ロシア・シベリア南東部のバイカル湖の北西、湖から流れ出るアンガラ川の岸にある4か所の墓地で、新石器時代後期(この地域の区分で、人々はまだ狩猟採集民だった)に葬られた46人の歯のDNAを調べたところ、18人からペスト菌(Yersinia pestis)のDNAが見つかった。
流行は約5500年前に始まり、4〜6世紀を隔てた2つの時期に分かれていた。コペンハーゲン大学などの国際チームが2026年6月、科学誌Natureに発表した。
これまで知られているなかで最も古いペストの流行だという。
これは古い人骨のDNAと考古学の記録を組み合わせた研究で、病気の人を観察したわけではない。
DNAが見つかったことは、その人が亡くなったときに菌を持っていたことを示すが、それだけで死因は決まらない。
研究チームは、埋葬の年代が短い期間にそろっていること、子供の死が際立って多いこと、親族が同じ墓に葬られていることなどを合わせて、これらの流行が命を奪うものだったと主張している。
46人中18人からペスト菌のDNA
対象は、アンガラ川沿いのウスチ・イダI、ブラーツキー・カーメニ、セロヴォ、シュミリハの4つの墓地だ。
墓地どうしは最大で340km離れているが、川を使えば行き来しやすく、遺伝的にも近い祖先を共有していた。
調べた人数は、ウスチ・イダIが31人、ブラーツキー・カーメニが8人、セロヴォが2人、シュミリハが5人だった。
ペスト菌のDNAが見つかったのは46人中18人で、検出率は39%だった。最も多かったウスチ・イダIでは31人中11人(35%)だ。
コペンハーゲン大学の発表は、この割合を中世のペスト埋葬地の一部で報告された検出率より高いとしている。
論文は比べる例として、ロンドンのスミスフィールドにある中世のペスト犠牲者の墓の調査を挙げている。
そこでは骨からの検出率が5.7%、歯髄からが37%(全体で20%)で、論文は古代DNAではペストの見落とし(偽陰性)が多いと指摘している。
実際に感染していた人は18人より多かった可能性もある。
DNAは、奥歯や小臼歯の根の表面を覆うセメント質から取り出した。
小型の回転のこぎりで根からセメント質を切り出して粉にし、DNAを抽出して、含まれるDNAをまとめて読む方法(ショットガン・シーケンス)で調べた。
ペスト菌が見つかった試料では、菌のDNAを選んで濃縮し、さらに読み込んだ。よく読めた3人分のゲノムと、読めた量の少ない8人分のデータから、菌の系統を調べた。

知られている中で最も古い系統の菌
見つかったペスト菌は、これまでに知られている古代と現代のペスト菌のどの系統よりも根元で枝分かれしていた。
この結果から、ペスト菌が近縁の仮性結核菌(Yersinia pseudotuberculosis)から分かれて生まれたのは、およそ5700年前より前だと推定された。
2つの流行期の菌はわずかに違っており、研究チームは、地元の動物から人へ、別々の機会に感染が飛び移ったと考えている。
ただし、菌のDNAが見つかっても、それが直接の死因だったかどうかは歯や骨だけからは決められない。論文によると、遺伝子で見つかったペスト感染のほかに、はっきりした死因は見当たらなかった。
また1人からは、動物との接触でうつるブルセラ症の原因菌のDNAも見つかったが、論文はこれを命に関わらなかった可能性が高いとしている。
筆頭著者は、ケンブリッジ大学の博士課程でこの研究を行い、現在はオックスフォード大学のリサーチフェローを務めるルアリッド・マクラウド氏だ。
マクラウド氏は発表で「ペストのDNA、犠牲者どうしの遺伝的な関係、考古学的な分析、放射性炭素年代測定をもとに、流行の間に何が起きたのか、とても明確で全体的な姿を描くことができた」と述べている。

キク菌のDNAが見つかっただけで、ペストの流行だったって言えるのかな?
長年の謎を解いた発見
ウスチ・イダIとブラーツキー・カーメニの墓地は、考古学者にとって長く謎だった。亡くなった人に子供や若い10代が際立って多く、しかも埋葬が短い期間に集中していたからだ。
バイカル考古学プロジェクトを率いるアルバータ大学の考古学者アンジェイ・ウェーバー氏は発表で「子供が異常に多く、期間が短いことは、1990年代から私たちが解こうとしてきた本当の謎だった。原因がペストだったとわかったのは驚くべきことだが、とても納得がいく」と述べている。
ただし論文自身は、ペストが命を奪ったという結論を、DNA、親族関係、死亡年齢の分布、放射性炭素年代という複数の証拠を組み合わせた「私たちの主張」として示している。
一人ひとりの死因を確かめたわけではない。
最初の流行期の犠牲者の年代は、数十年ほどの狭い幅に収まっていた。親族関係と死亡年齢を照らし合わせても、1世代のうちに亡くなったと考えて矛盾がない。
たとえば、12〜15歳の子とその35〜50歳の父親の組がある。ウスチ・イダIでは半数を超える墓に複数の人が葬られ、あとから墓を開けて遺体を加えた跡はなかった。
論文はこれを、短い間に多くの人が亡くなった出来事と合うとみている。2つ目の流行期は、年代を直接測った犠牲者が2人だけで、年代の幅は広い。
丁寧に見送られた死者たち
それでも、死者は粗末に扱われてはいなかった。遺体はこの地域のイサコヴォ文化の伝統どおりに葬られ、副葬品も添えられていた。
論文は、近い親族を同じ墓に葬っていることなどから、死者への手厚い扱いがうかがえるとしている。
死者を葬った生き残りがいたことから、死が一度にではなく、ある程度の期間にわたって続いた可能性も指摘している。
ペストが複数人から見つかったウスチ・イダIとブラーツキー・カーメニでは、死亡年齢が子供に大きく偏っていた。どちらも7.5〜11歳、つまり思春期前の子供で死亡がもっとも多い。
バイカル周辺のほかの狩猟採集民の墓地と比べても、子供の死の割合が際立って高かった。反対に、ブラーツキー・カーメニでは20〜35歳で亡くなった人が一人もいない。
なぜ子供が多く亡くなったのか。論文は3つの説明を挙げている。1つ目は、大人の多くが子供のころに感染して回復し、免疫を持っていたという説明だ。
ただしこれは流行がくり返していたことを前提とし、今回のデータでは確かめられない。20〜35歳を過ぎると死亡がやや増えることとも合わない。
2つ目は、年齢による役割の違いで子供がマーモットに触れる機会が多かったという説明だが、ほかの墓地では子供の死が多くないことと合わない。
3つ目は子供と大人の免疫の反応の違いで、子供はグラム陰性菌の感染を受けやすいことが知られている。
研究チームは、遺伝子から親族関係も再現した。ブラーツキー・カーメニでは、4〜9歳の少女3人が同じ墓に葬られており、3人ともペスト菌のDNAが見つかった。
2人はいとこ同士とみられ、3人は母方の近い親族だった可能性が高い。ウスチ・イダIでも、同じ墓に葬られたおばとおいの両方から菌が見つかった。
こうした例から、論文は家族の中で人から人へ感染が広がったと考えている。一方で、親族の間でペスト陽性が重なる傾向は統計的に有意ではなく、同じ墓のきょうだいの片方だけが陽性という例もあった。
論文はこれを、見落としの多さで説明できるとしている。
「マイルドだったはず」の見方をめぐって


古代株は穏やかだったのか、致命的だったのか
これまでの研究で、初期の古代型ペスト菌は、ノミを介して効率よく広がるための遺伝子を持っていないことが分かっていた。
そのため多くの科学者は、最初期のペストは比較的おとなしい感染症で、大規模な流行は起こしにくかったのではないか、と考えてきた。
今回の発見は、その見方に一石を投じる。
研究チームの責任著者の一人、コペンハーゲン大学・ケンブリッジ大学のエスケ・ヴィレルスレフ教授は、古代のペスト菌が穏やかだったのか強い病原性を持っていたのかは長年の論争だったとしたうえで、今回のデータはこれらの古代株がすでに極めて致命的だったことを示している、という趣旨で述べている。
ただし、これは研究チームの解釈であり、この点をめぐる議論はまだ続く可能性がある。
研究チームが注目したのが、YPMと呼ばれる「超抗原」の遺伝子だ。超抗原は免疫の細胞を過剰に働かせ、炎症を起こす物質を大量に出させる毒素で、近縁の仮性結核菌が持っている。
この遺伝子は、ヨーロッパで見つかったほかの初期のペスト菌にもあるが、のちの時代のペスト菌にはない。
バイカルの菌の遺伝子は、最も病原性が強いとされる型(ypmA)と3か所だけ違い、まわりの領域はこれまで知られていない組み合わせだった。
仮性結核菌の超抗原は、今は主に子供に見られる泉熱や、川崎病に似た症状と関係するとされる。
論文は、こうした遺伝的な特徴が年齢による免疫の違いと合わさって、犠牲者に子供が多いことを部分的に説明するかもしれないとしつつ、実際の影響を確かめるには機能を調べる研究が必要だと書いている。
ノミなしでどう広がったのか
バイカルの菌は、ノミを介した腺ペストに必要なymtという遺伝子などを持っていなかった。では、どう広がったのか。
論文は、まず野生のマーモットから人へ感染が飛び移り、そのあと人から人へ、主に咳などの飛沫でうつる肺ペストの形で広がったという筋書きを示している。
親族が同じ墓に同時に葬られている例は、人から人への感染と合うという。これは遺伝子と埋葬の記録から導いた推定だ。
バイカル周辺では今も、シベリアマーモット(Marmota sibirica)がペストの主な自然の宿主だ。
肉や毛皮を目当てにしたマーモット猟では、皮はぎや解体のときに、特に若い男性が感染する例がくり返されてきた。
先史時代の人々がマーモットを捕っていたことは、新石器時代前期の墓にマーモットの歯が副葬品として多く入っていることからわかる。
ただし、今回の流行期にあたる新石器時代後期の墓からは、マーモットの歯は見つかっていない。
今回の結果は、ペストが中央アジアか北東アジアで生まれたという考えを支える。これまで最も古いペストの試料は北ヨーロッパで報告されていた。
論文は、人口の多さや家畜の飼育、農耕への移行がなくても、少人数で移動して暮らす狩猟採集民の間で、動物由来の大きな感染症の流行が起きうると述べている。
バイカルの菌に最も近い次の時代の菌は、約5000km西の北ヨーロッパで見つかっている。
研究チームは、大陸に広がる齧歯類の宿主から、各地でそのつど人へ感染が飛び移っていたという考えを支持している。
確かめられたのは、約5500年前の狩猟採集民の4つの墓地で46人中18人の歯からペスト菌のDNAが見つかり、それが子供の死の多さや短い期間の埋葬と重なっていたことだ。
古代の菌がどれほど人の命を奪ったのかは、研究チームが複数の証拠から導いた解釈で、超抗原などの遺伝子が実際にどう働いたのかは、まだ確かめられていない。



5500年前の墓の歯からペスト菌のDNAは見つかったけど、一人ひとりが何で亡くなったかまでは確かめられてないんだね。
参考文献:
Macleod, R., Seersholm, F. V., Sikora, M., Willerslev, E., et al. (2026). Lethal plague outbreaks in Lake Baikal hunter-gatherers 5,500 years ago. Nature, 654(8119), 697–705. DOI: 10.1038/s41586-026-10540-5
論文本文(オープンアクセス): PMC13275307
コペンハーゲン大学の発表(News-Medical転載): Prehistoric plague killed hunter gatherers 5,500 years ago









