングランドの絵画
フラリッチャルディ氏は世界中の図録と発掘品を当たり、似た形のものを探し続けた。「研究を始めたとき、ほぼ類例が存在しないと分かって衝撃を受けました」と本人は語る。
唯一の手がかりは、14世紀のイングランドで描かれた絵画の中にあった。武装した人物の頭部に、43個の兜と似た姿の防具が描かれていたのだ。完全に同じではないが、あくまで「親戚」のような関係。それでも、この絵が中世の年代を示唆する小さなヒントになった。
後の分析で明らかになるが、43個の兜は軍事技術の過渡期に作られたデザインだった。それまでの様式から次の様式へと移り変わる短い時期にだけ存在し、後の時代にはほとんど受け継がれなかった。だからこそ、どのカタログにも載っていなかったわけだ。
30年越しに切り札となった分析法
転機を作ったのは、アリカンテ大学が新しく開発した分析手法だった。この方法はすでに他の遺跡では成果を上げていたが、中世の武器に使われるのは今回が初めて。形だけでは見分けがつかない兜の素性に、化学的な指紋を当てるアプローチだった。
研究チームはこれに加えて、もう一つの強力な手札を用意していた。兜の内側に偶然残されていた、ある有機物のかけらである。形のカタログには載っていなくても、化学組成と有機物の年代を組み合わせれば、絶対年代に迫れる。これが30年動かなかったパズルを動かす切り口になった。海底の布切れが暴いた中世の武器ネットワーク


内側に残った布を放射性炭素で年代測定
その正体は、兜の内側に残された布の切れ端だった。本来なら有機物は海中で数十年もすれば消えてしまう。ところが一部の兜では、海水で固まった堆積物が内側の空間を完全に密閉していた。お弁当箱の蓋がぴたりと閉じたように、外の海水から内側のクッション材を守っていたのだ。
この布切れに対して、研究チームは放射性炭素年代測定を実施した。同時に、アリカンテ大学の新しい分析手法も適用された。結果は2つの方法でぴたりと一致した。43個の兜は14世紀後半から15世紀初頭に作られたものだったのだ。
ローマでもなければ中世初期でもない、はっきりとした中世盛期の作品。30年信じられてきた仮説が、海底の小さな布の繊維によってひっくり返された瞬間だった。鉄の塊を「ローマの遺物」と分類していた当時の図録は、書き換えを迫られることになる。
ジェノヴァとバレンシアを結ぶ武器の航路
年代が中世と分かれば、別の謎が浮かび上がる。なぜ43個もの新品の兜が、まとめて沈んだのか。共同責任者のグラエルス氏は、これを大規模な武器取引の直接証拠だと指摘する。「以前考えられていたよりも、はるかに複雑な交流と物流のネットワークが存在していた」と語る。
研究チームの推定では、兜は現在のバレンシア州沿岸と、北イタリアの大商業都市、特にジェノヴァを結ぶ航路で運ばれていた。ジェノヴァは中世地中海の最強の海運国の一つで、武器・布・香辛料が東西を行き来する一大ハブだった。
水深わずか6メートル、桟橋のすぐ脇に沈んでいたという立地は、積み下ろし作業中の事故を示している。落とした側はすぐに引き上げを試みたはずだが、海底に砂が積もるのは早い。一晩のうちに兜は砂の毛布に覆われ、回収不能になってしまったのだろう。
海賊と戦争が押し上げた武器の需要
兜が運ばれていた14世紀半ばのバレンシア沿岸は、平穏な時代ではなかった。北アフリカから渡ってくるイスラム海賊がしばしば沿岸を襲い、住民や交易船を脅かしていた。沿岸の村々は自衛のために武装組織を結成し、軍備の需要は年々高まっていた。
43個の兜は、その需要に応えるための「武装商品」だった可能性が高い。送り先として研究チームが挙げるのは、地元の民兵団、バレンシア王国の軍、そして海岸防衛にあたった武装集団。どれを取っても、中世スペインの「海を見張る人々」のために運ばれていた装備だ。
こうして43個の兜は、ローマ帝国の遺物ではなく、中世地中海の武器商人ネットワークの動かぬ証拠となった。商船は静かに地中海を行き来し、武器を運び、ときに海賊や事故で姿を消した。海底に沈んだ鉄の塊は、その忘れられた商業システムの一片だったのだ。年代を確かめる手がかりが、兜の形ではなく内側の小さな布だったというのも、考古学らしい逆説と言える。
30年も海底に眠ってた兜が、別の時代の話を始めるなんて、考古学ってドラマみたい!
もし海底に沈んだまま誰にも見つからなければ、中世スペインの武器密貿易の輪郭を、現代人は永遠に知らないままだったかもしれない。錆びついた43個の兜と、その内側にひっそり残った布の繊維は、地中海の歴史地図を静かに書き換える証拠になった。
参考文献:
Everyone thought these helmets were Roman until scientists uncovered the truth
出典: ScienceDaily










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