オランダ・ベルギー・ドイツ西部の低地帯で出土した、紀元前8500〜1700年の112人分の古代ゲノムを調べた研究が、2026年2月に学術誌Natureに載った。
古代の人骨のDNAから祖先の構成を推定する研究で、新石器時代前期・中期の男性43人のY染色体(父から息子へ伝わる)はすべて中石器時代の狩猟採集民に見られる系統だった。
一方、ミトコンドリアDNA(母から子へ伝わる)は71例中50例が農耕民に由来する系統だった。研究チームは、狩猟採集民の社会に農耕民の女性が取り込まれたと考えている。
ただし、DNAから言えるのは祖先がどう混ざったかまでだ。ヨーロッパ全体の農耕を女性が広めたと示したわけではなく、低地帯の水辺の地域で見えたパターンである。
ヨーロッパに来た3つの人の波
4万年以上前: 最初の狩猟採集民
古代DNAの研究が注目され始めた10年あまり前、ヨーロッパには東から3つの大きな移住の波があったという見方が広まった。
一番古いのが、4万年以上前に大陸へ広がった狩猟採集民だ。今のヨーロッパ人の多くは、3つの集団の祖先をそれぞれいくらかずつ受け継いでいる。
ただし、この「3つの波」という枠組みは今回の研究が見つけたものではない。研究チーム自身も、この図式は単純化しすぎだったと書いている。
今回の研究は、そのうち狩猟採集民と農耕民がどう混ざり合ったかを、北西ヨーロッパの一地域で細かく描き直したものだ。
9000年前: アナトリアから来た農耕民
次の波は、9000年ほど前から広がった、現在のトルコ・アナトリア地方に由来する農耕民だ。ヨーロッパの新石器時代の始まりである。
最初に移ってきた農耕民は、地元の狩猟採集民とあまり交わらなかった。そのため、ゲノムは出身地アナトリアの祖先によく似たままだった。
ところが1000〜2000年たつと、狩猟採集民由来の祖先の割合が10%ほどから、地域によっては30〜40%にまで増えていた。
狩猟採集民は、農耕民が広がっても消えてはいなかったのである。
キク農耕民が来ても、狩猟採集民はいなくならずに少しずつ混ざっていったんだね。
5000年前: ロシアの草原からやってきた牧畜民
3つ目の波が、5000年前からロシアの草原地帯を出て広がったコーデッドウェア(縄目文土器)の人々だ。土器の表面に紐を押し当てたような模様があることから、この名前で呼ばれている。
彼らは、それまでヨーロッパの大半に無かった遺伝的な特徴を持ち込んだ。
コーデッドウェアの広がりは、ヨーロッパの青銅器時代の幕開けとも重なる。
長いあいだ、3つの集団が順番に入れ替わったという単純な構図で語られてきたが、今回の研究はそこに地域ごとの違いを書き加えた。


低地帯で長く残った狩猟採集民の祖先


水辺の遺跡が示した「半分は狩猟採集民」というDNA
きっかけは、ベルギーのマース川沿いで出土した約5000年前の新石器時代の人骨だった。
英国のハダースフィールド大学の研究グループが、ボーンマス大学の古生態学者ジョン・スチュワート教授やベルギーのリエージュ大学の考古学者と共同で、そのゲノムを調べ始めた。
この研究はやがて、ハーバード大学のデイヴィッド・ライク教授とイニーゴ・オラルデ博士が率いる、西ヨーロッパ各地の遺伝学者・考古学者の大きな計画に加わった。
論文の筆頭著者はオラルデ氏で、責任著者はオラルデ氏、ライデン大学医療センターのエフェリン・アルテナ氏、ライデン大学のクエンティン・ブルジョワ氏とハリー・フォッケンス氏、ライク氏が務めている。
ハダースフィールド大学の大学院生アレッサンドロ・フィケラ氏も共著者の一人だ。
わかったのは、予想していなかったことだった。新石器時代後期のベルギーの人々は、少なくとも50%が地元の狩猟採集民の祖先を持っていた。
論文によると、低地帯の水辺の人々では狩猟採集民の祖先がおよそ50%という高い割合で、ヨーロッパの多くの地域より3000年長く保たれていた。
ほかの中央・西ヨーロッパでは、農耕が入ると狩猟採集民の祖先はふつう30%未満に下がっている。
南側の肥沃な土壌には、紀元前5500年ごろから先駆けの農耕民が入った。一方、北の湿地や川の三角州、海岸、川沿いの砂丘では、農耕を取り入れたあとも狩猟・採集・漁労が続いた。
同じような祖先の構成は、川沿いや湿地、海岸の遺跡で次々に確認された。
オランダのスウィフテルバント文化(紀元前4400〜3800年ごろの人骨)は、農耕を一部取り入れながら狩猟採集を続けた文化だ。
その人々は個人差が大きく、狩猟採集民の祖先が37〜45%の人から、100%の人(母と娘の2人)までいた。



父から伝わるDNAと母から伝わるDNAでは、祖先がちがって見えたりするのかな?
Y染色体とミトコンドリアDNAが食い違っていた
さらに目を引くのは、父から息子へ、母から子へと別々に受け継がれるDNAを比べた結果だ。
低地帯の新石器時代前期・中期の男性43人(近親者を除く)では、Y染色体はすべて中石器時代の狩猟採集民に見られる系統だった。
一方、ミトコンドリアDNAは71例中50例が農耕民に由来する系統だった(中石器時代の狩猟採集民からは見つかっていない系統を農耕民由来とした)。
X染色体でも、常染色体より農耕民系の祖先の割合が統計的にはっきり高かった(Zスコア5)。
この食い違いは、農耕民系の祖先が主に女性を通して狩猟採集民の社会に入ったことを示している。
研究チームは、取り込まれた農耕民の女性が、農耕に関わる考えや技術のやりとりをおそらく仲立ちしたと考えている。
ただし、DNAが直接語るのは祖先の混ざり方までで、知識が誰を通して伝わったかを証明するものではない。
また、同じような性に偏った混血は、イベリア半島や北欧のファネルビーカー文化の農耕民でも以前の研究で報告されており、この地域だけの現象ではない。
1980年代の「フロンティア」モデルを支持する結果
この発見は、考古学者のマレク・ズヴェレビルとピーター・ローリーコンウィが1980年代に提唱した「フロンティアモビリティ・モデル」を補強するものになった。
先駆的な農耕民集団と狩猟採集民の地域の間に「接触帯」ができ、そこで小規模な行き来や婚姻関係、交易が少しずつ形成されていくという仮説である。
仮説では、接触帯の歴史は3段階で進む。
まず境界をまたいだ接触や小規模な行き来が生まれる「アベイラビリティ期」、続いて狩猟採集民の領域で農耕と狩猟が並行する「サブスティテューション期」、最後に農耕中心へと移る「コンソリデーション期」だ。
論文は、このモデルを低地帯という限られた範囲で支持すると書いている。
新たな証拠が示すのは、この地域では接触帯が男性より女性にとって通り抜けやすかった、ということだ。
農耕社会の女性が狩猟採集民のもとへ嫁いでいく流れが、湿地の人々が農耕を取り入れていく後押しになった可能性がある。
これまで先史時代を語るとき、「狩猟採集民の女性が農耕民のもとへ嫁ぐ」向きが想定されがちだったが、今回のケースはその逆向きの人の動きを浮かび上がらせた。
もっとも、これはあくまで低地帯の一事例であり、ヨーロッパのどこでも同じことが起きていたと一般化できるわけではない。




ビーカー集団の拡大とブリテン島
コーデッドウェアからベルビーカーへの変身
ところが、4600年前ごろになると状況がまた変わる。
ロシアの草原に由来する牧畜民系のコーデッドウェア文化がライン川流域に入り込み、やがて鐘を逆さにしたような土器を使うベル・ビーカー文化へと姿を変えていった。
なぜこの変化が起きたのかは、まだはっきり分かっていない。
ただ、オランダ西部では、コーデッドウェアの到来も例外的だった。
コーデッドウェアの土器を使った集落の3人を調べると、1人にはステップ系の祖先がまったく無く、残る2人でも12〜16%にとどまった。
そのうちの男性は、初期のコーデッドウェア集団に見られるY染色体の系統(R1b-U106)を持っていた。土器などの文化は入ったのに、人の流入はわずかだったことになる。
ベル・ビーカーの人々は、数百年のうちにライン川とマース川の地域の遺伝的な構成を大きく変えた。
4400年前には、以前からの農耕民と狩猟採集民に由来する祖先は20%を切り、80%以上が東の草原に由来していた。
論文の推定では、低地帯のビーカー集団に残った地元の祖先は13〜18%で、今回は男女の両方が外から入ってきていた。
ブリテン島の新石器時代の祖先はほぼ入れ替わった
ビーカーの人々はそこからさらに四方へ広がり、中央ヨーロッパの青銅器時代を切り開いた。イギリス海峡も越え、北はスコットランドのオークニー諸島まで到達した。
ブリテン島では、ストーンヘンジを築いてきた新石器時代の農耕民の祖先が、ほぼ入れ替わった。
祖先の少なくとも9割が入れ替わったことは2018年の別の研究(Olaldeら)が示していたが、今回の論文はブリテン島のビーカー集団28人を調べ直し、その供給元が低地帯だったことを示した。
初期青銅器時代のブリテン島では、低地帯のビーカー系の祖先が約92%を占め、在来の新石器時代の祖先は多くて8%、0%の可能性もあるという。
ただし、ブリテン島の新石器時代の人々は火葬をしていたため、DNAを調べられる骨が残っておらず、一気に入れ替わったのか、しばらく共存したのかはわかっていない。
考古学者は、ストーンヘンジなどの建造物の利用には連続性があったとも指摘している。
本当に消えてしまったのか、これからの研究で見えてくるもの
研究チームの解説は、在来の人々が本当に消えたのかについて、考古学と古代DNAの細かな証拠が増えれば、もっと込み入った姿が見えてくるかもしれないとしている。
論文でも、アメズベリーの射手を含むブリテン島の4人は、ステップ系の祖先が少ない外れ値だった。
研究チームは、この4人の祖先の一部が在来の新石器時代の人々に由来する可能性を否定できないとしている。
古代DNAは、石器や土器だけでは見えない人の動きを教えてくれます。



ブリテン島では祖先がほぼ入れ替わったけど、在来の人が本当に消えたかはまだ分からないんだね。
参考文献:
Olalde, I., et al. (2026). 『Lasting Lower Rhine–Meuse forager ancestry shaped Bell Beaker expansion』. Nature, 652, 938-946. DOI: 10.1038/s41586-026-10111-8
ブリテン島の置換に関する参考: Olalde, I., et al. (2018). 『The Beaker phenomenon and the genomic transformation of northwest Europe』. Nature, 555, 190–196.
Ancient DNA reveals how women helped transform prehistoric Europe (ScienceDaily)
論文本文(PubMed Central): PMC12978843








