ホモ・サピエンスがユーラシアに広く広がったのは、4万5千年ほど前とされている。
フランス・ボルドー大学のユーグ・プリソン氏や、アンドレイ・クリヴォシャプキン氏らの国際チームは、ウズベキスタン北東部のオビ・ラフマト岩陰遺跡から出た、幅2cm前後の小さな石の尖頭器を調べた。
2025年8月に学術誌『PLOS ONE』に発表された論文は、これらが約8万年前の矢じりだった可能性を示している。
論文の題名自体が「8万年前のオビ・ラフマトの矢じり?」と疑問形だ。
キク8万年前の矢じりかもしれない幅2センチほどの石、どうして今まで気づかれなかったんだろう?
ウズベキスタンの岩窟で見つかった「小さな石」
発見の舞台はウズベキスタン北東部、天山山脈の西のはずれにある岩陰遺跡Obi-Rakhmatだ。
石灰岩に刻まれた幅約20m、奥行き約9mのくぼみで、標高は1,250m。堆積した地層は深さ10mに及ぶ。
今回発表されたのは、その最下部、つまりおよそ8万年前にあたる層から取り出された石器のうち、投射武器の刃と目される20点を精査した結果だ。
20点のうち微小尖頭器は10点(加工なし9点、加工あり1点)で、幅は平均18.2mm(15〜23.7mm)、折れた標本の重さは平均1.4g(0.7〜2.5g)だった。
多くの資料は石材や表面の傷みのため顕微鏡での観察に向かず、折れ口の形(縦方向の力による破断)や側面の欠けから判定している。
顕微鏡で衝撃による微細な線状の痕が確かめられたのは2点だった。
研究チームはこの一群に、それより重い加工尖頭器、細長い刃(bladelet)、そして問題の微小三角形尖頭器という3種類の投射用武器の刃を見分けた。
論文は、これらの微小尖頭器が壊れやすく断片化しているため、長らく気づかれずにいたと述べている。
なぜ矢じりと考えられるのか
手がかりの中心は、折れ口や欠けの形と、衝撃で生じる微細な痕を調べる使用痕分析(traceology)だ。
比較には、著者が矢・投げ槍・突き槍の先として使った500点以上の石の尖頭器の実験資料に加え、現地の珪化石灰岩で作った微小尖頭器12点を36ポンドの弓で小型有蹄類の死体に射った実験が使われた。
この12点は、ビチューメンと木炭の粉を8対2で混ぜた接着剤で、直径8mmの市販の木の矢柄に縛らずに付けてあった。
手で持つか投げる槍は、質量が貫通力と頑丈さを生む。一方、遠くから射る軽い武器の運動エネルギーは主に速度から生まれ、その速度は飛行中も標的の中でも急に落ちるため、貫通は鋭さに頼ることになる。
人の腕を伸ばすだけではこの速度は出せないので、投射の道具が要る。
論文によると、矢の柄の直径は考古資料や民族誌、現代のアーチェリーでも7〜8mmからほとんど変わらない。アメリカ大陸の168点の測定でも、投げ槍と矢は先端の幅と柄の太さで二つに分かれる。
微小尖頭器の最大の厚みから計算した柄の太さは7.5〜8mmで、矢の太さにあたる。
同じ層からは、ほぼ完全な標本で重さ25〜35gの大きな加工尖頭器も出ている。現地には良質な石材があり大きな石刃も作られているのに、あえて小さな尖頭器が作られている。
投射武器の刃を用途で作り分けていたと研究チームは読む。
8万年前のObi-Rakhmatはどんな場所だったか


オビ・ラフマトでは1960年代から発掘が続き、のちにロシア科学アカデミー・シベリア支部も加わった。10mを超える地層は、いちばん下が約9万年前、いちばん上が約4万年前とされる。
ここで出土する石器群は、レヴァント(現在のイスラエル周辺)の初期中期旧石器と系譜がつながる一方、独自の技術要素も混ざる。
この石器群は、後期中期旧石器や初期上部旧石器の石刃石器群とも比較されてきたが、現在の研究は中期旧石器の枠組みの中で扱っている。
参考として、アフリカの外で見つかった古代型ホモ・サピエンス最古級(約18万年前)の人骨と結び付けられるのが、イスラエルのミスリヤ洞窟の石器群だ。
遺跡の約7万年前の層からは、子どもの頭骨の断片が出ている。ネアンデルタール的な特徴と現代人的な特徴が同居し、交雑の結果かもしれないと考えられている。
論文は、この人骨の分類は決められず、古代型ホモ・サピエンスの可能性も残るとする。
微小尖頭器が出たのは、この人骨よりも古い約8万年前の層だ。人骨の主が尖頭器を作った集団かどうかは分からない。
フランスのマンドラン洞窟の微小尖頭器とよく似ている
ひとつは南アフリカのシブドゥ洞窟だ。7万7千年より古い層から6万4千年前までの3つの文化層で、さまざまな型と大きさの投射武器の刃が出ている。
ただし論文は、刃の形や年代、距離の違いから、オビ・ラフマトとの関係は見いだせないとしている。
もうひとつは、フランスのローヌ渓谷にあるMandrin遺跡だ。
Mandrinの約54,000年前の層からは、Obi-Rakhmatのものと同一とされる微小尖頭器が出ており、同じ層にはホモ・サピエンスの乳歯も見つかっている。
二つの遺跡は約6,000km、約2万5千年離れている。
論文は、技術的にいちばん近い比較対象はアフリカではなく、このマンドラン洞窟だとしている。ただし、両者の直接のつながりを主張するつもりはないと明記している。
Mandrinは、サピエンスが短期間だけネアンデルタール人の地に進出した遺跡とされ、その層は現地のネアンデルタール人が消える約1万年前にあたる。


ネアンデルタール人の投射武器とは何が違うのか
ネアンデルタール人の遺跡でも、使用で壊れた投射用の尖頭器はまれに見つかる。ただ、それらは大きく、解体や植物の採集など狩り以外に使う尖頭器と、大きさも作りも型も目立った違いがない。
論文によると、微小なものを含む複数の型の投射用の刃が同じ石器群にある例は、これまでホモ・サピエンスの遺跡でしか記録されていない。
この解釈が正しければ、約8万年前の中央アジアに、軽い矢の刃と重い武器(槍や投げ槍)の刃を作り分ける集団がいたことになる。
フランスのMandrin遺跡を調べてきた考古学者ルドヴィク・スリマク氏は、2023年の論文で、最初にヨーロッパへ入ったサピエンスの源流を、レヴァントよりさらに東に探すことを提案していた。
論文もこの提案を引いて、オビ・ラフマトとMandrinを比べている。
まだ確定していないこと
もっとも注意点はある。見つかったのは石の刃だけで、柄は木だけでできていたとみられるが、弓や矢そのものは残っていない。
著者らは、こうした小さな刃を付けた矢を射る道具が何か、「射撃」と呼ぶにとどめるべきかも議論の余地があるとしている。
論文自身も、今回は調査中の20平方メートル分の資料にもとづく予備的な結果だと述べている。吹き矢の先だった可能性も検討されたが、吹き矢の矢は軽すぎ、微小尖頭器とは釣り合わないとして退けている。
昔の遺跡で見つかる小さな尖頭器は子ども用の簡単な武器だという別の説も論文は検討しているが、微小尖頭器は大きな尖頭器の縮小版ではなく、石を打ち割って作るには技術が要るため、当てはまらないとしている。
著者らは、同じ形の微小尖頭器が中央アジアから地中海西部までの遺跡で今後見つかるだろうと見込んでいる。
論文は、弓矢はアジアアイベックスのように近づきにくい獲物を開けた山麓で狩るのに向き、狩る動物の幅も広げただろうと見ている。
この遺跡の動物の骨は、シベリアアイベックスとアカシカが中心だ。
遺伝学では、レオナルド・ヴァッリーニ氏らが2024年、現在のアフリカ以外の人々の祖先が、約7万〜6万年前のアフリカ脱出の初期から約4万5千年前のユーラシア広域への拡大までの間、ペルシャ高原に暮らしていたとする研究を発表している。
オビ・ラフマトはこの高原の北東の周縁に位置する。



弓や矢そのものはまだ残ってないから、矢じりかもしれない小さな三角の石がほかの遺跡でも見つかるかが確かめどころなんだね。
参考文献:
一次ソース: Plisson H, Kharevich AV, Kharevich VM, et al. Arrow heads at Obi-Rakhmat (Uzbekistan) 80 ka ago? (PLOS One, 20(8): e0328390, 2025) DOI:10.1371/journal.pone.0328390
研究機関: ボルドー大学(フランス)、ウズベキスタン国立考古学センター、ロシア科学アカデミー・シベリア支部考古学民族学研究所ほか / 論文本文: PMC12338843 / 二次ソース: ScienceDaily (The Conversation)









