受精と聞くと、何百万もの精子が1個の卵に向かって競走する絵が浮かぶ。2026年6月3日付でNature Communications誌に載った論文は、この見方に別の面を加える。
米シラキュース大学、イタリアのシエナ大学、ハンガリーのセゲド大学のチームは、昆虫やクモ、カニなど節足動物615種と比較用の6種、計621種の精子の構造を過去の論文から集め、新たに10種を観察して、進化の系統樹の上に並べた。
その結果、精子どうしがくっついて束になる「精子接合(sperm conjugation)」は節足動物に広く見られ、進化の中で何度も独立に生まれ、失われていたことが分かった。
研究は過去の観察記録と系統樹を使った比較の研究で、束になることがなぜ有利なのかはまだ分かっていない。
精子が束になる現象は珍しいとされてきた
精子は、あらゆる細胞のなかで最も速く進化する細胞だとされる。
責任著者のスコット・ピトニック氏(シラキュース大学 生物学ウィーデン教授)は、精子は体の外の、メスの生殖管という複雑な環境で働くという特有の難題によって形づくられてきた、と説明する。
精子どうしが手を組む現象は100年以上前から記録されていたが、珍しいものと考えられてきた。
共著者のスティーブ・ドーラス氏(シラキュース大学 生物学教授)は、受精は個々の精子の競争と見られがちだが、多くの種では、細胞たちが繁殖の成功を左右しうる形で協力しているのが見える、と話す。
今回の解析では、精子接合は節足動物の現生の亜門すべてで見られ、調べた88の目のうち34目(38.63%)にあった。
チョウやガ、等脚類(ダンゴムシなど)、サソリではほぼすべての種で、トンボやハチ、クモなどでもよく見られる。一方、ハエやマダニでは見られないか、まれだ。
約5億年前に生まれ、獲得と喪失を約45回ずつ
研究チームは、精子の形の情報を、化石で年代を合わせた系統樹に重ね、いつ束が現れ、いつ消えたかを推定した。
系統樹の根にあたる節足動物の起源は5億4590万〜6億2190万年前と推定され、発表はこの時間軸を「過去6億年」と表している。
節足動物の祖先の精子は束になっていなかったと推定される。
精子接合が最初に生まれたのは、昆虫とムカデエビ類(甲殻類の一群)へ続く枝の上で、カンブリア紀かオルドビス紀(4億5260万〜5億850万年前)だった。
すべての昆虫の共通祖先も、束になった精子をもっていたと推定された。
その後、精子接合は34〜63回独立に生まれ、29〜77回失われたと推定され、論文はおよそ45回ずつと要約している。
筆頭著者のR・アントニオ・ゴメス氏(シラキュース大学 生物学科の博士研究員)は、進化は節足動物のさまざまなグループで同じ実験を何度も繰り返してきた、と表現する。
ただし、束になることがどう役立つのかは、どの生物でもまだ分かっていない、と論文は書いている。
祖先の精子は束になっていなかったのに、系統樹全体で見ると、精子が束になっていた時間は約3分の2(64.5〜68.9%)にのぼる。
論文によると、これは束の性質が長く続いたからではなく、何度も新たに生まれたためだ。
解析には確率的形質マッピングという方法を使い、系統樹の上で精子の形が変わる歴史を1000回シミュレーションして、祖先の状態や変化の回数を見積もった。
離れた系統で同じ形質が別々に生まれることを収斂進化という。


キク精子が束になる性質って、一度生まれたらずっと続くんじゃなくて、進化の中で何度も生まれ直してたんだね
精子を束ねる『のり』——SAMという物質
精子はどうやって束になるのか。カギを握るのが、精子に付着する細胞外の物質、精子随伴物質(sperm-associated material、略称SAM)だ。
膜に包まれたこの物質は、精子どうしをつないだり、周りに構造を作って精子をまとめたりする。
束の形は、集合、ペア、積み重ね(ルロー)、棒(スペルマトスタイル)、鞘に包まれた型の5つに分けられ、どの型にもSAMがある。
発表によると、研究チームはSAMが、もともと精子を包装したり守ったりするしくみとして始まり、精子接合が生まれるのを助けたのではないかと考えている。
系統樹の解析でも、精子接合が生まれた多くの場合で、先にSAMが現れていた。
メスの生殖管は、精子にとって複雑で通りにくい環境だ。発表によると、群れで動いたり働いたりすることで、精子は移動のしやすさやまとまり、全体の働きの面で有利になるかもしれない。
ピトニック氏は、受精をまっすぐな競走ではなく、障害物コースにたとえている。
では、束になる利点は何か。これまでの研究者の多くは、泳ぐ速さが上がることに注目してきた。しかし、束になった精子の泳ぎを測った研究は少なく、結果もはっきりしない。
鞘に包まれた束は動かないので、速さだけでは説明できない。
論文は新しい仮説として、精子が束になってSAMと一緒に動くことで、精液の成分をメスの精子貯蔵器官まで運び、長く留めているのではないかと考える。
ショウジョウバエでは、数百種類ある精液タンパク質の大半が、交尾の数時間後にはメスの生殖管で検出できなくなり、精子にくっついたものだけが貯蔵器官まで運ばれて長く残るという。
別々に進化した束どうしで、材料も似ていた。
カメムシの仲間(アワフキムシやヨコバイ)と甲虫(ミズスマシ)は、それぞれ独立に精子をつなぐ棒(スペルマトスタイル)を進化させたが、どちらの棒にも精子ロイシルアミノペプチダーゼ(S-LAP)というタンパク質が多く含まれていた。
論文は、別々の進化で同じ種類のタンパク質が使われたと結論している。



束にならない変わった精子をもつ虫もいるのかな?
異端児スポッテッドランタンフライ:1匹ずつSAMに埋まった精子
節足動物の中には、束をつくらない変わった精子もある。米国東部で農業被害を広げている外来種のスポッテッドランタンフライ(Lycorma delicatula、カメムシ目)だ。
研究チームはこの種を含む10種の精子を新たに観察した。発表によると、この種の精子は束にならず、1つ1つが分厚いSAMの層に包まれている。
ピトニック氏は「彼らの精子はとても変わっている。束にはならないが、1つ1つの精子がこの物質にすっぽり埋まっていて、どうやって動くのかさえ分かっていない」と話す。
発表によると、研究チームは、精子接合やSAMを妨げることで有害な種の繁殖を邪魔できないかを調べている。
SAMがこの種の繁殖に欠かせないなら、SAMの働きを邪魔することで、この種だけを狙った防除ができるかもしれないという。
ただし、この防除の話は論文本文にはなく、大学の発表で述べられた将来の可能性にとどまる。
ヒトに直結すると考えるのは早い——観察の限界


注意点もある。今回の研究は節足動物を対象にしたもので、ヒトの受精や不妊治療にそのまま当てはまるわけではない。
なお論文は、束をつくらないウシの精子でも、同じ向きに泳ぐ精子どうしが触れると尾の動きがそろい、1つで泳ぐときより速くなったという別の研究を紹介している。
もう一つの限界は観察の場だ。発表によると、ガラスのスライドの上で見た精子は、はるかに複雑なメスの体の中の精子とはふるまいが違うことが多く、束になる利点を確かめるのが難しい。
研究チームは今後、実際の生殖器官の中で精子の束を観察し、協力することの利点とコストを調べたいとしている。
今回の研究は、過去の論文の観察記録に、10種の新しい観察と、カメムシの仲間4種の精子束のタンパク質分析を加えたもので、束になる理由はまだ仮説の段階だ。
推定の数字にも幅がある。獲得や喪失の回数は、34〜63回のように幅をもった推定値だ。
論文の系統樹は、複数の研究の系統樹をつなぎ合わせたもので、著者自身、実際の進化とは違う関係が入り込むおそれがあると書いている。
今回の結果の中心は、束になる性質が広く見られ、何度も生まれ直しているというパターンだ。
発表は、精子がどう協力するかを知ることが、将来、人の生殖の問題を調べる新しい方法につながるかもしれないとしている。
個々の精子の能力だけでなく、集団としてのふるまいにも目を向ける必要があるかもしれない、という。
協力と競争は両立しうる
発表は、協力と競争は必ずしも対立するものではなく、両方が同時に働きうると述べる。
ドーラス氏は「このパターンがとても興味深いのは、まったく違うグループで、しかも途方もなく長い時間をまたいで、進化が似たような協力の解決策に何度もたどり着いている点だ。こうした例は、協力が競争と同じくらい生物の成功を形づくりうることを思い出させてくれる」と話す。



精子の世界でも、協力と競争は同時に働くことがあるんだね
参考文献:
一次ソース: Gomez R. A. et al., Pervasive convergent evolution of sperm conjugation across the Arthropoda tree of life (Nature Communications, 2026年6月3日) DOI:10.1038/s41467-026-73950-z
論文本文(オープンアクセス): Europe PMC(PMC13396669)
研究機関: シラキュース大学(米)、シエナ大学(伊)、セゲド大学(ハンガリー) / 発表: シラキュース大学の発表(ScienceDaily掲載)









