地球の生命のもとになった分子は、宇宙から彗星が運んできたのではないか。こうした考えは、これまで100年以上にわたって語られてきました。彗星は、生命の化学に使える有機分子をたくさん持っているからです。
しかし、英国のケンブリッジ大学などのチームが彗星の落ち方を計算し直すと、違う姿が見えてきました。生命の化学に足りる濃さで材料を届けた衝突は、10万通りの計算の中央値で0回でした。論文は2026年10月28日、学術誌『Scientific Reports』に発表されました。
彗星に期待されてきた材料「シアン化水素」

画像: ESA/Rosetta/NAVCAM, CC BY-SA IGO 3.0 / Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0 igo)
生命の部品づくりの出発点として、これまでの研究で注目されてきたのがシアン化水素です。炭素と窒素が三重の結合でつながった小さな分子で、この結合がその後の化学反応を進める力になります。凍ったシアン化水素の結晶の話は、猛毒の青酸が凍った結晶の記事でも紹介しました。
これまでの実験の研究では、約10ミリモル濃度という濃いシアン化水素から、脂質や糖・核酸塩基・ヌクレオチドなど生命の部品の多くが作れると示されています。問題は、初期の地球のどこに、そんな濃いシアン化水素があったのかです。この点は、まだ議論が続いています。
出どころの候補は、これまで大きく2つに分けて考えられてきました。地球の大気の中でつくられるか、彗星や小惑星、宇宙のちりに乗って外から来るかです。大気でつくられる量は、大気が還元的なほどずっと多くなります。けれども、初期の大気が還元的だったことには、地質の証拠から反対が多くあります。
そこでこれまで期待されてきたのが、彗星です。観測では、彗星は水に対して約0.1%のシアン化水素を含んでいます。そのため、地表のかぎられた場所に最大で約30ミリモル濃度ものシアン化水素を届けられる、と考えられてきました。
今回のチームがシアン化水素を選んだのにも、わけがあります。太陽系の彗星で、生命の化学に足りる濃さで見つかっている原料分子は、これまでのところシアン化水素だけです。また、これまでの研究では、三重の結合のおかげで衝突の熱にほかの複雑な分子より強いと考えられています。
研究チームのリチャード・アンスロー氏は取材に対し、「シアン化水素は、衝突を生き延びやすい部類の分子だろう」と話しています。「だからシアン化水素で見通しが悪いなら、衝突で壊れやすいもっと複雑な分子は、さらに難しいと考えている」とも語っています。
キク彗星が本当に材料を届けられたかって、どうやって確かめたんだろう?
彗星の一生から衝突の熱までをつないだ計算
実験で彗星を地球にぶつけるわけにはいきません。そこでチームは、彗星が生まれてから地面にぶつかるまでを、計算でつないで再現しました。今回の研究では新しい観測データは作っておらず、すべて計算による研究です。
まず、彗星がどれだけ地球に降ってきたかです。海王星の外側の円盤で生まれた100万個の彗星のもとが、長い時間をかけてどう動くかを追ったモデルを使いました。これまでの計算は月のクレーターの記録を手がかりにしていましたが、今回はそれと違うやり方をとっています。
計算は短周期彗星にしぼっています。NASAの解説によると、短周期彗星は200年より短い周期で太陽を回る彗星です。遠くから来る長周期彗星より、ぶつかる速さがかなり遅いため、こちらを選びました。
次に、彗星が大気を通る間に減速したり砕けたりする様子を計算しました。初期の大気の圧力は分かっていないため、1気圧の大気を仮定しています。チームはこれを、彗星が生き残るのに一番有利な条件とみています。彗星の密度と強さにも上限の値を使い、ここでも彗星に有利にしました。
最後に、地面に届いた彗星ごとに、衝突の高温でシアン化水素がどれだけ残るかを求めました。彗星は水に対して0.1%のシアン化水素を持つと仮定しています。残る割合の計算には、同じグループが2025年に発表した別の研究の式を使いました。
こうした計算を、100万年ごとに区切って地球の初期の歴史にあてはめました。偶然のばらつきを見るため、全体を10万通りくり返しています。
大気は「ふるい」、衝突は高温
計算からまず見えてきたのは、大気の厳しさです。直径約100mより小さい彗星は、ぶつかる角度にかかわらず、高い空で爆発するように砕けました。運んでいた分子は、広い範囲にばらまかれてしまいます。
論文は、地球の大気を「ふるい」にたとえています。小さい彗星や、斜めに入ってくる彗星から先に壊していくからです。ところが、分子を濃いまま届けやすいのは、まさに斜めにぶつかる彗星でした。大気は、届けるのに向いた彗星ほど通しにくいことになります。
一方で、大気には彗星にブレーキをかける働きもあります。そのおかげで、地球の脱出速度よりずっと遅く落ちる彗星が一部できました。遅い衝突は、壊れやすい有機分子が残るのを助けます。
彗星が全体でどれだけ降ったかも確かめています。計算で地球に降った彗星の重さの合計は、約2.63×10の18乗kgでした。貴ガスの同位体の比から見積もられた量とも合っており、論文はこれを計算の組み立てを別の面から支える結果としています。
そのうち壊れずに届いたシアン化水素は、合計で約2.65×10の13乗kgだけでした。地球の海の水全部に溶かしたとしても、濃さは最大で約0.75マイクロモル濃度です。実験で使われる濃さより、何桁も低い値でした。
濃く届いた衝突は、10万通りの中央値で0回


では、生命の化学に足りる濃さで届いた衝突は、どれくらいあったのでしょうか。チームは、その目安を最低10ミリモル濃度と仮定しました。シアン化水素は彗星自身の氷が溶けた水だけで薄まるとして、衝突ごとに一番濃い値を記録しています。
どれも、彗星に有利な仮定です。それでも、うまくいった衝突の数は、10万通りの計算の中央値で0回でした。54%の計算では、一度もありませんでした。1回以上あった計算は46%です。
届かなかった一番の理由は、短周期彗星がぶつかる速さが速いことです。シアン化水素が残るのは、とても斜めに、しかもとても遅く落ちた彗星に限られました。取材記事は条件を「直径100mより大きく、遅く、斜めに落ちる彗星」とまとめています。
時期にもかたよりがありました。うまくいく衝突が一番起こりやすいのは、約44.1億年前です。40.3億年前より後に濃いシアン化水素が届いた計算は、5%もありませんでした。
別の研究による推定では、地球の生命の最初の間接的な証拠は約42億年前です。今回の計算でうまくいく衝突が一番起こりやすい時期は、それより1億年以上前にあたります。
これまでの研究から、そのころの地球には陸がほとんど無かったと考えられています。今回の計算でも、遅く落ちた彗星のかなりの数が海に落ちました。海に落ちれば、残ったシアン化水素はすぐに薄まり、水と反応して失われてしまいます。陸の少なさを計算に入れると、うまくいく衝突の中央値は87回から0回に減りました。



遅くて斜めで、しかも陸に落ちた彗星でないと、材料は濃いまま残らなかったってことなんだね!
届いたあとも、時間との競争
では、偶然うまくいく衝突があったとしたら、どうでしょう。チームは、その後に待ちかまえる壁も見積もっています。
彗星がぶつかる瞬間には10〜100ギガパスカルもの圧力がかかり、岩が割れたり溶けたりします。このときの力で、まわりの地下水や氷も大きく乱れます。できたクレーターの湖には地下水が流れこみ、残ったシアン化水素もすぐに薄まってしまいます。
論文は別の研究をもとに、彗星のシアン化水素は数日から数週間で薄まるとみています。地下水に加えて、雨や地表を流れる水も入ってくるためです。環境の条件ですぐには薄まらなかったとしても、湖の水が入れかわるまでの時間は、今の湖から考えて1〜10年ほどです。
生命の化学は、シアン化水素が濃いうちの短い間に進まなければなりません。2020年に発表された別の研究は、衝突の場所で役に立つ濃さが数千年から数百万年続きうるとしていました。今回の論文は、もっと早く薄まるとみている点で大きく違います。
チームはさらに、大まかな見積もりもしています。地球に彗星が激しく降った期間は、およそ5億年です。ここでは、彗星の衝突が生命の始まりに欠かせない一歩だったと仮定しています。うまくいく衝突のまれさと濃さが保たれる時間の短さを合わせると、生命が始まるまでにかかる時間は、彗星が激しく降った期間より何桁も長くなりました。この見積もりに必要な値のほとんどは分かっていないと、チーム自身も断っています。
論文は、今回の計算が衝突でシアン化水素が残る割合を、多めに見積もっている可能性が高いとも書いています。使った式は、シアン化水素の壊れ方を1通りしか入れていないためです。実際の条件は、もっと厳しいかもしれません。



地球でこんなに難しいなら、ほかの惑星だとどうなるんだろう?
火星なら744回、金星なら24回


同じモデルを使うと、火星と金星についても計算できます。陸の広さは考えずに比べると、彗星による運び込みは、火星のほうがずっとうまくいきました。
十分な濃さのシアン化水素を届けた衝突は、火星で744±27回でした。地球は87±9回、金星は24±5回です。火星に落ちる彗星の数は、地球や金星の約5分の1しかありません。それでも、成功の数は大きく上回りました。
火星は脱出速度が小さく、太陽から遠いため、彗星がぶつかる速さが遅くなります。大気も薄いので、彗星が空で砕けにくいのです。計算のもとにした別の研究では、彗星の平均の衝突の速さは火星で秒速19.7km、地球で28.2km、金星で36.8kmでした。
もし昔の火星の大気が1気圧近くあったとしても、成功は448±21回で、地球の5倍より多くなりました。反対に金星では、濃い大気が直径数kmの彗星まで含めて、ほとんどを壊してしまいます。
論文は、彗星の運び込みが生命に必要な一歩だったなら、火星で生命が生まれた可能性を強めると書いています。ただし、ここでは陸の広さを考えていません。暖かく水の多かった昔の火星なら、火星でも成功が同じように減るかもしれないと、チームは注意しています。
「否定はできない」が、彗星説には逆風
チームは、遅くとても斜めに落ちた彗星が偶然シアン化水素をほぼそのまま届けた可能性までは、否定できないとしています。そのうえで、その後の化学には厳しすぎる条件がつくと結論づけました。取材記事も、可能性を完全には否定していないものの、長年の考えとは食い違う研究だと伝えています。
研究に加わっていない専門家の声もあります。米ミシガン州のアルビオン大学の物理学者ニコル・ゼルナー氏は、彗星と初期の太陽系の理解が進むにつれて、こうした考えを見直すことは大事だと話しています。
カナダのウェスタン大学の惑星地質学者ゴードン・オシンスキー氏は、「彗星が有機物を運んだという考えを、人々はきっと考え直すだろう」と述べています。氏は、彗星でなければ炭素質コンドライトという炭素の多い小惑星から来たのかもしれないとみています。火山や熱水噴出孔も、候補だったかもしれないそうです。そのうえで、ほかの研究者が結果を再現し、炭素質コンドライトでも同じような計算を試してほしい、という願いも口にしました。
論文の目は、太陽系の外にも向いています。これまでに見つかった岩石の系外惑星の多くは地球より大きく、脱出速度も大きくなります。そのため、彗星で材料を届けるのは地球よりさらに難しいとみています。今後数十年で大気が詳しく調べられる地球型の惑星の多くは、軽い赤色矮星を回っています。そこでは、彗星の衝突がさらに速くなるといいます。
彗星に材料がたっぷり入っていることと、それが地面に濃いまま届くことは、別の問題だったわけです。材料を「持っているか」だけでなく「どう届くか」まで数え上げた点に、この研究の重みがあると感じます。



彗星が材料を運んだ可能性は、もう完全に無いってこと?
そうは言い切っていません。論文は、たった一度の偶然の衝突が十分な濃さのシアン化水素を届けた可能性を、正式には否定できないと書いています。そのうえで、その後の化学には厳しすぎる条件がつくとしています。
書いてあった所: 論文(Scientific Reports)の考察



シアン化水素がだめでも、ほかの分子なら届くんじゃないの?
論文は、そうは考えていません。シアン化水素は、彗星の中で生命の化学に足りる濃さで見つかっている原料分子で、衝突の熱にも強いとされます。だからシアン化水素で届かないなら、ほかの原料分子も同じだとみています。
書いてあった所: 論文(Scientific Reports)の序論



火星なら生命が生まれやすかったってこと?
そこまでは言っていません。論文は、彗星の運び込みが生命に必要な一歩だったなら、という条件つきで、火星で生命が生まれた可能性を強めるとしています。陸の広さは考えていない計算です。
書いてあった所: 論文(Scientific Reports)の結果
研究メモ
- 掲載誌
- 学術誌『Scientific Reports』に、2026年10月28日に発表されました。誰でも読めるオープンアクセスの論文です。
- 研究者
- 英国ケンブリッジ大学天文学研究所のリチャード・アンスロー氏らのチームです。ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所と、エディンバラ大学の研究者も加わっています。アンスロー氏は取材時、英国気象庁に所属しています。
- 対象
- 太陽系ができて間もないころに、地球・火星・金星に降った短周期彗星です。観測ではなく計算の研究で、彗星は水に対して0.1%のシアン化水素を持つと仮定しました。
- 方法
- 海王星の外で生まれた100万個の彗星のもとの動きを追ったモデルで、降ってくる数を出しました。大気を通る間の減速や分裂を計算し、衝突でシアン化水素が残る割合を式で求めています。100万年ごとに区切った計算を、10万通りくり返しました。
- 結果
- 10ミリモル濃度を超えるシアン化水素を陸に届けた衝突は、中央値で0回でした。54%の計算では一度もありませんでした。壊れずに届いた量は合計約2.65×10の13乗kgです。火星では744±27回と、地球よりずっと届きやすい結果でした。
- 注意点
- 計算による研究で、初期の大気の圧力や陸の広さなど、分かっていない値が多くあります。どれも彗星に有利な値を選んでいます。偶然の衝突が濃いシアン化水素を届けた可能性は否定できません。火星の結果は陸の広さを考えていない値です。




参考文献:
一次ソース: Anslow RJ, McDonald CH, Bonsor A, Rimmer PB, Rae ASP, Cometary impacts an unlikely pathway towards the origins of life on Earth(Scientific Reports, 2026)DOI:10.1038/s41598-026-74214-y
研究機関: ケンブリッジ大学(英国)、エディンバラ大学(英国) / 取材記事: Skyler Ware「Comets probably didn’t deliver life’s building blocks to Earth」(Science News, 2026年10月28日)
別の研究: McDonald CH et al., Constraining the survival of HCN during cometary impacts(Icarus, 2025)DOI:10.1016/j.icarus.2025.116704
別の研究: Todd ZR, Öberg KI, Cometary Delivery of Hydrogen Cyanide to the Early Earth(Astrobiology, 2020)DOI:10.1089/ast.2019.2187
基礎知識: NASA Science「Comet Facts」










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