はかせ、5500年前のシベリアの墓から、46人中18人もペスト菌が見つかったんだって! 大昔からペストで人が死んでたんだね!
すごい発見なんです。ただ正確には、骨から『ペスト菌のDNAが見つかった』ということ。その人がペストで亡くなったと100%言い切れるわけではない、という点は押さえておきたいですね
シベリアのバイカル湖周辺にある、約5500年前の狩猟採集民の墓地から発掘された人骨46体を調べたところ、18体からペスト菌(Yersinia pestis)のDNAが検出された。研究は2026年、科学誌Natureに掲載された。石器時代の人々がすでにペストと隣り合わせだったことを示す発見だ。ただし先に断っておくと、「菌のDNAが見つかった」ことと「その人がペストで亡くなった」ことは、厳密には別の話だ。研究チームは強い致死性を主張しているが、DNA検出だけで死因が確定するわけではないし、古代株がどれほど恐ろしかったかについても、まだ議論の余地がある。こうした区別を意識しながら、何がどこまで分かったのかを見ていきたい。
46人中18人からペスト菌のDNA


中世の墓場をも上回る検出率
調査チームが向かったのは、ロシア極東のバイカル湖周辺にある4か所の狩猟採集民の墓地だ。古代の歯の内部に保存されていた遺伝物質を取り出し、細菌のゲノムを再構築する作業が行われた。
結果は予想を超えていた。調べた46人のうち18人からペスト菌のDNAが検出されたのだ。割合にしておよそ39%(18/46)。これは、中世のペスト埋葬地の一部で報告されている検出率を上回る数字だという。14世紀の黒死病が荒れ狂ったヨーロッパの集団墓地でさえ、人骨からのペスト菌検出率は地域によってまちまちで、必ずしも全員が陽性になるわけではない。それが石器時代のシベリアでこれだけの割合を示したことは、当時すでに激しい集団感染が起きていた可能性を示している。
分析には、歯の根元から取り出した粉末状の象牙質が使われた。なぜ歯なのか。歯は硬いエナメル質に守られているため、体の中でも特にDNAが残りやすい部位だからだ。古いDNAは紫外線や微生物によって細かく切れてしまうため、現代の検査のように長い遺伝子配列をそのまま読むことはできない。研究チームは数万個の細かい断片を、パズルのピースを合わせるようにコンピューターでつなぎ合わせ、ペスト菌のゲノムを再現していった。数千年前の菌の設計図を、砕けた破片から復元するような、根気のいる作業だ。
古代DNAというミクロのタイムマシン
古代DNA解析は、考古学に大きな変化をもたらした手法だ。歯の根の内部にある空間(歯髄腔)には、生前にその人の体内を巡っていた血液成分が閉じ込められている。ここから細菌の遺伝子を引き出せれば、数千年前にその人がどんな病原体を体内に持っていたのかを読み取ることができる。
ただし、ここでも慎重さが要る。血液に菌がいたことは分かっても、それが直接の死因だったかどうかまでは、骨だけからは断定しにくい。とはいえ、感染者が短期間に集中して埋葬されていた、という状況証拠と組み合わせれば、ペストが大きな役割を果たした可能性は高まる。
研究を主導したのは、ケンブリッジ大学で博士号を取り、現在はオックスフォード大学のリサーチフェローを務めるルアリッド・マクラウド氏らのチームだ。放射性炭素年代測定と古代DNAデータ、発掘記録を組み合わせることで、「いつ、誰が、誰と一緒に埋められたのか」が立体的に浮かび上がった。
長年の謎を解いた発見


子供の遺骨が多いという謎
この墓地は、考古学者たちにとって長く解けない謎を抱えていた。子供の遺骨が多く、しかも埋葬された時期が短い期間に集中していたのだ。バイカル地域の発掘に長く携わってきた研究者たちを、この偏りは以前から悩ませてきたという。
今回、その背景にペストの流行があった可能性が示されたことで、この謎に一つの説明が与えられた。発掘されてから収蔵庫に眠っていた人骨が、古代DNAという新しい技術によって、あらためて多くを語り始めた格好だ。もっとも、「ペストがすべての死因だった」と証明されたわけではなく、有力な説明が加わった、という段階として受け止めたい。
放射性炭素年代測定によれば、これらの埋葬は比較的短い期間に集中していた。兄弟姉妹や親子が近い時期に亡くなり、一緒に埋葬されたとみられる例も複数確認されている。急性の感染症が小さな集団に入り込めば、寝起きを共にする家族や集落の中で急速に広がりうる。数十人規模で暮らす狩猟採集民にとって、それは集団の存続を揺るがす出来事だっただろう。
丁寧に見送られた死者たち
興味を引くのは、埋葬の様式そのものは当時のバイカル地域に共通する伝統的なもので、慌てて穴に詰め込んだような乱雑さはない点だ。短い期間に次々と人が亡くなっていく中でも、生き残った人々は死者の手足を整え、装飾品を添えて見送っていたとみられる。家族を失う悲しみは、5500年前も今と変わらなかったのだろう。
最も大きな2つの墓地では、亡くなった人々のうち子供や若い世代の割合が高いという特徴が見られた。免疫がまだ十分に育っていない年代が影響を受けやすいのは、現代の急性感染症とも共通する。もともと子供は大人に比べて感染症に弱く、体も小さいぶん重症化しやすい。そこへ、それまで人類が経験したことのない新しい病原体が現れれば、集団のなかで免疫を持つ人は誰もいない。とりわけ幼い世代が大きな影響を受けたとしても、不思議ではない。次世代を担う子供たちが一度に失われることは、文字を持たない先史時代の人々にとっても、集団の未来そのものを揺るがす、計り知れない打撃だったはずだ。
研究チームはさらに、感染者同士の遺伝的な親族関係も調べた。すると、複数のペスト陽性の遺体が血縁でつながっていることが分かった。同じ家族の中で感染が広がった可能性を示す結果で、密に暮らす集団の生活様式そのものが、感染拡大の背景にあったと考えられる。狩猟採集民は、狭い住まいで身を寄せ合って暮らし、食べ物や道具を分け合っていた。そうした濃い接触は、日々の暮らしを支える一方で、ひとたび感染症が入り込めば、家族の間を次々と伝わる経路にもなってしまう。豊かな結びつきが、そのまま弱点にもなりうる——現代の私たちにも通じる、人間社会の普遍的な一面が、5500年前の墓地から浮かび上がってくる。
「マイルドだったはず」の見方をめぐって


古代株は穏やかだったのか、致命的だったのか
これまでの研究で、初期の古代型ペスト菌は、ノミを介して効率よく広がるための遺伝子を持っていないことが分かっていた。そのため多くの科学者は、最初期のペストは比較的おとなしい感染症で、大規模な流行は起こしにくかったのではないか、と考えてきた。
今回の発見は、その見方に一石を投じる。研究チームの責任著者の一人、コペンハーゲン大学・ケンブリッジ大学のエスケ・ヴィレルスレフ教授は、古代のペスト菌が穏やかだったのか強い病原性を持っていたのかは長年の論争だったとしたうえで、今回のデータはこれらの古代株がすでに極めて致命的だったことを示している、という趣旨で述べている。ただし、これは研究チームの解釈であり、この点をめぐる議論はまだ続く可能性がある。
その根拠の一つとして、研究チームは、これらの古代ペスト菌が、後の時代の株には見られない独自の「超抗原」を持っていた可能性を挙げている。超抗原は、免疫システムを過剰に反応させ、激しい炎症を引き起こしうる毒素だ。研究チームは、ノミによる効率的な感染拡大の仕組みを獲得する前から、古代株が致死性を高めうる毒素を備えていた可能性がある、と説明している。ただし論文の表現は「重症化させた可能性がある」という留保付きであり、「必ず激しい炎症を起こした」と断定されているわけではない点は補っておきたい。
ノミなしでどう広がったのか
古代株がノミを介した感染ルートを持っていなかったとすると、どうやって人から人へ、あるいは動物から人へ広がったのか。研究チームは、マーモット(地下に巣穴を掘る大型のリス科の動物)から直接人間に感染した可能性を指摘している。これも断定ではなく、有力な仮説の一つだ。
バイカル湖周辺の狩猟採集民は、毛皮や肉のためにマーモットを日常的に捕獲していた痕跡が残っている。マーモットは現代でもペスト菌を保有していることが知られており、シベリアやモンゴルでは今も野生の齧歯類に由来するペスト感染が散発的に起きている。狩りで仕留めた一匹が、集落に感染をもたらした——そんな筋書きが考えられる、というわけだ。日々の糧を得るための狩りが、思わぬ形で災いを招いたのかもしれない。
今回の発見は、ペストが中央アジアか北東アジアで生まれ、野生の齧歯類を介してユーラシア大陸に広がったとする仮説を後押しする。農耕や都市化とともに広がったと長らく考えられてきたペストの歴史が、それよりずっと古い、文字も都市もない時代までさかのぼる可能性が出てきたわけだ。これは、感染症の歴史を考えるうえで小さくない意味を持つ。これまで多くの感染症は、人が定住して人口が密集し、家畜と暮らすようになってから広がった、と考えられてきた。ところが今回の発見が示すのは、移動しながら少人数で暮らす狩猟採集民ですら、大きな感染症の脅威にさらされていたかもしれない、という姿だ。中世ヨーロッパで多くの命を奪った「黒死病」の遠い祖先が、氷河期明けの草原ですでに人間社会と関わっていたのかもしれない。研究チームは今後、ほかの地域の遺跡でも同じような古代株が見つかるかを調べ、その広がりの道筋を追う計画だという。バイカル湖から西へ、この菌がどうたどっていったのか——その道筋が見えれば、人類の移動と感染症の関係そのものに、新しい光が当たることになる。
大昔から人間はペストと戦ってたんだね! でも「菌が見つかった」のと「それで死んだ」のは別なんだ
そこが大事です。18人からDNAが出て、短期間に集中して埋葬されていた——だからペストが流行した可能性は高い。でも『古代株がどれだけ致命的だったか』は、まだ研究者の間でも議論が続くところなんですよ
骨だけになった5500年前の人々が、古代DNAという技術によって、その生と死をふたたび語り始めた。子供が多く葬られた墓地の謎に、ペストという一つの説明が与えられたのは大きな前進だ。とはいえ、古代株の病原性やその広がり方には、まだ確かめるべきことが多く残っている。確かに分かったことと、これから議論が続くことを分けながら受け止めることが、こうした発見を正しく味わうコツだ。骨に刻まれた遠い過去の記憶を、次の発見がどう読み解いていくのか、静かに見守りたい。
参考文献:
Macleod, R., Seersholm, F. V., Sikora, M., Willerslev, E., et al. (2026). Lethal plague outbreaks in Lake Baikal hunter-gatherers 5,500 years ago. Nature, 654(8119), 697–705. DOI: 10.1038/s41586-026-10540-5










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