はかせ、5000年前のヨーロッパに農耕を広めたのは女性だったって本当なの?
いい質問ですね。ハーバード大学とハダースフィールド大学を中心とした国際チームが、古代DNAの分析でその証拠を見つけたんですよ
ベルギーとオランダの遺跡から出土した骨を調べたところ、Y染色体は地元の狩猟採集民のものなのに、ミトコンドリアDNAの4分の3は南から来た農耕民の女性のものだった。先史時代のヨーロッパで何が起きていたのか、4万年前から続く3つの大きな民族の波を追っていく。
4万年前から始まったヨーロッパ3つの民族の波


4万年前: マンモスを追ってきた最初の狩猟採集民
現代のヨーロッパ人のルーツをたどると、3つの異なる集団が層のように積み重なっていることが分かっている。一番古いのが、4万年以上前に大陸へ広がった狩猟採集民だ。氷河期の終わりまで森や草原を移動しながら、マンモスやトナカイを狩って暮らしていた。
当時のヨーロッパは今より寒く、北部の大半は厚さ1キロを超える氷床に覆われていた。人々は槍先用の細かな石刃を打ち欠き、洞窟の壁に動物の絵を残しながら、数千年単位で土地に根を張っていく。フランスのラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟に残る壁画は、この時代の狩猟採集民が残した記録の一部だ。
9000年前: アナトリアから来た農耕民
次の波は、9000年ほど前に現在のトルコ・アナトリア地方から押し寄せた農耕民だ。彼らは小麦や大麦の栽培技術、それにヤギやヒツジの飼育法を持ち込み、家畜を連れて少しずつ西へ進んでいった。新石器時代と呼ばれる、農耕革命の始まりである。
面白いのは、最初に移ってきた農耕民は地元の狩猟採集民とほとんど交わらなかったことだ。彼らの遺骨を分析すると、ゲノムは出身地アナトリアの祖先とそっくりのまま残っていた。ところが1000〜2000年たつと、地元の狩猟採集民の血が一気に流れ込み、地域によっては全体の30〜40%を占めるようになっていた。狩猟採集民は消えてしまったのではなく、農耕社会のすぐ隣でしぶとく生き残っていたのである。
5000年前: ロシアの草原からやってきた牧畜民
3つ目の波が、5000年前にロシアの草原地帯から流れ込んだコーデッドウェア人だ。土器の表面に紐を押し当てたような独特の模様を残したことから、この名前で呼ばれている。馬を使った機動性と、牧畜中心の暮らしを武器にヨーロッパへ広がっていった。
彼らがヨーロッパに持ち込んだのは、それまで大陸になかった遺伝的特徴と、青銅器時代の幕開けだった。長らく「3つの集団が順番に塗り替えた」という単純な構図で理解されてきたが、ここに新しい古代DNA研究が大きな修正を加えることになる。
5000年前のベルギーで起きていた異変


水辺の遺跡が示した「半分は狩猟採集民」というDNA
新しい研究は、ベルギーを流れるマース川沿いの遺跡から始まった。ハダースフィールド大学の研究チームが、リエージュ大学の考古学者やボーンマス大学の古生態学者ジョン・スチュワート教授と組み、約5000年前の新石器時代の人骨ゲノムを解析する10年がかりのプロジェクトだ。後に解析の中心を担うことになる大学院生アレッサンドロ・フィケラ氏が、ハーバード大学のチームと連携してデータをまとめあげた。
そこから判明したのは予想外の事実だった。新石器時代後期のベルギーの人々は、少なくとも50%が地元の狩猟採集民の祖先を持っていた。アナトリア由来の農耕民DNAと、ほぼ半々で混ざっていたのである。
ライン川とマース川にはさまれた湿地帯は、農耕より狩猟採集の暮らしに向いていた土地だ。南側の肥沃な土壌は紀元前5500年ごろから先駆者の農耕民を引き寄せたが、北の水辺では魚やカモ、ナッツを集める狩猟採集民の暮らしが続いていた。同じ祖先構成のパターンは、川沿い、湿地、海岸といった水辺の遺跡で次々に確認された。北部のオランダで見つかるスウィフテルバント文化の人骨にいたっては、農耕を一部取り入れていたにもかかわらず、ほぼ100%が狩猟採集民の遺伝子だった。
Y染色体とミトコンドリアDNAが食い違っていた
もっと驚きの結果は、性別ごとに受け継がれるDNAを比べたときに見えてきた。父から息子へ伝わるY染色体は、ベルギーの遺骨ではどれも地元の狩猟採集民タイプだった。一方、母から子へ伝わるミトコンドリアDNAは、その4分の3が南からやってきた新石器時代の農耕民の系統だった。
これは、農耕の知識が「嫁いできた女性たち」によって湿地の狩猟採集社会に持ち込まれたことを示している。男性は地元のまま、女性だけが境界線を越えて移ってきたのだ。
40年前に提唱された「フロンティア仮説」が裏付けられた
この発見は、考古学者のマレク・ズヴェレビルとピーター・ローリーコンウィが1980年代に提唱した「フロンティアモビリティ・モデル」を補強するものになった。先駆的な農耕民集団と狩猟採集民の地域の間に「接触帯」ができ、そこで小規模な行き来や婚姻関係、交易が少しずつ形成されていくという仮説である。
仮説では、接触帯の歴史は3段階で進む。まず両者がぽつぽつと出会う「アベイラビリティ期」、続いて狩猟採集民の領域で農耕と狩猟が並行する「サブスティテューション期」、最後に農耕中心へと移る「コンソリデーション期」だ。今回ベルギーで見つかった人骨は、ちょうど真ん中のフェーズに当たる。
新たな証拠が示すのは、その接触帯が男性より女性にとってずっと通り抜けやすかったということだ。先進的とされる農耕社会の女性が、狩猟採集民のもとへ嫁いでいく流れこそが、湿地の人々が農耕を本格的に取り入れていく後押しになった可能性が高い。これまで考古学者の多くは「狩猟採集民の女性が農耕民のもとへ嫁ぐ」イメージで先史時代を語ってきた。今回の結果はその常識を逆方向から書き換えるものだった。
4600年前: イギリスを9割塗り替えた新参者の波


コーデッドウェアからベルビーカーへの変身
ところが、4600年前になると風景がまた一変する。ロシアの草原から流れてきた牧畜民系のコーデッドウェア文化がライン川流域に入り込み、やがて鐘を逆さにしたような土器を使うベルビーカー文化へと姿を変えていった。なぜこの変身が起きたのかは、まだはっきり分かっていない。
ベルビーカー人は数百年のうちにライン川とマース川の地域を作り変えてしまう。4400年前になると、その地に暮らす人々の祖先のうち以前からの農耕民と狩猟採集民の血を引く割合は20%を切り、残りの80%以上がはるか東の草原由来の系統だった。
ストーンヘンジを建てた人々が消えた謎
ベルビーカー人はそこからさらに四方へ広がり、中央ヨーロッパの青銅器時代を切り開く。イギリス海峡を越え、北はスコットランドのオークニー諸島まで到達した。距離にして大陸の西の端からブリテン島の北端まで、約2000キロにわたる拡張だ。
その結果、それまで何世紀もかけてストーンヘンジを建設してきた英国の新石器時代の農耕民は、ほぼ姿を消してしまう。新参者によって人口の9割が置き換わってしまったのだ。約5000年前から建造が始まり、巨石を運んで何百年もかけて整えられてきたストーンヘンジは、結局のところ完成した姿を見届けた人々と建てた人々が別の遺伝子集団だったことになる。なぜここまで急激な交代が起きたのかは、いまだに大きな謎として残っている。
本当に消えてしまったのか、これからの研究で見えてくるもの
ハーバード大学のデイヴィッド・ライク教授とイニーゴ・オラルデ博士の研究室、そして欧州各地の研究者が手を組むことで、こうした巨大な人の動きが次々と数字で見えるようになってきた。ベルビーカー人の波で「消えた」とされる人々も、よく見ると地域ごとに違った末路をたどっているかもしれない。残った狩猟採集民の系統が小さな集団としてどこかに生き延びていた可能性も、新たなサンプルの分析で見えてくるはずだ。
古代DNAの解析精度は年々上がっており、髪の毛のサイズに収まる骨片からでも数千年前の祖先関係をたどれる時代になった。新石器時代の女性たちが川を越えて農耕を運んだように、これからも遺跡の小さな骨片が、教科書の地図を何度も書き換えていくことになる。
結婚で文化が広まっていったなんて、なんか壮大な話だね!
そうなんですよ。古代DNAは石器や土器だけでは見えない、人の動きの裏側を教えてくれるんですよね
同じやり方を他の地域にも当てはめれば、これまで謎だった狩猟採集民の祖先の増減も、もっと細かいストーリーで見えてくるはずだ。
参考文献:
Ancient DNA reveals how women helped transform prehistoric Europe
出典: ScienceDaily










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