はかせ、コオロギとかセミを食べる文化ってあるよね。でもあたし、虫って見るだけでゾワっとするんだ。これって好き嫌い?
それがね、単なる好き嫌いじゃなかったんだ。スペインの研究チームが古代人の歯石745個を調べたら、9000年前から北ユーラシア人は虫を消化しづらい遺伝子を持ち続けていた、と分かったんだよ
コオロギを見て身を引くのに、豚肉やチーズは平気で食べる——この落差を「文化のクセ」だけで説明するのは無理があった。スペイン国立研究評議会(CSIC)とポンペウ・ファブラ大学が運営する進化生物学研究所(IBE)のチームは、2026年6月5日付で学術誌『Science Advances』(第12巻23号)に発表した論文で、欧州人の虫嫌いには少なくとも9000年前の遺伝子的な背景があると突き止めた。手がかりは、古代人の歯にこびりついた歯石だ。
歯石745個から取り出した「食事のDNA」


研究チーム(Manuel Piñero氏、Pablo Librado氏)が使ったのは、745人分の解剖学的現代人の歯石(dental calculus)サンプルだ。歯磨きが行き届かない時代、歯石は食べた物のDNAを閉じ込めるカプセルの役割を果たす。歯周ポケットに沈着したミネラル(リン酸カルシウム)は口内の温度湿度から破片を守り、数万年単位でDNAを封じたまま残す。今回の最古サンプルは33,000年前にまでさかのぼる、旧石器時代後期のヨーロッパ人だ。
手法は2つを組み合わせた。1つはメタゲノム解析で、歯石に残るあらゆる生物のDNA断片を読み取り、その中から昆虫由来のものを拾う。もう1つは、胃で働くキチナーゼ遺伝子(CHIAとCTBS)の集団遺伝学的な解析だ。CHIAは酸性キチナーゼ、CTBSはキトビアーゼという酵素で、どちらも昆虫の外骨格をつくるキチンを分解する仕事をする。
2種類の切り口から同じ結論に辿り着けば、証拠は倍の重みを持つ。歯石の中に虫DNAがほぼ無く、しかも虫を消化する酵素の遺伝子も欧州人には少ない——そう来られたら「たまたま食べなかっただけ」とは言えなくなる。IBEはこの二本柱で、欧州の昆虫食は9000年間ほぼ空欄だったと押し切った。単発の遺跡ではなく745個体という規模を積み上げたのが、この研究のインパクトの正体だ。過去の古代DNA研究は数十例規模が普通で、745個は昆虫食テーマでは前例のない大集団解析にあたる。個体差を平均化できるだけの母数が揃って初めて、「9000年間ほぼゼロ」という強い主張が数字で成立する。
現代人 vs ネアンデルタール——歯石が語る「量」の違い
結果はまず北ユーラシア(現在の欧州〜中央アジア)の解剖学的現代人から。歯石メタゲノムに含まれる虫DNAはごくわずかで、意図せず口に入ったレベルに留まった。狩猟採集期でも農耕開始後でも大差なく、虫を献立の柱にした痕跡は乏しかった。歯石は食べた物だけでなく口に入ったすべての微粒子を拾うため、少量の虫DNAは環境からの混入で説明がつく水準だという。
対照的なのがネアンデルタール人だ。同じ北ユーラシアの寒い環境に暮らしていたにもかかわらず、彼らの歯石はもっとしっかり虫DNAを抱えていた。その水準は西アフリカのチンパンジー並みだったという。チンパンジーはサバンナで乾季にシロアリなどを積極的に食べる雑食性で、虫を主食の一部にしていた霊長類の代表格だ。ゴリラもまた同程度の虫DNAを歯石に残しており、ネアンデルタールが霊長類の平均的な雑食側に立っていたことが分かる。
ネアンデルタールの歯石で目立ったのは双翅目(Diptera:ハエと蚊のグループ)のDNAで、特にカのDNAが多かった。彼らがカを狙って捕食していたわけではなく、ハエ幼虫のわいた獲物の死骸をそのまま食べ、獲物を沼や湿地に保管したためカが卵を産みつけた——というのが著者らの解釈だ。同じ研究で分析されたデニソワ人1個体も、キチナーゼ遺伝子は虫を消化しやすいタイプを持っていた。
ここで見落としてはいけないのが、ネアンデルタール人と現代人の祖先が同じ寒冷な北ユーラシアを生活圏にしていたという事実だ。虫が手に入りにくい環境だったから食べなかった、という説明では、同じ土地に暮らした両者で歯石の虫DNA量がこれだけ食い違うことを説明できない。チンパンジーが乾季にシロアリを補助食として積極的に食べるように、虫を献立に入れるかどうかは入手のしやすさだけでなく、その集団が虫をどう位置づけたかという食性の選択に左右される。ネアンデルタール人は同じ環境で虫を食事に取り込み、現代人の祖先はほとんど取り込まなかった——歯石はその分岐点を、DNAという物質のかたちで記録していたことになる。
| 集団 | 歯石中の虫DNA | キチナーゼ遺伝子タイプ |
|---|---|---|
| 現代人(北ユーラシア) | ごく僅か | 消化力の低い変異 |
| ネアンデルタール人 | チンパンジー並み | 消化に有利な型 |
| デニソワ人(1個体) | — | 消化に有利な型 |
| 現代の熱帯集団 | — | 高発現型を保持 |
「胃の酵素」が緯度で違うという指紋


もう1つの証拠、キチナーゼ遺伝子は驚きの結果を返した。ゲノム全体で見ると、CHIAとCTBSはゲノム上で最も強く緯度で違いが出る2つの遺伝子に入ったのだ。北へ行くほど酵素活性を落とす変異、赤道に近づくほど酵素活性を保つ変異が濃くなる——これは食料の中に虫がどれだけあるか、に応じた自然選択の結果と考えるのが素直だ。ヒトゲノムには2万個以上の遺伝子があるなかで、緯度に沿った染め分けが最も鮮やかと呼べる2つに虫の消化酵素が入ったのは、それだけこの選択圧が強かったことを物語る。
研究チームはeQTL(発現量遺伝子座)という手法で、その変異が実際に胃でのキチナーゼ発現量を落とすことも裏づけた。eQTLとは遺伝子の配列の違いと作られるタンパク質の量の違いを突き合わせる解析で、単に配列に違いがあるだけでなく、生きている胃の中で使われる酵素の量そのものが違う、というところまで踏み込んだ格好だ。つまり現代の欧州人はたまたま虫を食べないのではなく、そもそも虫を効率よく消化する酵素が細く絞られている集団なのだ。
この緯度勾配は農耕が始まった約9000年前の時点ですでに完成していたことを、古代人ゲノムが示した。しかも、青銅器時代のヤムナヤ集団のようにヨーロッパを覆った激しい人口移動をくぐり抜けても、勾配は崩れなかった。ヤムナヤ人の遺伝子は現代の欧州人の半分近くを占めるレベルの流入があったが、キチナーゼ遺伝子の緯度パターンだけは元の分布から動かなかったということだ。遺伝子は集団が混じっても、この模様だけは残るほど強く選択されてきた——そう読める。
なぜ緯度で差が出るのか——「虫の絶対量」と「代謝コスト」の綱引き
虫はFAOが食用に分類する1,611種という豊富な栄養源だが、緯度が上がるほど数と種類は激減する。虫は変温動物のため寒冷地では活動時期が短く、1匹あたりのタンパク質量が薄いため大量に食べないとカロリーがまかなえない。狩猟採集の身体で言えば、探し歩くカロリーの方が上回る場面が増えていく。冬が長い北方では、雪の下で数匹を掘り起こすより、大型哺乳類1頭に賭けた方が総摂取カロリーは明らかに大きい。
一方、胃でキチナーゼを常時発現しておくのはタダではない。使わない酵素を維持し続けるのは代謝的な無駄だ。北方の集団では虫を消化できる遺伝子を弱めた個体の方が有利で、熱帯では逆——それが緯度勾配の中身だ。乳糖不耐性の逆パターンと考えると分かりやすい。乳糖分解酵素(ラクターゼ)は乳を飲む牧畜文化圏で残り、飲まない文化圏で薄まった。食料のあるなしが酵素遺伝子の運命を決めるという構図では同じ現象だ。
研究チームがコメントとして残した「狩猟採集のカロリー消費を補うには大量の虫が要る」は、この綱引きの証明でもある。数を食べられない環境では、虫を消化する装備は静かに削られていく。9000年をかけて、体は食べ物に合わせて自分を組み替えた。逆に、寒冷地に暮らしても虫を主要タンパク源にしていたネアンデルタール人だけは、この綱引きで熱帯側と同じ選択肢を取り続けた——だから同じ環境でも遺伝子の型が違ったわけだ。同じ地理と気候でも食性が違えば酵素は別の道を歩む、というのが遺伝学が突きつける事実である。
相関か因果か——「遺伝子が嫌悪感を作る」わけではない


ここで一度冷静に整理しておきたい。今回の研究が示したのは北ユーラシア人は歴史的に虫をあまり食べていない、虫を消化しにくい遺伝子を持つ、という相関だ。遺伝子があなたに虫を嫌わせている、という因果までは、この論文だけでは結論できない。歯石メタゲノム解析はコホート研究の一種で、ランダム化比較試験ではないため、因果矢印の向きは慎重に扱う必要がある。
嫌悪という感情は、遺伝子・幼少期の学習・文化のどれか1つでは説明できない。逆に、9000年間虫を食べない文化が続いたからキチナーゼ遺伝子が弱まった——という逆向きの因果もあり得るし、寒冷地で他の食料(哺乳類肉や乳)が豊富だった交絡も除ききれない。研究者たちが慎重に「occasional and possibly incidental(偶発的で意図的でない)」という表現を選んでいるのは、ここを踏まえての言い回しだと考えられる。
言えるのは、遺伝子・環境・文化が9000年間同じ方向に押し合って、今の欧州人の食卓の風景をつくっているということだ。虫嫌いは個人の気の持ちようではなく、地質年代スケールの慣性が乗った現象らしい——というのが筆者の受け止めだ。強い証拠と弱い証拠を混ぜないよう補足すると、「キチナーゼ遺伝子の緯度勾配」は集団遺伝学の再現ある強い所見、「嫌悪感の起源が遺伝子」は今回の論文が主張していない仮説側、と切り分けたい。今後、嫌悪と遺伝子の直接的な結びつきを検証するには、双子研究や家族内発症解析といった別の研究デザインが必要になる。
日本人はどこに位置づけられるのか


ここまで読むと、日本の読者は「じゃあ日本人は?」と気になるはずだ。日本にはいなご(イナゴ)、はちの子(クロスズメバチの幼虫)、ざざむし(トビケラ幼虫)を食べる伝統食があり、長野や岐阜など内陸の山あいで今も残る。少なくとも文化的には、欧州のような徹底した忌避圏ではない。
今回の論文自体は東アジア人の遺伝子データも含めており、北ユーラシアと中央・東アジアでは虫食は稀と結論しているが、日本の伝統食に見られる昆虫食のニッチな残り方は、緯度と文化の合成物と読める。北から見れば南寄り、東アジアの中では山がちで冬の食料が細る環境という条件が、狭い地域限定の虫食文化を残した可能性がある。海に囲まれ魚介という高効率のタンパク源を得やすかった沿岸部と、山の中で越冬をやり繰りしてきた内陸部で、キチナーゼ遺伝子タイプにわずかな差が出ていても不思議ではない。個人的には、日本人のキチナーゼ遺伝子タイプを地方別に比較した続報が読みたい。
FAOが未来のタンパク源として推す1,611種の食用昆虫は、気候変動時代の解答の1つだ。しかし少なくとも西洋圏では、9000年分の遺伝子的な向かい風が吹いていることを、今回の研究は数値で見せた。ハードルは文化広報だけでは超えられない——これが、この論文から筆者が受け取った実務的な示唆だ。粉末化してパンやプロテインバーに練り込む形なら、虫の姿を見ないで済むぶん、遺伝的な消化コストは残っても心理的な壁は下げられる。実際、コオロギ粉末を配合した加工食品はEUや日本ですでに商品化が始まっており、9000年の慣性と食料問題のせめぎ合いは、これからも数字で追う価値があるテーマだ。
あたしの虫嫌いって、9000年前のご先祖さまから引き継いだ感覚だったんだ。ちょっとロマンチックかも
そうなんだ。ネアンデルタールの歯石はハエ幼虫のDNAでビッシリだった一方で、私たちの祖先の歯石にはほとんど無かった。この差は今もキチナーゼ遺伝子として体に残っているんだよ
参考文献:
一次ソース: Piñero M, Librado P. Genomic evidence for limited entomophagy in ancient Europeans (Science Advances, 2026) DOI:10.1126/sciadv.aec6939
研究機関: スペイン国立研究評議会(CSIC)/ポンペウ・ファブラ大学 進化生物学研究所(IBE) / 二次ソース: ScienceDaily










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