鏡に映った像を手がかりに、直接は見えない場所にある獲物の位置を割り出す。この能力が、無脊椎動物として初めてタコで確認された。
研究は2026年、学術誌『Current Biology』に掲載された。
これは「鏡に映った自分を自分だと理解する」能力(鏡像自己認識)とは別の話で、タコは鏡を道具として使い、映像と現実の位置の関係を経験から学んだ。
鏡の使い方を学んだタコたち

主役はカリフォルニアトサウチダコ3匹
研究の舞台はアメリカ・ダートマス大学心理脳科学部にあるタコ研究所だ。被験者となったのはカリフォルニアトサウチダコ(学名 Octopus bimaculoides)3匹。
小型で研究室での飼育に向いたタコで、目の横にある青いリング模様が特徴的な種だ。
研究を率いたのは、ダートマス大学で博士課程在籍中に実験を行ったMarie-Luise Kieseler氏(現在はスイスのフリブール大学)と、シニア著者で認知神経科学者のPeter Tse教授。
論文には、ダートマス大学の学生を中心に計16人が名を連ねている。
鏡に慣れさせるところからスタート
論文によると、タコはもともと鏡に映った像に、仲間のタコがいるかのように反応することが知られている。研究チームはまず、飼育水槽の中に鏡を置き、3匹に自由に観察させる時間を作った。
鏡に慣れたら、次は鏡像と現実の対応を学ばせる訓練に入る。タコから直接は見えない位置に生きたカニを入れたガラス瓶を置き、鏡を通してのみカニの姿が確認できるようにした。
瓶のカニにたどり着くには、タコは90度向きを変え、角を曲がるという空間的な経路をたどる必要がある。
このフェーズで重要なのは、鏡像を直接攻撃しても獲物にはありつけないという現実を、タコが体で覚えることだ。
3匹は徐々に、鏡の中のカニを見たら自分の体を別の方向に動かす必要があると理解していった。
「人も鏡の使い方は学んで覚える」
シニア著者のTse教授はこう語る。「私たちは生まれつき鏡の使い方を知っているわけではなく、学習して覚えていきます。タコもまた、鏡を使って世界の中での位置関係を推測することを学べるのです」。
自動車学校でルームミラーの見方を練習するドライバーと、本質的には変わらないという見立てだ。
本番テストでの正答率

仮想カニを使ったシンプルな装置
訓練を終えたタコは、いよいよ本番テストに挑む。装置は意外なほどシンプルだ。前面と上面が開いたスタートボックスにタコを入れ、その正面に鏡を置く。
タコの背後の左右どちらか一方に、仮想のカニの映像を表示する。タコの位置からはこの映像が直接見えず、目の前の鏡を通してのみ確認できる構造になっている。
なぜ生きたカニではなく映像を使うのか。タコは触覚を通じて化学物質を感じ取る化学受容器を体中に持っている。
本物のカニを使うと、匂いや味で位置を察してしまい、純粋に鏡像だけを手がかりにしているかどうか分からなくなる。
研究チームは化学情報をすべて排除するため、あえて視覚情報だけの仮想カニにこだわった。
キク鏡しか手がかりがないとき、タコはどれくらい正しい側を選べたんだろう?
タコは鏡ではなく自分を振り向かせた
テストでは、タコが正しい側に移動できれば、報酬として実物の生きたカニが与えられる。鏡に映ったカニの映像目がけて突進してしまえば不正解だ。
結果、3匹とも課題を覚え、全試行のうち73%で正しい側を選んだ。映像が映る鏡に向かって突進するのではなく、自分が振り向くべき向きを判断していたことになる。
スタートボックスの壁を乗り越えて、鏡に映った獲物の位置に向かう個体もいた。
論文はこの行動について、目立つ映像にまっすぐ向かいたくなるのをおさえる力と、鏡の情報を水槽の立体的な形と結びつける空間の把握の、両方を示すものだとしている。
ただし3匹という少数での結果である点は割り引いて見ておきたい。
試行を重ねるほど早く正解にたどり着いた
研究者たちはタコの頭部にあたる外套膜(マントル)上の、両目の間の点を真上から動画で追跡し、どんなルートを通って報酬位置に向かったかを細かく計測した。
タコの選ぶ経路は必ずしも最短ではなかった。しかし試行回数を重ねるごとに、正しい位置に到達するまでの時間が短縮されていった。
偶然や単なる暗記による正解ではなく、鏡を使うという技術そのものが少しずつ洗練されていったことをうかがわせるデータだ。
研究チームはこれを「鏡像を介した空間判断の学習」と位置づけている。あくまで学習の成果であって、最初から鏡を理解していたわけではない。
この「移動の軌跡そのものを追う」という手法にも意味がある。単に正解か不正解かだけを記録するのでは、タコがまぐれで当てたのか、それとも見えない位置を本当に推測したのかを見分けにくい。
ところが、鏡を見た瞬間に体の向きを変え、映像とは反対側へ回り込んでいく動きが軌跡として残れば、それは鏡像から現実の位置を割り出そうとした証拠になりうる。
遠く離れた系統がたどり着いた似た能力


鏡像自己認識とは分けて考える
鏡をめぐる動物の能力というと、しばしば話題になるのが鏡像自己認識(MSR)だ。
これは、鏡に映った姿を「自分」だと理解する能力で、チンパンジー、ゾウ、バンドウイルカといった一部の哺乳類、そしてカササギなど一部の鳥類で報告されてきた。
体に印をつけ、鏡を見てその印に触れようとするかで判定する「マークテスト」が有名だ。
今回タコが示したのは、このMSRではなく、鏡を道具として使って見えない場所の獲物の位置を割り出す能力だ。
ただし論文は、鏡を使って隠れた物を見つける能力を、自己認識の前段階とみなす研究者もいると紹介している。
Kieseler氏は「無脊椎動物が鏡を使って周りの環境を理解し、獲物の位置を特定できると示したのは、私たちの研究が初めてだ」と話す。
共通祖先ははるか昔の生き物
それでも今回の発見が興味を引くのは、タコと人間の進化的な距離のためだ。両者の共通祖先は、虫のような単純な生き物だったと考えられている。
分かれた時期について、Kieseler氏は3億5000万〜5億年前と話し、論文は5億2000万年以上前としている。
それから現在まで、両者の脳はまったく別の道をたどって発達してきた。
人間の脳は背骨に沿った脊髄を持つ典型的な脊椎動物型だ。一方タコは、体中に神経細胞が分散した独特の構造をしている。
腕の1本ごとに神経が集まっており、脳だけで情報を処理する私たちとはずいぶん違う。それでも今回、空間を理解するという同じ課題に対して、両者は似た振る舞いにたどり着いていた。
異なる系統の生物が独立して似た解決策を進化させる現象を「収斂進化」と呼ぶ。海のサメと哺乳類のイルカが、よく似た紡錘形の体型を別々に獲得したのが有名な例だ。
「これほど遠縁の生き物が、鏡を道具として空間認知に使う能力を独立に進化させたことは、その背後の仕組みが収斂進化の対象になりうることを示唆します」とKieseler氏は語る。
脳の構造がまるで違っても、同じ問題には似た神経の解決策が生まれるのかもしれない。
海中ハンターとしての知性
では、なぜタコにこの能力が必要なのか。タコが暮らす岩礁や海底は、岩穴や海藻が入り組んだ複雑な立体空間だ。獲物を狙う立場でもあり、自分も狙われる立場でもある。
Tse教授はタコの狩りをこう例える。「タコは猫に似ています。獲物にこっそり近づいてサッと飛びかかる。同時に、自分も食われないようにできるだけ素早く動こうとします」。
あくまで狩りの機敏さを猫にたとえた表現だ。
こうした生活には、自分が今どこにいて、周囲のどこに何があるかを把握する力が欠かせない。
「優れたハンターは縄張りのメンタルマップ(脳内地図)を持っているものです。私たちの研究は、タコもまた空間の内部表現を持っている可能性を示しています」とTse教授は語る。
鏡像から自分の後ろを推し量れたという結果は、視界の外まで含めた立体的な「世界の見取り図」をタコが頭の中に描いている可能性を示唆している。
もっとも、タコが本当に脳内地図と呼べるほどの空間の記憶を持っているかどうかは、まだ確かめられていない。3匹という少数の結果でもある。



タコが鏡を使う力は、鏡で自分に気づく力とは別なんだね。でも3匹だけの結果で、頭の中の地図があるかもまだ確かめられてないんだ。
参考文献:
Kieseler, M., et al. (2026). Octopus bimaculoides can learn to utilize a mirror to localize a reward outside the line of sight. Current Biology. DOI: 10.1016/j.cub.2026.05.012
PubMed: PMID 42235507
解説記事: ScienceDaily(ダートマス大学の発表)









